夜郎自大という故事成語だが、日常的にはあまり使われないだろう。故事成語辞典等のたぐいには、必ず掲載されている。確か、陳舜臣の「弥縫録(びほうろく)―中国名言集」に興味深い記述があったはずなのだが、この本ずいぶん前に請われて貸し出してしまい手元にない。もう返ってくる見込みもなくなったので、絶版にならぬうちに文庫本でもかまわないので入手しておかなければ。(貸し出した単行本には、漢字の解釈などずいぶん書き込みをしてたのになあ) 閑話休題(それはさておき)、 この夜郎自大という言葉、語感からするとなんだかイヤラシイ響きがある。自分の力量もしらずに尊大にかまえているような印象を受けるのだ。 けれども、夜郎自大は「田舎者の無邪気さ」を表す言葉でもあるような気がする。日本有数の田舎に住んでいる私にはそのように感じられる。 田舎者の無邪気さも、度が過ぎれば、都会の人としてはあきれかえるだけになってしまうのだが。 ずいぶん過去の話ですが、ジョークのようなお話をひとつ。徳島駅(徳島ってご存知ですか?)の駅舎を改装する工事が時間をかけて行われた。Wikipediaによると、駅ビルが全面開業したのは1993年だそうな。 その頃の、新聞の読者欄に掲載されたお話が、まさに「夜郎自大」そのもの。(以下にその要旨)
無邪気な話しではないか。 「すごい!」 18階建てのビルに徳島の人々は驚いた。 そしてそれが、「どうだ、すごいだろ!」となった。 信じられないような話だが本当にあったことらしい。 でも、同じ徳島県民にこの話をしてもジョークが通じない。 「何が面白いの?」という顔をする。こういう反応の方がむしろ驚きだ。 同じく東京のNPO法人の方が、地域活性化の講師として徳島の小さな町に招かれ講演をした。その講演の中で「せっかくI町に来たのだから、○○公園ではなくて、△△寺などの歴史的・文化的ないわれのある史跡などを案内してほしかった」 とぼやいていたのが気になり、講演後の交流会で直接そのことを確認してみた。講師先生のぼやきは・・・ 東京からI町に来た。I町では講師先生をもてなす意味と、実態を知ってもらう意味を込めて、町の観光課のチーフが、先生を「名所」に案内した。その「名所」というのが、「前山公園」という10.8m2の公園だった。この「公園」は、ゴミ焼却施設をつくったときに、その周りを整備したもので、当時完成して間もない頃だった。このI町の観光課のチーフはこれが大いに自慢だったのである。これまた無邪気な話しではないか。 隣席していた当のチーフに、「東京には大きな公園や有名な公園が数えきれぬほどありますよ」(東京の公園)と言って、私が紹介したのが冒頭の、都会の人とタクシー運転手の会話だった。 私:東京の人に、なんと「駅ビル」を紹介したそうです。驚きでしょ。 チーフ:(目をきょとんとさせて)はぁ。驚きですか・・・。 まったくジョークが通じていない。こちらの方が驚き。 正真正銘の田舎者の私は断言できる。 「夜郎自大」というのは、尊大にかまえて威張り散らしているのではなく、「無邪気」なのであると。 ご当人にしてみれば、そもそも自分がそれほどまでに小さいとは微塵も思っていない。「自分を大きく見せよう!」とがんばる必要性すら感じていないのだから、けっして威張り散らしたりしないのです。あまりにも無邪気すぎて、都会の人はただあきれ果ててしまうだけ。無邪気すぎて「失笑」はあっても、怒る気にもならないでしょう。 おそらく「夜郎国」の人も、ただただ「無邪気」だったのでしょう。 → 夜郎自大その2(無邪気なままでいてほしい) ▼「尾籠とは?(烏滸蠻・烏滸の沙汰・夜郎自大)」 ▼「夜郎自大その2(無邪気なままでいてほしい)」 [漢字漢字漢字-漢字に関する書籍・漢字の本]
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