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開催概要

日時

2018912日(水) 13:30~(18:00終了予定)

 

会場

 早稲田大学(戸山キャンパス) 11会議室(33号館低層棟6階)

 〒162-8644    新宿区戸山1-24-1

交通アクセス

https://www.waseda.jp/top/access/toyama-campus

戸山キャンパス構内案内図

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発表要旨 

報告1
「地球表象と写真」
松井奈菜子(早稲田大学文学研究科修士課程)

 本発表は、地球儀と写真の類似点を浮かび上がらせ、地球表象と写真の関係について考察するものである。地球儀は、古代ギリシャの時代から、人々が地球を知る手段としてつくられてきた。かつては地球儀と天球儀がセットで販売され、人々の地球や天体への関心は常に途切れることはなかった。写真術の発明以降、天体写真や地球の写真は、人々に宇宙への好奇心を駆り立てている。
 地球が球体であるというイメージは、地球儀を通して人々が認識してきた。1889年第5回パリ万国博覧会では、地球の100万分の1サイズの地球儀が展示された。この地球儀は直径約13メートル、円周40メートルの大きさであり、地球儀を囲むように螺旋状のスロープが設置されていた。観者はここで地球儀を俯瞰することができ、見上げることもできた。この地球儀は、「大きな地球儀」でありながらも「小さな地球」という二重の感覚を観者に与える。これは、宇宙空間で地球の周りを飛行する以前の、地球を疑似体験する場であったと言えるだろう。19世紀は地理学や地質学が発展し、徐々に地球の姿が顕になる時期であった。それと同時に、人々の上空への関心も高まっていった。ナダールが気球から撮影した写真は、世界初の空中写真で有名である。ナダール以後、空中写真は飛行技術の発展とともに撮影高度が上昇していき、地上を俯瞰で観察する手段として利用されてきた。NASAのアポロ計画で月へ向かった宇宙飛行士たちによって、私たちの視点は地球上に留まることなく、宇宙から地球を捉えることが可能になった。それまで人々は地球に暮らしながらも、その地球自体を見たことがなかった。初めて本物の地球を目の当たりにした宇宙飛行士たちの言葉は、地球儀を通して知っていた地球との違いの気づきであった。
 写真術の誕生前は、人々は客観的に捉えられた自分の顔を見ることができなかった。同様に、現在でも宇宙に行くことができるのは限られた人々だけで、私たちは地球を見ることができない。唯一写真を通してしか見ることができないという点において、「私」の肖像写真も地球の写真も、自己イメージである、と言えるだろう。母なる大地は「私」の身体の一部であり、宇宙から写された地球は肖像写真なのである。以上を踏まえた上で、地球を見ることとは私たちにとってどのような意味を持つのかを考察する。



報告2
「東松照明と『日本』(1967年) ――「群写真」概念の誕生と発展を辿る、遡及的読解の試み――」
北澤周也(沖縄県立芸術大学芸術文化学研究科博士後期課程)


 本発表の目的は、1967年に写研より出版された東松照明(1930-2012)の二冊目の写真集『日本』を手掛かりに、東松が唱えた「群写真」概念の誕生経緯と発展を遡って解明することである。東松照明の初期写真集『日本』(1967年)は、東松が唱えた「群写真」概念の本質を写真集という形式において内包させた作品であり、そこでは「群写真」が、異なる時空間軸で撮影された写真群をイメージの類似性――構図やテクスチャーの類似――によって結合させることで表象困難な抽象概念――「戦後日本」――を、言わば事後的に立ち上がらせるシステムとして見出されるのだ。
 「戦後日本」のイメージで構成された『日本』は、東松が1955年から1967年までの12年間に撮影した写真のうち、その間に既に発表されたものや未発表のものを含め、新たに「再構成」した写真集である。本発表では、そこに見出されるような異質な写真群――作品群――を意図的に再構成するという行為に関して、その再構成のされ方に着眼する。というのも、東松による写真の再構成が、彼を特徴づける重要な思想に基づいているからである。それこそが「群写真」なのだ。
 「群写真」とは、東松が名取洋之助(1910-1962)の「組写真」のあり方に対して異議を唱え、写真の「読み方」の更なる可能性について主張し、提唱した東松のスタイルを決定づける概念である。東松によって「群写真」という言葉が実際に命名されたのは1970年のことであるが、その思想の前段は、1960年の「名取・東松論争」に見出すことが可能である。論争は、周知のとおり、写真の組み合わせと説明的なキャプションによって単線的なストーリーを明確に伝える手法としての「組写真」にこそ写真の可能性があると主張したベテランの名取と、当時「新しい写真」と評された若手写真家の東松との対立によるものであった。東松は、論争から10年後の1970年に「名取氏のいう組写真と区別するために」と前置きをした上で、自らの手法に「群写真」と命名したのである。
 以上を踏まえて特筆すべきは、『日本』が、「組写真」からの決別を宣言した1960年の論争から、自らの方法論に対する明確な命名と定義が成された1970年までの葛藤と自立の10年間のうちに制作された作品であるという点だ。それ故、『日本』の内部には「群写真」の誕生と発展の痕跡を数多く見出すことが可能なのである。
 本発表では、先行研究は存在するものの未だ不明瞭な点が数多く残されてきた「群写真」概念の本質を明らかにすると同時に、写真集という書籍形態の中で試みられた「群写真」には編集上のシステムとして如何なる普遍性が見出されるのかという点を、『日本』を主たる手がかりとして、「名取・東松論争」及び戦前の写真状況にまで遡及することで明確にしてゆく。



