たとえ、頸(くび)を切られても心をかえないほどの、真実の親しい交わり。生死をともにする親友。 ◆「和氏之璧(かしの・ヘキ/たま)」 や ◆「連城の璧→完璧(レンジョウのヘキ・カンペキ)」 に登場した、廉頗(レンパ)将軍と藺相如(リンショウジョ)のお話から出た言葉。 とかく、文官と武官というものは仲の悪いもので、日本の例をみても、 太閤秀吉の家来でいうと・・・ 【Aグループ】加藤清正・福島正則など 【Bグループ】小西行長・石田三成など 両グループは仲が悪いことで知られている。 趙の恵文王は立派な家宝「和氏の璧」を持っていた。秦の昭王がそれを欲しがって、十五城(十五の領地)との交換を申し出た。これがいわゆる「連城の璧」で、十五の城(領地)を連ねるほどの値打ちがある家宝。その時の外交談判を買ってでたのが藺相如であり、璧を無事に完(まっと)うして帰ったことは「連城の璧→完璧(レンジョウのヘキ・カンペキ)」で紹介したとおり。 この功労によって藺相如の位は、武官で野戦組の将軍、廉頗(レンパ)よりも上になった。 おもしろくないのは廉頗将軍。「攻城野戦の功績がある自分が町人上がりの舌先三寸の男の下に居るとは残念だ。藺相如に会ったら辱(はずか)しめてやろう」といった。 それを聞いた藺相如は、廉頗将軍と列席する必要のある時は、仮病で欠席した。また外出時に将軍を遠くに見かけると、車の方向を変えてかくれた。 藺相如の家来たちは口惜しがって恥じたので彼はいった、 「強国の秦(シン)をも恐れないで、秦王をしかりつけ国威を輝かした自分が、なんで廉頗将軍だけを恐れるものか。秦が強大な兵力を持っていながら、趙に手出しできないのは、この国に我々両人がいるからではないか。今両虎共に闘(たたか)えば、その勢いは、ともに生きない。だから国家の危急を大事だと思うか ら個人的な怨(うらみ)なぞは後回しにしているのだ」 と。 これを聞いた廉頗は、はだ脱ぎになり、いばらの鞭(むち)を背負って藺相如の邸に行き、「これで打ってくれ!」と謝罪して「刎頸之交」を結んだ。
それにしても、廉頗将軍。怒り方といい、謝罪の仕方といい、いかにも直情径行型の体育会系ですね。 [漢字漢字漢字-漢字に関する書籍・漢字の本] |