3.1. 放射性核種放出と沈降

3.1.1. 放射性核種の源項

 チェルノブイリ原子力発電所4号機における事故は1986年4月26日の午前零時を少し過ぎた時間に発生した。予期せぬシャットダウンが発生した際のタービンにおける電源回復についての実験準備のために、事故前長時間にわたり原子炉は無計画な設定の下で運転されていた。事故の原因は多少込み入ったものではあったが、パワーレベルの異常な上昇によって原子炉内で冷却水が気化したことが原因と考えることができる。これがパワーレベルのさらなる上昇を呼び、原子炉を破壊した水蒸気爆発につながった。最初の爆発後、原子炉内の黒鉛が発火した。火災をコントロールするためのスタッフの英雄的な努力にも関わらず、黒鉛は何日も燃え続け、放射性物質の放出は1986年5月6日まで続いた。放射性物質の放出の再構成された時間経過を図3.1 [3.1-3.3] に示す。
 事故の発生はソ連当局によって即座にはアナウンスされなかった。しかし、放出は非常に大量であったため、フレッシュな核分裂生成物の存在がすぐにスカンジナビア諸国で観測され、可能な軌跡の遡及的な計算によって、事故が旧ソ連で発生したことが示された。事故のさらなる詳細と即時的な影響については、国際原子力安全諮問グループ[3.1]、国際アドバイザリー委員会[3.4]およびUNSCEAR[3.5, 3.6]によるレポートで得られる。
 事故によって放出され旧ソ連内に沈降した137Csの量に関する初期の推定は、ソ連の汚染された部分における空気中の放射定量に基づいてなされた。この推定によれば、40PBq (1 x 106 Ci)が沈降したことが示唆された。放射量の推定はその後何年もにわたって改良され、その結果旧ソ連内に沈降した137Csの総量についての現在の推定は初期の推定のおよそ2倍(すなわち80PBq)となっている。重要な核種の量に関する現在の推定値は表3.1の通りである。大量の放出があった核種のほとんどは短い物理的半減期をもつ核種で、長い半減期を持つ核種は大部分が少量の放出にとどまった。事故後間もない間は、放射線学的に最大の懸念となった放射性核種は131Iであった。その後注目は137Csに移った。
 2005年までに、事故によって放出された放射性核種の大部分はが崩壊し、懸念を呼ぶレベルを下回った。今後数十年に渡っても関心は137Csに、そして程度としては小さいが90Srに注がれるだろう。90Srはチェルノブイリ原子力発電所に密接した地域では、より大きな重要性を保っている。さらに長い期間(数百年から数千年)にわたっては、関心を引くと見込まれる核種はプルトニウム同位体だけである。今後レベルの増加が見込まれる唯一の核種は241Amであり、これは241Puの崩壊から生じる。241Puから最大量の241Amが形成されるまでにはおよそ100年がかかる。

