鶏口牛後



[牛・丑・うし・ウシ 鶏口牛後]
ウシ(・牛)にまつわるお話しとして、縦横家 ─ 漢字家族において、

「寧為鶏口、無為牛後(后)」 の解説は・・・(後ほどアップ 必読)

  などとしながら、何年が経過したことだろうか。あまりにも気の長い「後ほど」でした。

  さて、「鶏口牛後」のお話しは、「史記」や「十八史略」にも登場しますが、この「戦国策」の記述、気になりませんか?
  学生時代にこの一節を読んだときは、蘇秦から合従の策を説かれた時の韓王の反応があまりにも尋常ではないので、レトリックがすぎると思っていました。少し不自然にさえ思ったほどです。(なんでここまできばるのだろう???)
  ところが、卒業後、藤堂明保博士の『漢字語源辞典』に巡り逢い、その疑問が氷解したのです。
  そこには、加藤常賢博士の説が紹介されていましたが、これについては、次回の書き込みでご紹介しますので、まずは、「戦国策」の該当箇所をごらんください。
★鶏口牛後/鶏口牛后 『戦国策』卷二十六韓一より

臣 聞 鄙 語 曰 : 『寧 為 雞 口 , 無 為 牛 後』 今 大 王 西 面 交 臂 而 臣 事 秦 , 何 以 異 於 牛 後 乎 ? 夫 以 大 王 之 賢 , 挾 強 韓 之 兵 ,而 有 牛 後 之 名 , 臣 竊 為 大 王 羞 之 。

 韓 王 忿 然 作 色 , 攘 臂 按 劍 , 仰 天 太 息 曰 : 「 寡 人 雖 死 , 必 不 能 事 秦 。 今 主 君 以 楚 (注:鮑本補曰:字誤,史正作「 趙 」) 王 之 教 詔 之 , 敬 奉 社 稷 以 從 。


  蘇秦は、趙のために合従をはかろうとして、韓の宣恵王に説いた。

 「・・・・・ そもそも、国力強大で賢明な大王をいただく国が、おめおめ秦の属国となりさがる。これ以上の国辱、これ以上のもの笑いはありません。ここは一番、熟考あってしかるべきでしょう。

 大王が秦に仕えるなら、秦は必ず宜陽(ぎよう)と成皐(せいこう)を要求します。今年それを与えれば、来年は、さらに多くの土地を要求してきましょう。 毎年、土地を与えれば、ついには、与える土地がなくなってしまいます。与えなければ、それまで与えた土地まで無駄にし、かえって禍をこうむりましょう。大 王の領土には限りがあるのに、秦の要求には果てしがありません。果てしのない要求に応ずるのは、怨みを売って禍を買うようなものです。戦わずして領土を削 られましょう。

『むしろ鶏口となるとも、牛後となるなかれ』といいますが、おめおめと秦に仕えれば、まったく牛後と異なりません。強力な兵を擁しながら牛後の汚名を着せられる。大王のために恥ずかしく思います」

韓王は、さっと顔色を変え、ひじをはって刀の柄に手をかけ、天を仰いで嘆息した。 「死んでも秦には仕えまい。趙王からの教えをお伝えくださったが、国をあげて従いたい」




[牛・丑・うし・ウシ 鶏口牛後]
 韓王は、「牛後」と言われただけで、どうしてここまで怒りを露わにしたのでしょうか。

 じつは、この「牛後」、たんに「牛のしっぽ」とか「牛の尻」とかいうなまやさしい言葉ではなく、牛の「尻の穴」、すなわち肛門をさす言葉であったからです。

 そらそうですよね。「鶏口牛後」は対句であるはずなのに、

「鶏のクチ」 ─ 「牛のしっぽ」

 では、対句になりませんよねえ。

「上の口(穴・入口)」─ 「下の后(穴・出口)」

 で対応しているのです。

 蘇秦から、

「合従の策」を受け入られないとすれば、その時は、あなたは、牛の尻の穴(肛門)になりさがったということですよ!」

 と言われた韓王は、「肛門」などといわれては面子(メンツ)まるつぶれ、「いいやそれでも秦と同盟する」などとは決して言えなくなったのです。

「寧為鶏口無為牛後」、痛烈な決定打だったのですね。
鶏口牛後 「寧為鶏口無為牛後」

(注)漢字語源辞典に引用されている資料 <漢字の起源、巻15-43ページ> とは別の資料。

『漢字の起源』(加藤常賢・角川書店 1970年12月刊)より



《呉
雲》(ゴリョウウン)の説
 后字は反人に従い、口に従ふは尾下の竅なり。戦国韓策に「寧ろ鶏口となるも牛後となるなからん」と、史記蘇秦伝に同じ。
雲謂へらく、この「後」字は当に「后」に作るべし、声の誤なり。張守節云ふ、「鶏口は小なれども乃ち食を進む、牛後は大なれども乃ち糞を出す」
 ・・・ 后は尾下の竅たるや明らかなり(呉氏遺著 巻二)



后 = 「尻口(コウコウ)」
 *「后」は後口、即ち糞孔の意
 *「司」前竅、即ち生子竅の意
  ・・・「司」の「続」の意は、継続して子を生む意から来ている。

p.456 1174「司」・1173「后」


 次回は、藤堂明保博士の解説を紹介します。




[牛・丑・うし・ウシ 鶏口牛後]
 「口」という文字は、人間のクチの象形文字ですが、もとのことばは k'ug という発音であり、このことば自体は、「あな」を意味します。人間のクチだけとは限りません。

 そして、「人+口(あな)」⇒「后」という字があります。これは「人体のうしろの穴」すなわち「肛門」のことだといいます。字形は違いますが「後」と書いても同じ意味です。

(入口) ←→ (出口)  で対になっています。

 ということで、「鶏口牛」を、「鶏口牛」と表記すると、いっそう意味がきわだちますね。

「寧為鶏口無為牛後」は、蘇秦自身の言葉ではなく、鄙諺を引用したものですが、それにしてもパンチが効いています。今の世の中でいえば、 バラバラであったヨーロッパの諸国を一つにまとめてアメリカに対抗させようというようなものですから、諸国の王を説得するには、巧みな弁論術の他にさまざまなテクニックや知識を総動員してかからねばなりません。諸国の王は、よほどのことでなければ決心がつかないのです。

 そこで、蘇秦の口から「無為牛後!」という強烈な言葉が・・・。これはもう六国同盟に参加せずにはいられないのです。
鶏口牛後 「寧為鶏口無為牛後」

『漢字語源辞典』(藤堂明保・学燈社)より

 この字体については、加藤常賢博士が「后の字の上部は人の字の変形であり、その下に口(あな)がある。すなわち肛門のこと」<漢字の起源 巻15-43ページ>と説かれたのが正しい。肛門をといい、のちで代用する。


「むしろ鶏口となるも、牛となるなかれ!」<戦国策の蘇秦のことば>とは、牛の肛門との意である。

「はたして蛭(ひる)、王のより出ず」<新書>とは、王の肛門である。

は、ちょうど左右が逆さになった字で、とは、尿道口(前穴)であり、は肛門(後穴)。

 肛門は人体の後に在るから、「うしろ」(あと)の意となり、後継ぎを生む人を后(きさき)と称するに至った。
※参考:ピンイン表記
 ▼ kou3

 ▼ hou4
 ▼ hou4
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