なぜ日本では運要素の高い卓上ゲームばかりが人気なのか

2011/08/02 8:56 に Jun Shin が投稿   [ 2017/03/22 20:51 に更新しました ]
※「日本では」と書いているのは、私が日本以外の情報をよく知らない為です。日本限定の事象だといいたいわけではないので、ご了承ください。

震災の影響で、電力不要のボードゲーム・カードゲームが見直されているようで、よく一般向けの雑誌・新聞・ネットニュースなどで「人気ランキング」が取り上げられるのを見るようになった。

例えばこんな記事だ。


1位 UNO 43.6%
2位 トランプ 29.6%
3位 人生ゲーム 24.9%
4位 黒ヒゲ危機一髪 15.2%
5位 ジェンガ 12.8%

ちなみにこれは男性編で、女性編では4位が「オセロ」になっている。
基本的にどこで取り上げられてもランキングの顔ぶれは同じで、「ウノ、人生ゲーム、オセロ」が定番だ。

これらの顔ぶれを見ていると、あることに気がつく。いずれも運要素が非常に強いゲームばかりなのである。もしくは逆に、オセロや将棋など、運要素がゼロのゲームかの、どちらかなのだ。

これはいったいなぜなのか? 以前からいろいろと考えていたのだが、今日、自分なりに納得のいく結論が出せたので、書き留めておきたい。

すでに書いたとおり、日本では「ボードゲーム」と言えば「人生ゲーム?」と言われるほど、定番となっている。人生ゲームはルールが非常に簡単で、手番が着たらルーレットを回して自駒を進め、そこに書いてある指示に従えば良い為、誰でも手軽に遊べる。しかし、判断が必要とされるシーンはほとんどなく、全員で「ランダムに決まるお話に沿ってロールプレイをしている」という内容になっている。勝敗はほぼ100%、運で決まる。

UNOも同様に、なんとなく「今はこれを出す時!」というタイミングは多少あれど、基本はカードの引き運、前のプレイヤーが何を出すかによってすべてが左右される。「次のプレイヤーが持っているカードの色が何か?」なんて、ほとんどの場合わからないので、「よーし、ここは色を変えておこう」なんて言った所で実際それが功を奏す確率は、変えなかった場合の確率とほぼ同じだろう。これもかなりの比率で運要素が中心だ。UNOの正式ルールにはより考えどころを高くする「チャレンジ」ルールがあるが一般的には採用されていないし、ドロー2/ドロー4の重ねがけも、大元のルールには存在しない。より「運要素」を高めるようにチューニングされて遊ばれている。

黒ヒゲ危機一髪なんてのは、非常にわかりやすい完全純粋運ゲームだし、ジェンガのようなものも、これは運ゲーというよりアクションゲームであるが、特に頭を使うわけではない、「たまたま運悪くグラッときた」事が敗因となるゲームだ。

いや、もちろん、これらのゲームが悪いと言いたいわけではない。こういう運が中心のゲームは、誰でも簡単に楽しめるし、実力差なんて出ないのでみな平等に楽しめる。目的もなく集まったときに時間をつぶすのに最適な「パーティーゲーム」としてうってつけで、一般的なアンケートで人気になるのも納得だ。

しかし、いくらなんでも運要素の強いゲームばかり人気がありすぎじゃなかろうか?
ようは「パーティーゲームの需要しかない」ということなのかもしれないが、それならなぜ、「ボードゲーム・カードゲーム」といえば「パーティーゲーム」になってしまったのか?

このブログを読んでいるような皆様は、世界にはもっといろんな(数万種類もの)ボードゲーム・カードゲームが存在し、日本でも何百種類ものゲームが流通していることはご存知のとおりだ。そしてそれらのゲームの多くは、運だけでなく、ある程度「頭で考えなくてはいけない」ようになっており、知的ゲームと呼ぶに相応しい。それでいて将棋やオセロのように「運要素ゼロ」というわけでもなく、サイコロがあったりカードめくりなどの運があったり、プレイヤー間の駆け引きがあったりなど、決して実力だけで勝負がつくようなものでもない。運と戦略のバランスが半々ぐらいで、実にちょうどいいのだ。

運ゲー(パーティーゲーム)の需要があるのはわかるが、なぜ、こういった「運と戦略のバランスが半々ぐらい」のゲームがほとんど知られないぐらい遊ばれていないのか?
(いちおう「モノポリー」があるが、どちらかというとマニアックな位置づけであり、それですら運要素はかなり強い)

■「日本人は頭を使うゲームが嫌い」なのか?

