ゲームにおいて「勝つこと」を目指して欲しい理由

2011/01/13 7:23 に Jun Shin が投稿   [ 2012/05/07 19:00 に更新しました ]

【注意・追記2011/1/14】ちょっとこの記事を書いたことを後悔しています。この記事では、日ごろ思っていることをまとめるつもりで、共感してくれる人がいればいいかな、程度で書いていたのですが、見直してみると、結果的に他のプレイヤーとの壁を作るだけで、誰も幸せにしない記事だと気づきました。私は「勝ちを目指さないプレイヤー」であっても、本人に悪気がない以上それはなるべく受け入れたいし(積極的に一緒にプレイしたいとは思いませんが)、それもコミュニケーションのひとつだと思っています。決して壁を作ることが目的ではありません。この記事は公開したままにしておきますが、近日中にもうちょっと違った視点の記事を書こうと思います。これを読んでもし不快になられた方がいらっしゃったら、本意ではありませんので、ご容赦頂ければと思います。

 この記事を読む前に、大前提として私が「全てのプレイヤーは勝つことを目指すべき」などと言うつもりがないことを表明しておきたい。私が参加していない全てのゲームにおいて、他のプレイヤーがどのようなプレイ態度を取ろうがそれは当然自由だし、私は一切それを問題にしない。もちろん、私が参加しているゲームであろうと、私が他人のプレイにとやかく言う権利は無い。ここで書いているのは、「なぜ私がそう思うか」であり、単純な話、そういう人と一緒にプレイしたい、というだけの話である。この記事では、なぜそう思うのか、その方がいいと思うかを、なんとなーく説得力があるように見えるかなーって感じで書いてみたい(既に弱気)。繰り返すが、この記事の趣旨は誰かを批判したり「ねー、そういう人ホント困るよねー」という雰囲気をボドゲ会に持ち込みたいというものでは決して無いので、ご留意頂きたい。誰かを攻撃する目的で、この記事を引用しないで欲しい。人がボドゲに接する目的は、人それぞれなのだから。

 私がこの問題について最初に考えたのは、麻雀において、麻雀歴が私より長い友人が、私にこう言ったときだったと思う。

「麻雀って、賭けないと遊びプレイに走っちゃうからなー。」

 遊びプレイとはこの場合何かと言うと、「今回は国士無双しか上がらない」とか、「役満しか上がらない」などといった縛りプレイを自分だけやる、というような事である(「えっ、ゲームって最初から「遊び」じゃないの?」という話はこの際、置いといて・・・)。さらにこの場合、別に負けても構わない(だって何も賭けないなら、何も失わないから)。自分のゲームは、狙った役を上がれるかどうか、というものに変わっているからだ。目的に向かって一直線。振り込んでもOK。むしろ、役満ができそうにない配牌だったら振り込んで次の局に行った方がいいぐらい、となる。

 このようなプレイヤーがいると、普通に勝利を目指そうとするプレイヤーとしては、いささか調子が狂うことになる。何せ、そのプレイヤーは何にも警戒せずに危険牌を切ってくれるのだ。ポンやチーもしまくり。下家は非常にラクな展開になる。

 「別に、不利になるわけではないんだからいいじゃないか」と思う人もいるかもしれないが、別に他のプレイヤーはハンデ戦を望んでいるわけではないのである。勝って当然のゲームに勝っても、何も面白くはない。リーチ宣言をすると皆が警戒して自分の上がり牌を切ってくれなくなるかもしれない・・・でも、リーチして点数をアップしたい・・・そんなジレンマを乗り越えてうまく行くと嬉しい!のであって、リーチしようがしまいが関係なく牌を捨てていくプレイヤーが一人でもいたら、リーチした方が常に得だ(実際にはそれ以外にもジレンマはあるが)。つまり、そのプレイヤーは「リーチ」というルールの楽しさを一つ潰してしまっている事になる。

 「あるルールについて、それを楽しいと思うかどうかは人それぞれだろう。別に、危険牌を切ってはいけないというルールがあるわけではないのだから、それをとやかくいう権利は誰にもないはずだ。」という意見は、もちろんその通りだ。冒頭で書いた通り、それを否定するつもりはない。ただ、その行為によって楽しみを奪われている人がいることは、常に意識して欲しいと思う。複数人で1つのゲームを遊ぶというのは、そういうことではないだろうか。