3.1.2 放出された物質の物理化学的な形状

 破損した原子炉から放出された放射性核種は気体、凝集粒子および燃料粒子のいずれかの形状であった。燃料粒子の存在が事故の重要な特徴であった。核燃料の酸化が燃料粒子形成の基本メカニズムであった。酸化の度合いが小さい燃料粒子が最初の爆発の結果として生じ、主に西の方向に向かって放出された。その後のフォールアウトにおいては酸化の度合いが大きく水溶性の高い粒子が優位となり、これが多くの他の地域に沈降した。
 燃料粒子が酸化し散布される間に、一部の放射性核種の揮発が生じた。最初の雲が冷えた後、放出された核種のうち揮発性の高いものは気体相にとどまったが、より揮発性の低い核種は構成材料となる煤や破片の上に凝集した。従って、チェルノブイリの放出における放射性核種の化学的物理的形状は、核種粒子の揮発性および原子炉内部の条件によって決定された。相対的により高い蒸気圧を持つ放射性化合物(主要なものは種々の化学的形態における不活性ガスおよびヨウ素の同位体)は大気中を気体相で運ばれた。他の放射性核種(セシウム、テルル、アンチモニーなどの同位体)は大気中に主に燃料粒子の形で放出された。特定の場所での沈降における凝集粒子成分と燃料粒子成分との相対的な寄与度は、揮発性の階層を異にする放射性核種の活性の比から推定することができる。
 燃料粒子は放出源近傍におけるフォールアウトにおいてもっとも重要な部分を形作った。95Zr, 95Nb, 99Mo, 141,144Ce, 154,155Eu, 237,239Np, 238-242Pu, 241,243Amおよび242,244Cmのような核種は、燃料粒子のみをマトリクスとして放出された。90%以上の89,90Srと103,106Ru活性物もまた燃料粒子として放出された。チェルノブイリ原子力発電所敷地外に沈降した、90Sr, 154Eu, 238Pu, 239,240Puおよび241Amの、そしてそれゆえ核燃料それ自体の放出比率は、最近高々1.5±0.5%[3.9]と推定されたが、これは初期の推定[3.1]の半分であった。
 燃料粒子の化学的組成および放射核種組成は照射された核燃料のそれに近かったが、特に表層において、揮発性核種の割合が低く、ウランがより高度に酸化した状態にあり、様々な混合物を含んでいた。これと対照的に、凝集粒子の化学的組成や核種組成は広範囲に変動した。これら粒子における放射性核種の具体的な活量は、凝集プロセスの持続時間やプロセスの温度、そして粒子の性質などによって規定された。一部の粒子の放射核種組成はただ一つあるいは二つの核種、たとえば103,106Ruや140Ba/140La、のみに支配されていた[3.10]
 放出における放射性核種の形状が、その大気中の輸送の距離を決定した。ただ一つの核燃料晶子からなる最小の燃料粒子ですら、相対的にサイズが大きく(最大10μm)高密度(8-10 g/cm3)であった。その大きさのせいで、これらの粒子は2,30kmしか運ばれなかった。粒子のより大きな凝集物は発電所から数キロの範囲内でしか見つからなかった。こうした理由で、難溶性の核種の沈降は破損した原子炉から離れるにつれて大きく減少し、発電所敷地外では難溶性元素の痕跡のみが発見されただけであった。これとは逆に、気体状の核種やマイクロメーター以下の凝集粒子の多量の沈降が、チェルノブイリから数千キロメートル離れた場所でも生じた。たとえばルテニウム粒子はヨーロッパ中で発見された[3.11]。チェルノブイリから数百キロメートルのところで、137Csの沈降が1MBq/m2に達した[3.12, 3.13]。
 フォールアウトのもう一つの重要な性質は、水溶液中での溶解性に関連したものであった。これが沈降後初期の土壌中および表層水中における沈降した核種の可動性とバイオアベイラビリティを決定した。1986年4月26日から1986年5月5日まで24時間のサンプリング周期でチェルノブイリ気象台で採取された放射性降下物において、水溶性で交換可能な(1M Ch3COONH4を用いて抽出可能な)形の137Csは5%から30%以上まで変動した[3.14]。4月26日の沈降物のうち水溶性で交換可能な形の90Srは総量の約1%に過ぎなかった。この値はその後5-10%まで増加した。
 原子力発電所近くに沈降した137Csや90Srの低い水溶性によって、放出源から20kmの地点においてさえ、燃料粒子が放射性降下物の主要部分であったことがわかる。短距離においては水溶性で交換可能な形の137Csや90Srの割合は明らかに低かったが、これはより大きな粒子が存在するためであった。長距離では水溶性の凝集粒子の割合が増加した。一例をあげると、1986年に英国で沈降した137Csのほぼすべてが水溶性で交換可能なものであった。