日本人は運ゲーが好きで、ちょっとでも頭を使うゲームが嫌い、という単純な理由なのだろうか? しかし、上記ランキングの女性編では「オセロ」がランクインしているし、ご存知のとおり日本では将棋や囲碁といった古典的なボードゲームも一般的に人気である。これらは運ゲーでないどころか、運要素ゼロだ。しかし、人気なのである。

また、あまりこういったランキングに顔を出すことはないが、「麻雀」もかなり多くの愛好家がいる。麻雀は、運と実力のバランスが非常に良いゲームである。他にも、トレーディングカードゲームも同様に、運と実力のバランスがいいものが多い。こちらも子供を中心に多くのファンを抱えている。ということは、日本人だって実は運ゲー(パーティーゲーム)だけじゃなく、運要素ゼロのガチゲーだって好きだし、どちらも備えたゲームも好きだったりするのだ。

では、どうして他の、世界のボードゲーム・カードゲームが普及していかないのだろうか?

■「みんな、面白いゲームがあることを知らないんだよ」

ただ単に、「いろんなゲームがあることを知らない」というのは、あると思う。しかし、過去にもカタンやチケット・トゥ・ライドが日本語化されたり、一部の海外カードゲームがドラクエなどのキャラクターを使って展開されたりしたことがあった。しかし、結局一時的なものとしてそのつど消え去っている。だから、「みんな知らないだけから、もっと周知すれば流行るはず」というのも、単純に周知するだけではうまくいかないように思う。

また、最近、すごろく屋さんなどが中心となって、いろんな雑誌に「当店で人気のボードゲームランキング」などを掲載しているのだが、この売れ筋を見ると、やはり運要素の非常に強い「ごきぶりポーカー」や「ぴっぐテン」、または反射神経勝負の「ジャングルスピード」や「ワードバスケット」などが並んでいる。これを見ると、たとえいろんなタイトルが店頭に並んでいても、日本人は運要素の強いゲーム、戦略要素の低いゲームを自ら選んでいるのだ。

正直な話、例えば「ぴっぐテン」は子供がやるなら真剣に熱中できるだろうが、大人がやるなら「ちょっとした息抜きゲーム」だと思うし(何かを賭けるならかなりアツくなれそうですが)、反射神経ゲームも、そればかりやるのは、子供のような純真さでも持ち合わせていない限り、なかなか難しいだろう。

ここでふと、以前、「発言小町」で話題になったネット上の相談を思い出した。

■「趣味がボードゲームって・・・」


これは、夫側からの相談で、妻が「麻雀ならともかく、いい年した大人が集まってボードゲームだなんて」と言うのだそうである。そして、回答の中にも「確かにちょっと・・・という気はしますね」とか「他人に言いにくい」「子供とわいわい楽しんでいるならいいけど、大人だけで集まってやっていると、暗いイメージがある」というものが見られる。

これを読んだ当初、私はいちボードゲーマーとして憂鬱な気持ちになった。実際、多かれ少なかれ、このような認識は一般的だと思う。「ボードゲーム?いい年した大人が・・・」という反応だ。でも、麻雀だってボードゲームの一種だ。なぜ麻雀ならよくてボードゲームだとダメなんだ?

そのときだした結論は、「日本人は、麻雀のような、大人がやるものとして名の知れたゲームならば受け入れるが、そうでないゲームは異質なものとして排除する」といったものだった。しかし、「大人がやるものかどうか」という区切りはいったいどこでつくのか? 有名かどうかで言えば、例えばこの相談者がやるゲームが「人生ゲーム」だったとしても、やはりこの妻は「いい年した大人が」と言うような気がする。だから、この結論はいまいち納得感が薄い。

これを今回、思い出した。そこでふと気づいたのである。「麻雀」って、日本では、ゲームというより「博打」じゃないか、と。博打なので、これは当然、大人がやるゲームなのだ。ただそれだけのことなのだ。有名うんぬんじゃないのだ。

また、この奥様も、「ボードゲーム」ではなく「将棋・囲碁」だったら、「いい年した大人が・・」なんて言わないような気がする。実際、将棋も囲碁も、いい年したプロの大人が存在し、新聞やテレビを賑わしている。これはなぜかというと、将棋や囲碁はボードゲームというより「競技」だからだ。日本語の「ゲーム」には含まれないのである。

「大人がやるのは、競技か、博打。それ以外の“ゲーム”は子供がやるものでしょ?」こういった固定観念を、多くの人が持っているのではないだろうか?

