鶏肋(ケイロク)---鳥 隹 酉(とり)

鶏肋 (ケイロク)・・・」と、曹操がつぶやいた。

傍(かたわ)らにいた、夏候惇(カコウトン)をはじめ、側近には曹操の真意はくみ取れない。

ただ一人、曹操の心中を読んだ男がいた。

それが楊修(ヨウシュウ)である。

「鶏肋」とはつまり、「にわとりのあばら骨(肋骨:ろっこつ)」のこと。

あばら骨についている肉はわずかである。だが肉が少ないからといって捨ててしまうのは惜(お)しい。なぜなら、スープにすればおいしいからである。さりとて「惜しい」と言ってもステーキほどのごちそうでもない。微妙な存在だ。

時は、西暦218年から219年にかけて、魏の曹操が蜀の劉備と漢中の領有をかけてにらみあいをしていた頃。

曹操は、当時の後漢の都である許都(許昌)から、大軍を率いて漢中に駆けつけたが、戦況ははかばかしくない。

そんなある日、曹操の食事に「鶏肋」のスープが出た。鶏肋は前述のとおり捨ててしまうのは惜しいが、さりとて「ごちそう」というほどのものではない。「今の戦況に似ている」と思ったかどうか知らないが、参上して下命を待つ夏候惇(曹操のいとこ)に、ただ一言「鶏肋」

夏候惇:「???」

彼には何のことだかさっぱり分からなかったが、その言葉を曹操の「命令」として、軍中に触れ回った。だが将兵たちは戸惑うばかり。

そんな中、楊修の軍だけは、その「命令」を聞いて、すぐさま撤退の準備をはじめた。みごと謎解きをしたのである。

はたしてその後、曹操の軍は撤退して長安に帰還した。

楊修は秀才として名高く、それを自ら誇るところがあった。頭がいい割には深謀遠慮が足りないので、これが致命傷となる。

曹操は自分の

心を部下に読まれることを怖れていた。見事に我が心を見抜いた楊修は「危険人物」とみなされ粛正されてしまった(つまりあっさりと殺されてしまった)のである。

頭がいい割には思慮が足りない人、矛盾するようですが、こういう人たまにいるかもしれませんね。

これとは逆の「慎重派」で「保身」に成功したのが、かの司馬懿(シバイ)、この名前を聞いてもあまり「ピン」とこないが、その字(あざな)の司馬仲達といえば誰でも知っている。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」で有名なあの人である。(原文では、「死諸葛走生仲達」死せる諸葛[ショカツ]、生ける仲達を走らす)

こちらは、自ら頭のいいところをひけらかさずに、「死せる孔明・・・」の噂を流して、わざと頭がわるく見せかけ、みごと保身に成功した。

のちに、司馬仲達は魏軍の全権を握り、その死後、孫の司馬炎が西晋王朝を開き、司馬懿自身は追号され、高祖宣帝となった。

諡号(シゴウ・おくりな)が宣帝廟号(ビョウゴウ)が高祖である。



◆関連リンク「鳥 隹 酉(とり)-- 干支(えと)」(漢字家族) / 「鶏を割くになんぞ牛刀を用いんや」(漢字家族)

「鶏口牛後(上の口、下の后)・・・上の「アナ」と、下の「アナ」

「庖丁 -- 庖丁解牛」

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