3.1.3 事故経過中の気象条件

 事故同時、ヨーロッパの大部分の天気は巨大な高気圧に支配されていた。700-800mと1500mの高度で、チェルノブイリ原子力発電所地域は高気圧域の南西端に位置し、空気塊が北西方向に5~10m/sの速度で移動していた[3.12]。
 夜明けには、空気混合層の高度は約2500mであった。このため、混合層全域での空中破片の混合と、混合層高度の様々な層への放射能雲の散布が生じた。700-1500mの層内の事故時に由来する粒子は、北東に向かって移動する空気塊となってさらに散布され、その後北向きに転じた。このプリュームはスカンジナビア諸国で探知された。
 4月26日の地上レベルの空気は西および北西に運ばれ、4月27-29日にポーランドとスカンジナビア諸国に達した。南および西ウクライナ、モルドヴァ共和国、ルーマニア、スロヴァキア、ポーランドでは、天候は気圧場の緩勾配に影響されていた。その後の数日、低気圧はゆっくりと南東に移動し、気圧場の緩勾配といくつかのはっきりと定義されにくい気圧域とが旧ソ連のヨーロッパ区域の主要部分に広がっていた。気圧域の一つはGomelの南に4月27日朝位置した小さな地表周辺の低気圧である。
 事故後2,3日間、ヨーロッパ、日本および米国の空気中の放射線レベルの測定によって、最高7000mの高さまで放射性核種が存在することがわかった。爆発力、チェルノブイリ原子力発電所周辺の雷雨に起因する急速な空気層の混合およびチェルノブイリ原子力発電所とバルト海の間の温暖前線空気塊の存在が、放射性核種のそこまでの高度への輸送に貢献した。
 複雑な気象状況を理解するために、BorzilovとKlepikova [3.16]は、事故のさまざまな時点での活性単位の仮定入力パルスを用いて計算を行った。放出源の高さは、4月28日の14:00 (GMT) まで1000mが選択され、それ以後は500mとされた。6つの時間期間(GMT時間)についての計算結果は図3.2に提示されるが、長距離移送の条件は以下のように異なっていた。
(1) 事故の開始から4月26日の12:00 (GMT)まで。ベラルーシ、リトアニア、(ロシア連邦の)Kaliningrad地域、スエーデン、フィンランド方向
(2) 4月26日12:00~4月27日12:00まで。Polessye方向、次いでポーランドおよび南西方向
(3) 4月27日の12:00から4月29日。Gomel (ベラルーシ)地域、Bryansk (ロシア連邦) に向けて、次いで東へ。
(4) 4月29日から4月30日。SumyとPpltava地域 (ウクライナ) およびルーマニア方向。
(5) 5月1-3日。南ウクライナおよび黒海を横切ってトルコへ。
(6) 5月4-5日。西ウクライナ、ルーマニアへ、次いでベラルーシへ。
 ある地域が重度の汚染を被るかどうかが決まるのに、大気降下物が重要な役割を果たした。雲内洗浄rainoutのプロセス(雷雨系への取りこみ)と雲底下洗浄washout(汚染された空気塊中の降雨)が、放出された物質が地面に運ばれる重要なメカニズムだったのだ。特に、放射性物質沈降の大きなばらつきは、放射能雲が通過している間の降雨の有無に関係している。また、種々の放射性核種や同じ核種の化学的形態がどの程度の効率で雲内あるいは雲底下洗浄されるかに関しては性質の違いが存在する。
 事故経過中には多くの降雨が発生し、それらが、原子炉から遠く離れたところに、高度な地上沈降が起こった地域を幾つか生み出した。事故期間中の複雑な降雨状況の一例を図3.3に示す。この図は、事故から非常に重大な被害を受けたベラルーシ、ロシア連邦およびウクライナの各地域の、4月29日の平均1日降水量の地図である。
 乾燥沈降の場合、汚染レベルは低かったが、草木に捕捉された核種混合物は放射性ヨウ素同位体によって大幅に増加した。湿性沈降の場合、降下物中の核種内容構成は放射能雲におけるそれに類似したものであった。その結果、異なるタイプの沈降が起こった地域における放射性核種のレベルや比率は様々であった。

