和氏之璧(かしの・ヘキ/たま)  2013-06-29 Sat 00:27

類い稀(たぐいまれ)な才能がありながら、一般に認められないのを
「和氏の璧」(かしのヘキ・かしのたま)という。

中国は周の時代、楚の卞和(ベンカ)という人が、楚山で発見した宝玉のこと。

このお話は、次のようにシリーズ物になっている。それぞれのストーリーが面白い。

和氏の璧 → ②連城の璧 → ③完璧 → ④刎頚の交わり

まずは①から。卞和が発見した宝石は原石であり、日本では「あらたま」と呼ばれるものである。
「玉磨かざれば光なし」で、外に汚い皮をかぶったこの原石のことを中国では「璞」(ボク)という。

この皮を剥ぎ取れば、中に美しい宝石が収まっているのだが、外から見ただけでは素人目には、普通の石ころなのか、それとも宝石なのかがわからない。

試しに外側を磨いてみればよさそうなものだが、大昔のことだから、それはそれは大変な技術と労力がいる。
もしヒットすれば儲けものだが、いざ磨いてみてから「ただの石ころ」と判明しても、結果は「大損」である。
そこで「お宝鑑定士」が登場して、中身が磨く努力に値するものかどうかを鑑定する。
こういう事情を知っておかないと、中国の歴史物語に登場する「璧」の話の面白みは半減する。

さて、卞和は璞を楚の厲王(レイオウ)に献上した。厲王は楚の「玉人」という専門家に目ききさせたが、「ただの石ころ」という鑑定。卞和は詐欺罪で、左足の筋(すじ)を切られた。
あきらめきれない卞和は、厲王が死んだ後、次の武王に再び例の璞を献上した。判定結果は???
玉人の鑑定は、またもや「石ころです!」
今度は右足の筋を切られた。

その次に即位したのが文王。卞和は璞を抱いて楚山の麓(ふもと)で三日三晩泣いた。泣きに泣いたので、しまいには涙のかわりに血が流れた。「卞和泣玉」という。

それを伝え聞いた文王は、そのわけを尋ねさせた。
卞和が言うには「私が泣いているのは、足の筋を切られたからではなく、私が発見した宝石を、ただの石ころだといって、貞士(テイシ・誠実で行いの正しい人)をイカサマ師扱いにするからです」と。

そこで、文王がその璞を磨かせてみたところ、卞和の言うとおり立派な宝石があらわれた。
これを「和氏之璧」と命名するや、天下の名宝となった。

後に、この「璧」が、趙(チョウ)の国に伝わり、秦(シン)の昭王が十五城(十五国と同じ意味)との交換を申し入れたことにより「連城璧」(レンジョウのヘキ)といわれ、藺相如(リンショウジョ)の活躍によって「完璧」という言葉が生まれた。また、このときに手柄をたてた藺相如を誤解して侮辱してしまった廉頗(レンパ)将軍が、誤解がとけた後藺相如に謝り「刎頸之交」(フンケイのまじわり)を結んだ。
このシリースの続編は、すべて後述の予定。
「連城の璧→完璧(レンジョウのヘキ・カンペキ)」
璧
【玉】(ギョク)
 大理石などの美しい石。宝玉一般。
【環】(カン)
 リング状の玉。
【璧】(ヘキ)
 「環」を押しつぶしたような形の玉。
 平らな輪の形をした玉で、中央の穴の直径が輪の幅と同じか小さいもの。

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荘周,
2015/10/04 7:59
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