類い稀(たぐいまれ)な才能がありながら、一般に認められないのを 「和氏の璧」(かしのヘキ・かしのたま)という。 中国は周の時代、楚の卞和(ベンカ)という人が、楚山で発見した宝玉のこと。 このお話は、次のようにシリーズ物になっている。それぞれのストーリーが面白い。 ①和氏の璧 → ②連城の璧 → ③完璧 → ④刎頚の交わり まずは①から。卞和が発見した宝石は原石であり、日本では「あらたま」と呼ばれるものである。 「玉磨かざれば光なし」で、外に汚い皮をかぶったこの原石のことを中国では「璞」(ボク)という。 この皮を剥ぎ取れば、中に美しい宝石が収まっているのだが、外から見ただけでは素人目には、普通の石ころなのか、それとも宝石なのかがわからない。 試しに外側を磨いてみればよさそうなものだが、大昔のことだから、それはそれは大変な技術と労力がいる。 もしヒットすれば儲けものだが、いざ磨いてみてから「ただの石ころ」と判明しても、結果は「大損」である。 そこで「お宝鑑定士」が登場して、中身が磨く努力に値するものかどうかを鑑定する。 こういう事情を知っておかないと、中国の歴史物語に登場する「璧」の話の面白みは半減する。 さて、卞和は璞を楚の厲王(レイオウ)に献上した。厲王は楚の「玉人」という専門家に目ききさせたが、「ただの石ころ」という鑑定。卞和は詐欺罪で、左足の筋(すじ)を切られた。 あきらめきれない卞和は、厲王が死んだ後、次の武王に再び例の璞を献上した。判定結果は??? 玉人の鑑定は、またもや「石ころです!」 今度は右足の筋を切られた。 その次に即位したのが文王。卞和は璞を抱いて楚山の麓(ふもと)で三日三晩泣いた。泣きに泣いたので、しまいには涙のかわりに血が流れた。「卞和泣玉」という。 それを伝え聞いた文王は、そのわけを尋ねさせた。 卞和が言うには「私が泣いているのは、足の筋を切られたからではなく、私が発見した宝石を、ただの石ころだといって、貞士(テイシ・誠実で行いの正しい人)をイカサマ師扱いにするからです」と。 そこで、文王がその璞を磨かせてみたところ、卞和の言うとおり立派な宝石があらわれた。 これを「和氏之璧」と命名するや、天下の名宝となった。 後に、この「璧」が、趙(チョウ)の国に伝わり、秦(シン)の昭王が十五城(注十五国と同じ意味)との交換を申し入れたことにより「連城璧」(レンジョウのヘキ)といわれ、藺相如(リンショウジョ)の活躍によって「完璧」という言葉が生まれた。また、このときに手柄をたてた藺相如を誤解して侮辱してしまった廉頗(レンパ)将軍が、誤解がとけた後藺相如に謝り「刎頸之交」(フンケイのまじわり)を結んだ。 ※このシリースの続編は、すべて後述の予定。 ▼「連城の璧→完璧(レンジョウのヘキ・カンペキ)」 【玉】(ギョク) 大理石などの美しい石。宝玉一般。 【環】(カン) リング状の玉。 【璧】(ヘキ) 「環」を押しつぶしたような形の玉。 平らな輪の形をした玉で、中央の穴の直径が輪の幅と同じか小さいもの。 [漢字家族--漢字の語源とワードファミリー解説] [漢字漢字漢字-漢字に関する書籍・漢字の本] |
