海から考える人の移動と国境―釜山、巨済島、巨文島から見えてくるもの(第29回)

2010/09/29 5:50 に KAJA contact が投稿   [ 2010/11/08 7:40 に Toshi Mz さんが更新しました ]
2010年9月23日

報告1 東アジアの香港:巨文島と植民地 講師:李泳采さん
 
 7月に行った巨文島の報告。巨文島は全羅南道・麗水から船で2時間強の場所にあり、西島、古島、東島などの3つの島を中心にできている。天然の港と漁業資源が豊富な美しい島である。韓国南端の孤島のように思えるが、済州島へ110km、対馬へ140km、釜山へ170kmと、南海の要衝のような位置を占め てもいる。

 1885年、南下するロシアをけん制するため、イギリスが島を占領。「第2の香港」にしたいと考え港を整備したが、清や朝鮮の反対に遭い2年余りで撤退(巨文島事件)した歴史がある。現在も島で亡くなったイギリス兵の墓がそのまま残され(日本人の墓は打ち捨てられた)、毎年イギリス大使が訪れるという。人がほとんど 住んでいなかった真中の古島を開発したこともあり、住民との摩擦はそれほどなかったのかもしれない。

 日本植民地時代にはまず山口県の網元が移住してイリコや塩サバの製造などで経済的に成功し、その後西日本各地の漁民が入植して水産加工、鉄工・造船などがさかんになった。遊郭や娯楽・宿泊施設なども作られ、集落を形成。現在も日本時代の遊郭など建物が残されている。

 現地を訪れたとき、全南無形文化財に指定されている巨文島ペンノレ(舟歌)を聞く機会もあった。
 巨文島は地理的な有利性から19世紀末には領土拡張を狙う帝国列強の侵略に遭い、植民地時代は朝鮮人と日本人の対立などがあった。国境のない時代からの「島」の存在、島を巡る列強の認識、日中韓の領土問題などもある、島の意味について考えさせられた。


報告2 近代化と兵站の都市釜山:野口部隊からハヤリア部隊へ 講師:金慶南さん

 1876年、日朝修好条約により釜山に最初の日本人居留地ができた。当時の人口は80人ほどだったが、1910年には5万人、1945年には28万人になり、現在は400万人近く、韓国第2の都市にまで発展した。
 
 1910年韓国併合ののち、日本は小さな漁村に過ぎなかった釜山を南部の中心地として開発。土地を買い占め、不動産、水産、旅館・精米業などで財をなした日本人の迫間房太郎、大池忠助、香椎健太郎が釜山の3大資産家となった。
 
 日本は朝鮮市街地計画令によって、土地区画整理、道路建設、緑地・公園なども整備。紡績工場、造船所のある工業地区を形成して、近代的都市として開発を進めた。しかしこれらは、住民の福祉や生活改善のための計画ではなく、軍事施設の設置、軍事道路の建設、労働者の住宅建設など、軍事目的が主であった。釜山は侵 略戦争における戦略拠点、軍の兵站基地、日本本土を守るための後方基地としての役割を担わされてきたのである。

 そのひとつとして1941年、釜山の西面に外国人捕虜臨時収容所が造られ、捕虜監視のための(朝鮮人)軍属教育隊「野口部隊」ができた。16万坪という広大な敷地で、解放後はアメリカ軍の基地(ハヤリヤ部隊)として2009年まで使用されたが、現在は釜山市に返還されている。釜山市は市民公園にしようとしているが、土地 汚染などの環境調査も十分行われていない状態だ。

 今まで、韓国の近代化の過程での植民性について研究してきたが、今回の旅で開港以来、朝鮮の南の海を基盤としてきた朝鮮人と、そこに住んだ日本人の漁業を通した生活ぶりが見えてきたことは有意義だった。


報告3 もう一つの朝鮮戦争:巨済島と捕虜収容所 講師:内海愛子さん

 巨済島は済州島に次ぐ韓国第2に大きい島。朝鮮戦争時、米軍によってここに捕虜収容所が建てられた。
 現地で『韓国戦争の捕虜』などの著書がある金幸福さんのお話を聞いた。「戦争中、中国共産党が参戦して国連軍は後方に撤退。そのとき拘束した捕虜を後方に移送させなければならなかったが、釜山には多くの避難民がいたため、島で捕虜管理がしやすく、水を供給しやすかった巨済に収容所を造った。多いときは17万人の捕虜 がいた。捕虜の中には北に帰りたい兵士と帰りたくない兵士がおり、捕虜送還は複雑な問題となった。これが休戦会談が長引いた理由のひとつ。李承晩大統領は反共捕虜の送還に反対。その過程で収容所所長の拉致事件などがおきた。休戦会談後、収容所は閉鎖された」。収容所では反共・親共に追い込まれた人々の悲惨な状況を改 めて感じた。

 朝鮮戦争、脱出捕虜、捕虜収容所、朝鮮戦争の中国参戦などについては韓国映画
『黒水仙』、『毛沢東の朝鮮戦争ー中国が鴨緑江を渡るまで』(朱建栄著 岩波現代文庫 2004年)、『他国の死』(井上光晴著 河出文庫)などがあるが、まだまだ研究し尽くされていない分野であると思う。


総合コメント 講師:村井吉敬さん

 今回5月と7月に、ともに韓国南部と南部にある多島海を旅行した。報告に共通するのは19世紀から朝鮮戦争にかけての時代の韓国南部に関する話だ。実際に現地を訪れて感慨深いものがあった。今回の報告でもあったが、これから海と漁業と国境という観点から、日韓関係史を見ていきたい。海の交流史から「国家」というものを見ていくとおもしろい。ちょうど今、尖閣問題も大きな話題となっているが、国家の論理と海という問題について考えてみるよい機会だと思う。   (報告:KAJA事務局)


Comments