 「そんなことを言っても、自分はこのルールの中で、役満を上がるという遊び方を楽しみたい。普通の楽しみ方はもう飽きてしまった。役満を上がる楽しみはまだそれ程多く経験していない。だから役満を上がりたい。それをダメだと言うのなら、あなたこそ私の楽しみを奪っていることになるのではないか?」そんな声も聞こえてきそうだ。仰る通り。気持ちはよく分かる。しかしはっきり言おう。「そんなやり方で役満上がって、本当に嬉しい・・・?」

 「うん、嬉しい!めっちゃ嬉しい!」と言われてしまえばそれまでだろう。というか、こんな嫌味な言われ方をされたら、きっとみんなそう答えそうだ。でもここは敢えてもう一度。「そんなやり方で役満上がっても、あんまり価値ないよね・・・」

 もちろん、「価値」なんてのは主観の問題であって、その人がそれに価値があると思えば、そこに価値はある。だから私がここでネチネチと嫌らしく攻撃しているのは、絶対的な価値ではなく、その人の価値観そのものだ(我ながら素晴らしい嫌らしさだ)。あなたはなぜ、役満を上がりたいと思うのか? それが難しい、なかなか成就しにくい役だからではないか? 勝つ事を放棄すれば、役満はその分上がりやすくなる。捨て牌に制限がなくなるからだ。みんな、「本当は役満を狙いたいけど、今そんなことを言っていたら負けてしまう。ここは安手でもいいからまずは親を下ろさなくてはならない」というジレンマの中で戦っている。それだけ役満を上がる機会は減るのであり、だからこそ価値があるのだ。だからその人は、自ら「自分が欲しいと思った価値」の価値を下げている事になる。

 ここまで言っておいて何だが、これがその人一人の問題であるなら好きにすればいいと思う。ハードルを下げて関門を「クリア」した気分になって楽しめばいいと思う。「私が上がった役満記録」を取り出して、今日の日付を書き込めばいいだろう。誰もあなたを責めない。しかし、問題は既に書いたとおり、他のプレイヤーの楽しみを奪っている点にある。

 最初に書いた通り、私は他人のプレイについてとやかく言う権利は無いと思っているし、それがルールに沿っているなら尚更だ。しかし、そのプレイが本当に意味のあることなのか、というのは、やる前に少し考えてみても良いのではないかと思う。

 さて、これだけの話だと、「そうは言っても、ルール内で楽しんでいるわけだしなぁ」という意見がやはり出そうだ。そこで、「本当にそれはルール内で楽しんでいると言えるのか?」という点を少し突っ込んで検討してみたい。

 ゲームとは、ルールという「制限」を楽しむものである。制限の中でいかに目的を達成するか、を楽しむものだ。そしてその制限は、多くの場合「してはいけない」という形ではなく、「それをすると負ける、又は不利になる」と言う形で明記される。例えばしりとりは、「前の言葉の最後の文字から始まる言葉で、お尻に“ん”が付かない言葉しか言ったら負け」というルールだ。これが「どんな言葉でも構いません。いくつ言っても構いません。言えなくても構いません。」だと、ちょっと面白みに欠ける気がする(なんだったら誰かこの「尻取らなくてもOK」を一緒にやってみませんか?)。だから、しりとりのこのルールは、このゲームを楽しむための生命線と言える。

 ここで、あるプレイヤーが毎回「ん」が最後に付く言葉を言い続けると面白い!と考えたとする。別に負けても構わない。だって「ん」が最後に付く言葉を言うと楽しいじゃないか!

 しりとりのルール上、「んが付くと負け」であって、「んが付く言葉をいってはいけない」ではない。「いってはいけない」と教えられた人もいるかもしれないが、厳密に考えてみると、しりとりのルールは「負けとなる条件」を定義しているだけなはずだ。だから、そのプレイヤーは別にルールを破っているわけではない。だから、仕方がない・・・のだろうか?

 この話は、さっきの麻雀の話とそう違わない。どちらの例も、ルール(の一部)を台無しにしているだけだ。ルールを破っているわけではないが、「勝つ事を放棄する」事で台無しにしているのである。そして、しりとりではルールが単純なだけに、それが致命傷となる、という点で際立っているだけだろう。「ルールを守っているのだから」というのを必ずしも正当化できない理由がここにある。

 ここから先はもう、読む人の判断に任せるしかないかもしれない。この話に対して、「それでもまぁ、負けることを受け入れているんだから、仕方がないんじゃない?」と言う人もいるだろうし、「いや、さすがにそれはダメだろ。ゲームが成り立ってない」と言う人もいるだろう。中には「それで皆がゲラゲラ笑って楽しいなら、それでいいんじゃないか? 逆にシラけムードになるようなら、やっぱりダメだけど」という意見もあるかもしれない。この辺は、これ系の議論が出る度によく出る意見と同じ結論だ。