3.1.4. 空気中の放射性核種濃度
 空気中の放射性物質の活性濃度は旧ソ連および世界中の多くの場所で測定された。そうした空気中の活性濃度を2つの場所に関して図3.4に示す。ウクライナのチェルノブイリとBaryshvkaである。チェルノブイリの試料採取場所はチェルノブイリ市の測候所であり、チェルノブイリ原子力発電所より15km南東にあった。当初の空中物質濃度は非常に高かったが、2つのフェーズで低下した。数ヶ月にわたる急速な低下があり、数年にわたるより緩徐な低下があった。長期間にわたり、チェルノブイリ採取所はBaryshevka採取所(チェルノブイリ原子力発電所の約150km南東)より一貫して高い活性濃度を記録したが、これはおそらく再浮遊によるものであった。
 ローリング平均によって平滑化されたデータにあってさえ、長期間採取されたデータには幾つかの注目すべき特徴があった。1992年夏(第78月)に起こった明確に識別できるピークは、ベラルーシおよびウクライナでの広範な森林火災によるものである。

3.1.5. 土壌表面への放射性核種の沈降

 すでに言及されたように、広い地域にわたっての空中スペクトロメータでの調査が事故後すぐ、137Cs(と他の放射性核種)の土壌表面への沈降量を測定するために幾つかの国で実施された。沈降の地図作成においては、測定が容易であり放射線学的に重要であるゆえに、137Csが選択された。37kBq/m2 (1 Ci/km2)に等しい137Csの土壌への沈降が、暫定的な最小汚染レベルとして設定された。というのも、(a)このレベルはグローバル・フォールアウトによるヨーロッパでの137Cs沈降量の約10倍以上高いものであり、(b)このレベルでは事故後最初の1年の人間の線量が約1 mSvとなり、放射線学的に重要だと考えられるからである。沈降の外延と空間的偏差についての知識が事故の規模を規定し、外部および内部線量の将来のレベルを予測し、そしていかなる放射線防護策が必要であるかを定めるのに非常に重要である。それに加え、多数の土壌サンプルが収集され放射線学の実験室で分析された。
 こうして大量のデータが収集され、つづいて原則的にヨーロッパ全体を覆うアトラスの形で出版された[3.13]。ロシア連邦で制作された別のアトラス[3.12]は旧ソ連のヨーロッパ地区をカバーしている。その一例を図3.5に示す。
 図3.5.および表3.2から、事故によりもっとも重大な被害を受けたのがベラルーシ、ロシア連邦およびウクライナという3カ国であることは明らかである。1986年にヨーロッパの領土に沈降した約64TBq (1.7 MCi)の137Cs活量のうち、ベラルーシが23%、ロシア連邦が30%、ウクライナが18%を被った。しかし、上述の湿潤沈降プロセスのせいで、オーストリア、フィンランド、ドイツ、ノルウェー、ルーマニアおよびスエーデンにも入内名汚染地域が存在する。近隣の重度汚染地域に関するより詳細な一覧は図3.6に示される。
 土壌の水および風による浸食が、相対的に短い距離の局地規模での137Csの移行や再配分を招くかもしれない。風の浸食はまた、地域規模で土壌粒子と一体の137Csの移行を招くかもしれない。
 事故のすぐ後、半径30kmの立ち入り禁止区域(CEZ)が原子炉周囲に設定された。ベラルーシ、ロシア連邦およびウクライナでは、追加的な住民の移転がその後の年月に行われた。最終的に、116,000人が避難させられたか、移転させられた。
 1986年に137Csの土壌沈降量が0.6MBq/m2 (15 Ci/km2)以上であった総範囲は10,300km2であり、ベラルーシの6400km2, ロシア連邦の2400km2およびウクライナの1500km2を含んでいた。全体で、230,000の住民をもつ640の集落が汚染された領域に位置していた。1 Ci/km2 (37kBq/m2)以上の137Csが沈降した地域は、最大被害3カ国における社会防護についての法にしたがって、放射能汚染したと分類された。1995年にそうした汚染地域に暮らす人の数を表3.3に示す。
 事故のすぐ後、大きな関心が131Iによる食料汚染に注がれた。131I沈降の広域パターンを図3.7に示す。残念なことに、沈降後の131Iの急速な崩壊のせいで、詳細な分析のための数多くのサンプルを収集する十分な時間がなかった。当初は131Iと137Cs沈降量の間にはつい良い相関があると見積もられていた。しかし、これは常に正しくはないことが判明した。最近では土壌サンプルが収集され129Iについて分析されてきた。129Iは16 x 106 年の物理的半減期をもち、非常に低水準で加速器質量分光分析によるしか測定されない。Straumeら[3.19]はベラルーシにおいて採取されたサンプルについての分析の成功を報告しているが、その分析から彼らは、事故当時、131I原子一つにつき15±3の129I原子が存在したことを立証した。この推定割合が、人々の被曝線量を再構成する目的での131I沈降量についてのより良い推定を可能にする。
 表3.1.に示された関心を引く他の放射性核種にかんしても、同様の地図が描かれうる。90Srの沈降を図3.8に示す。137Csと比較すると、(a)原子炉から放出された90Srはより少ない物で、(b)ストロンチウムはセシウムより揮発性が低い。このため、90Sr沈降の空間的広がりは137Csのそれと比較してチェルノブイリ原子力発電所近くの地域に限定していた。土壌に沈降したプルトニウムの量も同様に測定された(図3.9)。3.7kBq/m2 (0.1 Ci/km2)以上のプルトニウム沈降があったほぼすべての地域は、CEZ内にある。