■「子供がやるもの」という固定観念=「ゲームに真剣になるなんて恥ずかしい」

これが今回の記事の要点である。日本人には(日本人だけではないのかもしれないけど)「ゲームは子供がやるもの」という固定観念がある。だからこそ、「ゲーム」を買いにくる人は、子供がやるようなゲームを買いに来るし、それが売れる。

するとどうなるかというと、「子供でもできるような運要素の強いゲーム」ばかりが人の目に触れることになり、さらにその固定観念が強化されていくのだ。

さらに悪いことに、こうした固定観念により、「ゲームを遊ぶ」というと、そういった運要素の強いゲームを中心に遊ぶものというイメージがまず、浮かんでしまうようになっている。私だって、大の大人が一日中「人生ゲーム」や「黒ひげ危機一髪」を、賭けも罰ゲームの一気飲みもなしにやっていると聞けば、「それはなかなか、童心に帰っていますね」と思ってしまうだろう(いや、別にいいんだけどw)。そのような「運要素が中心の、子供がやるようなゲーム」に、普通の大人は(リターンもなしに)なかなか真剣になることはできない。坊主めくりや子供雑誌の付録の「すごろく」に夢中になれるのは小学生までだ。大人になれば、あれは純粋に運のみであることがわかってしまい、勝っても負けてもたいした感慨はない。

もちろん我々が遊んでいるゲームは、運だけではなく、頭もかなり使わないと勝てないようなゲームだったり、普段できないような体験ができるゲームだ。だから真剣にやる価値があるし、面白くて熱中してしまうのだ。しかし、一般の認識が「子供がやるようなゲーム」というものになってしまっている為、その延長で、「ゲームに真剣になるなんて、子供っぽくて恥ずかしい」という認識になってしまっているのだろう。

逆説的ではあるが、だからこそ、たとえ大人が遊ぶ場合であっても、「真剣にならなくてもいいゲーム」、つまり運が中心のゲームが売れるのではなかろうか。運が中心であれば、ゲームに真剣にならなくともよい。適当にプレイして、盛り上がれればそれでいい。「真剣になるのは恥ずかしい」のだから、それが一番無難なのだ。下手に戦略性のあるゲームなど買ってしまい、「えー、何ゲームごときに真剣になっちゃってんの」とか言われてしまっては大変だ。

これが、日本において「ゲーム」といえば運要素の非常に強いゲームか、または(真剣にやっても恥ずかしくない)競技的な、運要素ゼロの、将棋・囲碁・オセロなどしか受け入れられない、二極化してしまった理由なのではないだろうか(コンピュータゲームは除く)。

この固定観念を崩さない限り、日本で海外のようなボードゲームが流行ることはないだろう。私は以前、いわゆるところのドイツゲーム(運と戦略のバランスに優れたゲーム)を遊びながら、あるプレイヤーが「たかがゲームに真剣にならなくてもいいじゃん」と何度も言うのを聞いたことがある。さながら「私は別に真剣にやってるわけじゃない」と言いたげだ。つまりそういうスタイルこそがかっこいいし、正常だと思っているのだろう。

私はこれまで、そういう意見を「負けたときの言い訳なのかな」とか思っていたのだが、今日のこの考察を経て改めて思い返すと、そうではなく恐らく、「真剣にやっていると思われるのが恥ずかしい」のだ(と同時に、自分は真剣にやってないので、あなたもそんな真剣にやらないでよ、というメッセージもあるのだろう)。しかし実際には、その人も、明らかに真剣にプレイしていたし(結構長考するシーンがあった)、それを楽しんでいたのである。

■ゲームを真剣にやるのはまったく恥ずかしいことではない。それは野球と同じ。

このように、残念ながら海外ボードゲームをやっている人自身の中にも、「ゲームを真剣にやるなんて恥ずかしい」という固定観念に縛られている人がいるような気がする。しかし、それは、子供向けの運ゲームだけを対象にした「誤解」が発端であり、特に戦略要素の多いゲームを真剣に遊ぶのは、まったくもって恥ずかしいことではない。