 しかし、もしあなたが「このしりとりの例ではさすがにダメだと思うけど、これを全ての例に当てはめるのは乱暴じゃないか・・・」と思ったのであれば、問題は「じゃあ、OKとNGの境界はどこだろう?」という点に移ってくる(そうでないならダブルスタンダードになってしまう)。それは人によって違ってくるんじゃないだろうか。そして、プレイヤー間でその境界が異なる場合、一体どこで落とし所を見つければいいのだろうか?

 結局、「申し訳ありませんが、勝ちを放棄するのはナシでお願いします」が、複数人でボードゲームを楽しむ上で最低限の「ルール」ということになるのではないか、と、私なんかは思うわけなのである。

 とはいうものの・・・twitterでも書いたが、結局のところ、ボードゲーム人口というのは需要に対してまだまだ少なすぎる。そんな時にあんまりプレイ態度について口やかましく言ってしまうと、初心者が寄り付かなくなってしまう恐れがある。

 例えば、ゲーム会を開いて、カタンにおいて初心者の人が「資源、好きなのと交換しますよ(^^) 私、勝つことより、みんなが喜んでくれる方が嬉しいですから(^^)」というプレイスタイルを取ったとする。

 本人にはもちろん悪気はないのだろう。しかしここで、「それは困るんです。それをすると、ゲームが面白くなくなっちゃうんで」などと言ってしまったら・・・その人は「みんなに迷惑をかけてしまった」と深く傷つき、二度とこないかもしれない。そのような状況は私も望まない。

 かといって、そういうプレイをほっておくと、ゲームのルールがいくつか「台無し」になってしまい(この例だと、資源がその人から簡単に貰えるのでゲームの難易度が下がってしまう)、実際に他の人が楽しくなくなってしまう恐れがある。それもまた、望ましくない。

 これは本当に難しい問題だと思う。私自身は、本当にゲーム初心者ぽい人が自分の主催するゲーム会に来た場合には、「いちおうゲームの目的としては、勝つ事を目指してくださいね。どうしても勝ちたくなくなったら、それは仕方ないですが(笑)」などと最初に軽く伝えておく程度にしている。伝えておいて尚、勝利放棄的なプレイ態度があったら、「もうちょっと勝ちを目指してくれてもいいですよw」ぐらいは言うかもしれないが、そこから先はもう目をつぶるしかないと考えている。

 さて、ここからは余談になるのだが、ゲーム中に「もう、絶対に勝てない」と思ってしまったプレイヤーは一体どうすべきだろうか?

 理想的には、「それでも勝利を目指す」というストイックな姿勢が望ましい。が、そんなものは聖人でもない限り無理だろう。これがもしあと数分でゲームが終わるというなら我慢もできる。しかし、もう負けが確定した(と自分が信じている)状況で、あと30分以上もゲームが続くとなれば、とても「勝つことを目指す」なんて殊勝なことは言っていられない。自分の心は自分では騙せない。

 正直な話、自分が2位で1位を狙える状況の時に、負け確定の人が「あーもう悪いけど終わらせるわ」と言って通常の「勝利を目指すプレイ」ならあり得ない手を打ってゲームを終わらせちゃった時には、結構イラッとくる事もある。しかし、自分が負け確定の時になると、「もう、このゲーム終わらせたい・・・!」と思うのも事実なのだ。

 結局この問題は、誰が悪いのでもない、ゲームデザインの問題なのだろうと思う。ゲーム序盤から中盤で、差が付きすぎて逆転の芽がまったく見えない、という状況がそう簡単に起こってしまうのは、多くのケースで良くないゲームデザインだと思う。いくつかのゲームで勝利点をスクリーン(ついたて)の後ろに隠すようになっているのは、そういうのを少しでも避ける意味もあるのだろうと思う。

 とはいえ、やはり「勝利を目指さない」プレイというのは、ルール、ひいてはゲームを台無しにする。やはり、どんなに自分が勝てないと思っても、試合放棄は他のプレイヤーが楽しんでいるのを邪魔する行為だという前提で、試合放棄の許可をみんなに「お願い」するぐらいの謙虚さは持っていたいと思う。

 まぁ、いろいろ書いたけど、結局のところ、一緒にボドゲしてくれるだけでありがたいんですけどねw

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