3.1.6. 沈降物の同位体組成

 表層放射能濃度のもっとも大規模な測定は137Csに関して行われた。他の核種、特に134Cs, 136Cs, 131I, 133I, 140Ba/140La, 95Zr/95Nb, 103Ru, 106Ru, 132Te, 125Sbおよび144Ceの値はリファレンス核種である137Csに対する比で表現されてきた。こうした比は場所依存である。というのも、(a)燃料粒子、エアロゾルおよびガス状放射性核種の沈降様式が異なるためであり、(b)放出時間にともなう核種組成の変化のためである。実際、こうした比率は時間がたつと必ずしも一定ではない。放出時間とそれに対応する放出の性質(たとえばコアの温度)に従って、放出比率の大きな偏差がチェルノブイリ事故後に観察された。
 西に移動した最初のプリュームは爆発フェーズ期間に発生した放出を運んだわけであるが、このとき露出したコアは以後のフェーズほど熱くはなかった。北から北東に移動した第2のプリュームは次第に熱くなるコアからの放出を運んだ。これに対し、主に南に移動した第3のプリュームは約2000℃まで上昇したコアからの放出によって特徴づけられる。そうした温度では、モリブデン、ストロンチウム、ジルコニウム、ルテニウムおよびバリウムといった揮発性の低い核種が容易に放出される。このフェーズの間、ヨウ素核種の放出も増加した。
 セシウム・ホット・スポットはベラルーシの遠く離れた地域や、ロシアKaluga, TulaおよびOrel地域で生じた。これら高度汚染地域における沈降した核種の組成は類似している。異なる放出ベクトルにおける、地上沈降物で観察された種々の核種の137Csに対する比を、表3.4に示す。
 西および北プリュームに関する放射能比は、南プリュームにおける比率とは対照的に、類似しており、多くのケースで同一であった。すべての放射能比率は、132Te/137Csの例外をのぞき、原子力発電所からの距離が増加するに従って低下を示した。この低下は、99Moや140Ba (2桁)あるいは90Srや103Ru (一桁)においてより、95Zrや144Ce(約3の係数)においての方が、深い物でなかった。131I/137Cs比については、係数約4でのわずかな低下が、1000km以上の距離で観察された。最初の200km以内では、比の変動は事実上観察されていない。


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