例えば野球やサッカーを見ればわかる。あれも同じように、運と実力、戦略が入り混じった「ゲーム」だ。抽象化された駒や地図上でやるか、実際のグラウンド上で自分の体を使って遊ぶかの違いなだけだ。大の大人どころか企業がお金を使ってまでゲームに興じており、それが金儲けにまでなっている。もちろん大人による草野球、草サッカーも盛んだ。野球やサッカーに熱中するのが恥ずかしいことではないのなら、戦略ボードゲームに熱中するのも恥ずかしいことではない。「あれはスポーツであり、体を動かしているのだから良い」などという意見がもしあるのなら、じゃあ、体を動かさない、音楽鑑賞や読書、映画鑑賞に夢中になるのは「恥ずかしいこと」なのか?と問いたい。

「ボードゲーム」という言葉は、日本では「子供向けの運が中心のゲーム」という意味付けが、すでに一般的に浸透してしまった。このイメージを覆すのは容易ではないが、友人による「固定概念なんて、皆がやればあっさり覆される。ゲーセンも昔は不良しか行かなかったが、今は老若男女誰構わず」という言葉に勇気をもらって、これからも堂々とボードゲームを遊び、また普及していきたい。


【追記】
この記事を「UNO批判、人生ゲーム批判、運ゲー批判」と受け取る人がいるかもしれないので、念のため。もちろん、そうではありません。UNO、人生ゲームなどは、それぞれとてもよくできたゲームです。UNOなんて、誰かが「UNO!」と言った瞬間に、突然場の雰囲気が協力ゲームみたいになるあの感じはかなりワクワクします。その中で一人だけ上がれた時の快感なども。殆ど誰も使っていませんが、「チャレンジ・ルール」を適用した時のスリルも最高です。人生ゲームだって、「おい、おまえまだ結婚してないのかよ!こっちは子供3人だぜ?」「おまえみたいにエロくないんだよ!」みたいな気軽な会話を生める、楽しいゲームです。

この記事は、「日本では、なぜそういった、頭を使わなくても良いゲームばかりがいつも人気なのか? 日本人は頭を使うゲームが嫌いなのか?」みたいな所から出発しています。決して運ゲー批判ではありません。あしからずご了承ください。m(_ _)m


【追記2】
せっかくですので、私がお勧めする「運と戦略のバランスに優れた海外ゲーム」をいくつかご紹介します。
比較的ルールが簡単なものを選びました。いずれも定番ゲームですので、どれを買っても損はないと思います。
「戦略ボードゲーム」というと、「上手い人には絶対勝てないんでしょ?」と思われるかもしれませんが、そんなことは全然ありません。上手い人でも運が悪いと負けますし、たとえ負けたとしてもゲームそのものが面白いように出来ています。一度やってみると、わかって頂けるかと思います。

ちなみに、筆者自身は、こういうゲームばかりでなく、運要素の強いパーティー系ゲームも、もっと運要素の低いガチンコゲームも好んで遊びます。興味がある方は、私の所有ゲームリストをご覧下さい。

世界の七不思議(7 Wonders)
「せーの!」「ええーっなんだこの手札!」「好きなの建築してくれていいよw」「どうして誰もパピルス持ってないの・・・」
トレーディングカードゲームの世界における「ドラフト」という遊び方をそのままゲームのシステムに組み込んだ、今年の大ヒット作です。プレイヤーは3つの時代を経て、軍事力や科学力など様々な要素で自らの文明を発展させます。といってもやることは非常に単純で、「手札から1枚選んで場に出し、残りのカードを隣に渡す」だけ。2-7人まで同時に遊べて短時間で終わるのも特徴です。プレイヤー間の直接攻撃的な要素がないので、嫌な気分になることもないのが人気の秘密かもしれません。

チケット・トゥ・ライド・ヨーロッパ
「頼むっ!あの色来てくれっ!」「いったいどの路線を狙っているんだ・・・?」「まさか、最長路線狙いかっ!」「やっとつながったー!!」
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各自、ヨーロッパの路線図上に自分の色の「電車コマ」を配置していき、ゲーム最初に配られる「秘密のチケット」が示す路線上を自分の電車コマを使って繋ぎます。見た目にも美麗で楽しく、老若男女みんなでワイワイ遊べるライトな戦略ゲームです。今回紹介した中では比較的運要素が強い、パーティー寄りのゲームです。しかし、戦略なしに勝つことは到底できません。2-6人用です。

