大村益次郎


大村益次郎(村田蔵六,1824ー1869)について

山口県秋穂町,エビの養殖で有名なところで気候温暖な地方。
明治の帝国陸軍の基礎を作った大村益次郎の生まれ故郷です。
NHKの大河ドラマ,花神,司馬遼太郎の同名小説の主人公。
緒方洪庵の適塾で医学を学ぶ。一時期,鋳銭司で親父さんの
跡を継いで開業していましたが無愛想だったので,患者がほ
どんど来なかったらしい。

医者としては名をなさず,長州の軍事戦略家として四境戦争
を指導し上野の彰義隊の掃討作戦,幕府側についた奥州の
平定作戦を立案実行。 高杉晋作により創設された奇兵隊は,
身分制度を撤廃し百姓町人,下級武士,それと一部の上級武
士が自由に参加できた。それまでの戦争は武士階級だけで行
うという常識を一変させたことで有名。大村益次郎はその
高杉晋作の思想を受け継ぎ日本の軍備,軍隊を近代化,後の
国民徴兵制度の基礎を築きました。

最初に奇兵隊が,萩から進軍してきた武士軍団と集団戦闘を
行ったのが,美祢郡美東町の大田地区での” 大田絵堂の戦い ”。
おこったのが1865年1 月(高杉晋作の功山寺での挙兵は1864年
12月)で明治維新のわずか3年前。日本で最初の旧階級との
軍事衝突。萩から出陣してきた武士に対しての恐怖はかなり
のものだったそうですが,実際にやってみると,鉄砲を豊富
に持っていた奇兵隊が戦闘に勝利。武士もタダの人であるこ
とがわかり,特に,百姓町人で参加したひとには強い衝撃を
与えた。 

明治維新の始まりをどの時点にとるかは種々あると思います
が,この大田絵堂の戦いは,歴史の turning point となった戦
闘と思います。この大田の地は,江戸期には代官所がおかれ
昔から山口県の臍で,交通の要所。萩からの道,山口から,
長門からの街道,宇部からの道の交差点。この絵堂の戦いか
ら,あっという間に,奇兵隊は長州そして倒幕の中心部隊と
なり日本国中にその名前を知られることになりました。

奥州諸藩の掃討作戦中には,その部隊の中核であった長州藩
と薩摩藩,特に長州藩の兵士が,かつての会津藩の仕打ちに
対して復讐を行ったとされています。

会津藩の悲劇は ----------
 1)降伏までに4千数百人の犠牲者をだしたが,西軍(長州藩)
   はその死者の埋葬を半年間許可しなかった。
 2)不毛の地,下北半島の斗南への強制移住。
 3)会津藩士への明治以降の政府人材登用差別,明治中央政府
   の地方投資への冷遇などです。

会津藩,長岡藩の悲劇には心うたれますが,歴史の皮肉というか,
講談師の語るようにはクリアーカット,白黒はっきりとは物事は
進行しません。倒幕の中心部隊であった長州奇兵隊(正確には諸
隊)にも悲劇が待ってました。明治維新の翌年の1869年,新しい
軍の制度に納得しない諸隊の約2,000人が反乱を起こしましたが鎮
圧され指導者初め多くの者が処刑されました。奇兵隊創設者の高
杉晋作が生きていたらこのような悲劇はおこらなかったはずです。

同年(1869)11月には大村益次郎も,京都でテロ襲撃に遭いその
傷が悪化して死亡。享年44才。最後の看病をしたのは東京で産
婦人科を開業していたオイネさん(シーボルトの日本人妻,楠本
滝さんとの間に生まれたハーフで美人)と,その娘の”お高”でし
た。

このエピソードは彼が何に憧れを抱いていたのかをよく表してい
ると思います。村田蔵六(大村益次郎)は一度も外国に出た事も
なくオランダ語の書物を通じてオランダ医学をはじめとして西洋
の科学技術,特に後年は軍事技術を学びとり,それを日本流にア
レンジして実地に応用実行しました。

1863年5月長州藩は攘夷を実行し下関でイギリス,オランダ,
フランスなどの外国船に砲撃を加えました。同じ時期に,5名の
若者✭(伊藤博文,井上馨,山尾庸三,遠藤謹助,野村弥吉)を
ロンドン大学に留学させるべく密航させました。渡航に際し,
その資金面の工夫をした益次郎はこの5名に訓示を与えました。

 『 君たちは将来日本を背負う責任のある者だ。
   兵器を購入する資金を君たちにやることは,
   君たちが将来の日本をつくる生きた兵器と思うからだ。
   責任は全て自分が負うから,安心して新知識を学んでこい』

後年は英語の重要性に気ずき,ヘボンから学んでいます。 残念な
がら彼自身の心境を表す個人の手紙がまったく残っていません
(秀才であった吉田松陰のものは多数現存しているのと対照的)。 
おそらく彼自身,筆まめな性格ではなかったと思います。彼がヨウ
ロッパに住む人間をどのように捉えていたのか,知りたいものです。


                                                         山口県 宇部市
                                                                                      萩原 啓二 
                                                                               keijihagiwara@gmail.com


 5名が英国へ密航する前に撮影した写真をもとにした銅板が
 山口大学の正門にはめ込まれています。その除幕式には英国
 大使も出席したそうですが,伊藤,井上の2人は,高杉晋作
 の指揮のもとに御殿場に建設中であった英国大使館の焼き討
 ちをした張本人であるという事実をしっておられたか?聞き
 たかったもんです。 

 伊藤博文,井上馨の2名は半年もしないうちに日本の政変の
 報道に接しロンドンから急きょ帰国しました。残り3名は,
 それぞれ3〜5年の留学後に帰国。山尾,野村は日本の鉄道,
 鉱山事業,トンネル工事を行い,近藤は後の造幣局長となる。
 山尾庸三はまた日本で最初の盲人の為の学校を創設した。


1)大村益次郎の生誕地(山口市鋳銭司)








2)山口市,秋穂にある誕生地(正確には幼少時育ったところ)



    秋穂の海岸から眺めた周防灘

    益次郎の使用した蘭日辞典

     自筆の数学ノート

     軍事作戦ノート





























   誕生地からJR西日本,四辻駅を望む






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