報告3
「菅木志雄の「写真」について」
孫沛艾(明治大学理工学研究科博士後期課程)


 本発表ではもの派の代表的な作家である菅木志雄の「写真」について考えてみたい。とくに初期の屋外での仮設的作品が撮影されること、また2006年以降頻繁に行われるようになったそれらの作品の再制作の機会に、再び撮影されることを題材に、それらの写真の中に、どのような思考と論理が内包されているのかを考察したい。
 まず、菅だけではないもの派にとっての制作行為である物体表出と写真との関係を探り、そのことが日本美術史でどのように位置付けられていたのかを確認する。そのうえで菅以外に、写真を用いて表現していたもの派あるいはその周辺に位置づけられる高山登と榎倉康二と菅木志雄の異同を論じる。
 彼らの作品で写真が用いられる目的の一つは、持続的・反復的に展示できない仮設的な美術作品を写真メディアの「記録性」に依存することで、実質的に代行させようとすることであった。1960年代、アメリカ人美術家ロバート・スミッソンは美術作品と展示場所の関係を探り、「サイト」(site)と「ノン・サイト」(non-site)の概念を導き出した。菅もまた、スミッソンの理論を踏まえた上で、エッセイでスミッソンの「行為の性質」についての論考を残している。
 菅のスミッソンに対する関心の深さを考える上で、当時の「アースワーク」の文脈と写真の関係は非常に重要である。スミッソンもまた写真や映像と深く関わりを持った作家であるが、アースワークにおけるスミッソンの作品写真の意味を加味しつつ、菅の屋外での設置について議論を展開したい。
 例えば1971年当時、アトリエを持っていなかった菅は「変則的」なやり方で、初期の代表作《狀況律》を制作した。イメージや感情の働きを一切排除する菅は、その代わりに思考や理念の多様性、場や状況の事実性などのほうをより制作上の重要なファクターとしていた。《狀況律》においては、湖水に浮かぶ強化プラスチックでできた板が水中に少し沈んでいる、一方で水面を通して見ることができる。このような状態はさらに大がかりで高名なスミッソンの代表作《スパイラル・ジェッティ》と同様、写真や映像によってしかうまく全体的に把握しにくいものである。
 また菅は《狀況律》のような作品について、出来上がった当初はたしかにそこにあるのだが、客体に対する意識の流通作用がなくなると同時に、事物は解体するのだと言う。この局面について菅は、「有る」状態から「在る」状態に移行するのだと考えている。「有る」は「在る」に比して、観念や意識を前提にした存在の仕方を指しており、「在る」状態にすること、すなわち露わな物の実在(物自体)を出現させるためには、「有る」状態を時として「強引に」突き崩す必要があると菅はみている。「在る」状態は人間の個人的な観念と意識に囚われている「有る」状態よりも、永続性・普遍性と連関するが、このような「状態を超えてある」状態は、「仮設」されるほかはない。こうした逆説に、「永続性を仮設性によって表出する」という菅の造形的なプロセスは、写真がはかない一瞬を凝結させることで、永続性を指示する構造と相似性を持つとみることができる。菅の仮設的作品を写した写真は、ものそれ自体ではなく、そのものが置かれた周囲を含めた状況全体を記録し、保存するのである。
 別の見方でいえば、菅の言う「有る」は刹那の存在と理解してもいいだろう。それと対照に、「在る」は永続的な状況を指している。刹那の存在が如何にして永続的な状態に移行しうるかというのは、菅の造形の矛盾に満ちた問いである。しかし、それは菅だけの矛盾ではあるまいし、仮設的提示の矛盾であり、かつ写真というメディウム/表現自体の矛盾とも言える。
菅のものの扱いは、「もの」と「もの」、「もの」と「場」、「もの」と「人」をつなぎ、囲い、相互依存させる。まるで、ものが新たな視覚の形式や状況まで出現させるかのようだ。そして、写真だけではなく、映像、映画、ミステリー小説と様々な手法を用いて多角的に、可視的な世界だけでなく不可視性をも取り込みつつ、根源的な世界の在り方を抽出しようとするのである。本発表ではそうした菅の試みの中で、写真の機能がどのような範囲と形式で関与しているかの一端を明らかにしたい。