ドミニオン
「民兵です。全員手札を3枚になるまで捨ててください」「コロス!」「合計16金、属州2枚買いです」「マジでーっ!!」
トレーディングカードゲームの要素をボードゲーム的に解釈したらこうなった、という、世界的ヒット作です。TCGのようなデッキ構築を、ゲームを進行しながら進め、戦います。TCGのように「お金をかけたものが強い」ということもなく、ドミニオン1セットあれば2-4人で対戦できます。やる度にカード・セットが変わり、多様な戦略を楽しめます。経験が上達に直結している為、固定メンバーで何度も遊ぶのにお勧めです。(残念ながら、2011/8/4現在、品切れで価格が高騰していますが、本来は4000-5000円程度で入手できます。現在再販準備中とのことです)

カタンの開拓者たち
「誰か麦1枚と土1枚交換してくれない?」「いいよ」「ありがとう。じゃあ、この土でここに家を建てて・・・」「おい、ひどいじゃないかw」
ドイツゲームのすばらしさを世界に知らしめた定番ゲームです。モノポリーのような交渉要素を中心に据えつつ、「お金」の概念をなくし、さらにマップが二次元になることで陣取り要素に戦略的深みを持たせました。でも結局はサイコロ運が無いと勝てません。女性ファンも多く、今も世界中で遊ばれています。最近、日本語版が復活し、安価に入手可能になっています。3-4人用です。

カルカソンヌ
「あの地形タイル、こいっ!」「また道か・・・」「ねぇねぇ、要らないならその道、ここに置いてくれていいよw」「遠慮しときますw」
同じく定番ゲームです。正方形のタイルをひいて、「チクタクバンバン」のようにどんどん地図をつなげていき、同時にそこで陣取りをします。木製の人間コマがかわいく、ボードゲームの手触りの良さを実感させてくれます。かわいらしい外見とは裏腹に、他プレイヤーの邪魔をしたり陣地をのっとったりと、大人の駆け引きを楽しめます。2-5人用です。

ストーンエイジ
「えーっ、そっちのカード取るのかーっ!じゃあ自分はこの建物を取ろう」「そ、それは困る」「自分はまだまだ子供増やしマース!」
原始時代の家族の長となり、誰よりも早く自分の文明度を上げましょう。粘土や木材などの資源を「サイコロ」を使って獲得し、文明カードを集めたり建物を建築して勝利点を獲得します。ボード上の金や粘土、木材は早い者勝ち方式ですが、あっちを優先すればこっちが取れず・・・と悩ましい選択を常に迫られます。サイコロをいっぱい振って一喜一憂が楽しい、盛り上がる戦略ゲームです。2-4人用です。

髑髏と薔薇
「うーんうーん、どうしよう(ひとしきり悩む)・・・やっぱ降ります」「悩むって事はお前薔薇だな?(めくる)なんで髑髏なんだよぉぉぉぉ!」
今回紹介した中ではこれだけ毛色が違います。これは戦略ゲームというよりは「嘘つきゲーム」です。広義には「運ゲー」のカテゴリに入るでしょう。ただ、「手札の”髑髏”と”薔薇”の中から1枚選んで裏向きに出す」というだけのルールにも関わらず、「嘘のつきかた・だまし方」に様々な戦略があり、お互いをよく知った友人同士でやると、これでもかと言うほど盛り上がります。3-6人で遊べ、短時間で大笑いしながら遊べますので、上記の戦略ゲームを買う際に、ついでにこれもひとつ買っておくと、良いアクセントになるでしょう。個人的に「ごきぶりポーカー」よりも洗練されていると思います。


【追記3】
「運ゲーが人気なのはパーティーゲームで重宝するからでは?」という指摘が結構あるようなので、文章にいくつか手を加えました。この記事で考察しているのはそこではなくて(それは当たり前なので)、「じゃあ、どうしてパーティーゲームとしての需要しかないの?」というところです。パーティー以外にもボードゲーム・カードゲームを遊ぶシチュエーションはあるはず。それは麻雀や将棋、オセロなどの存在が証明している。にもかかわらず、日本ではそれら「博打・競技・パーティーゲーム」以外のゲームが殆ど遊ばれていないのはなぜなのか?ということです。「運ゲー」という(割とネガティブな)言葉を使ってしまったのが問題だったようです。最初から「パーティーゲーム」と書いておけばよかったですね(汗)

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