カポエイラ・デスポルチバ

Capoeira Desportiva

異種格闘技戦のリングでのカポエイラの試合や運動競技としての体系化は昔から行われ、今ではカポエイラのオリンピック種目入りを目指す国際連盟も活発に競技大会を開催しています。

異種格闘技戦 Vale-Tudo

リオデジャネイロ市の異種格闘技戦の歴史は古く、1909年に行われたカポエイラと柔術(柔道)の試合は新聞や雑誌の一面を飾りました。当時、ブラジル海軍で柔道を指南していた三浦鑿(みうら さく、1881-1945)は、あいさつを交わそうとした瞬間に不意を衝かれ、対戦相手の船荷の積み降ろし人足フランシスコ・ダ・シウヴァ・シリアコ(Francisco da Silva Cyríaco, 18??-19??)が放った《エイの尻尾》(rabo de arraia)と呼ばれる蹴り技をまともに食らい、開始のゴング直後にノックアウトされました。[1] カポエイラが違法だった時代にもかかわらず、『ブラジルのカポエイラジェンが日本の柔術を打ち負かした』との報道はリオっ子のナショナリズム感情を刺激しました。

Careta, A capoeiragem vencedora do jiu-jítsu. Ed. 52, 29 de maio de 1909.[2]

1920年代終盤に行われたカポエイラ使いのサムエウ(Samuel)とブラジリアン柔術の創始者カーロス・グレイシー(Carlos Gracie)の《ルールなし》の対戦は、後に大ブームとなった《何でもあり》の異種格闘技戦「Vale-Tudo」(バーリトゥード)の原点とされています[3] カポエイラ・ヘジョナウ(Capoeira Regional)の創始者メストリ・ビンバ(Mestre Bimba)も1930年代にサルヴァドール市のリングで名を揚げ、カポエイラは格闘技として民衆に受け入れられていきました。

一世紀前にシリアコの放った蹴りが三浦を倒したように、バーリトゥードが原形とされる現在の総合格闘技(Mixed Martial Arts)で、カポエイラの技は今でも猛威を振るっています。また、カポエイラの床の動きをブラジリアン柔術のパスガードに取り入れられたり、柔術の組技を使った【capo-jítsu】(カポジツ)、つまり「capoeira」(カポエイラ)+「jiu-jítsu」(柔術)も一時期話題になりました。

国民体操 Gymnástica Nacional

20世紀前半のリオデジャネイロ市で、カポエイラ(カポエイラジェン)を体技として《ブラジル体操》や《国民体操》の名称で取り上げた『Guia do Capoeira ou Gymnastica Brazileira』(ODC, 1907)[4] や『Gymnástica Nacional (Capoeiragem) Methodizada e Regrada』(Burlamaqui, 1928)[5] などの手引書が出版されました。

Aníbal Burlamaqui (Zuma), Gymnástica Nacional (Capoeiragem) Methodizada e Regrada,1928.

カポエイラ史初となる競技規則が記載された『国民体操』(Gymnástica Nacional)では、著者のズマ(Zuma)ことアニバウ・ブルラマキ(Annibal Burlamaqui, 1898-1965)はボクシングの試合のルールをカポエイラに当てはめて、自身が考案した3つの攻防を含む28つの技を一部写真付きで解説しました。

Marinho, "rabo de arraia", 1945.[6]

また、カポエイラ(カポエイラジェン)の実践理論をテーマにした著書『Subsidios para o Estudo da Metodologia do Treinamento da Capoeiragem』(Marinho, 1945) では、ズマの技の写真が見やすくイラスト化され、現在と異なるリオデジャネイロ市の古典的なスタイルの技の名前とそれらのやり方の説明などが非常に興味深いです。

実用的なカポエイラ Capoeira Utilitária

20世紀中頃のリオデジャネイロ市に【カポエイラ・ウチリタリア】(Capoeira Utilitária)、つまり《実用的なカポエイラ》がシンニョジンニョ(Sinhôzinho)ことアジェノル・モレイラ・サンパイオ(Agenor Moreira Sampaio, 1891-1962)によって考案されました。

Vale-tudo, Carlson Gracie vs. Luiz Pereira de Aguiar (Cirandinha). Rio de Janeiro, 1953.

シンニョジンニョのカポエイラは音楽と無縁で体術に特化し、弟子は異種格闘技戦のリングでブラジリアン柔術のグレイシー一族と対戦を交え、カポエイラ・ヘジョナウのメストリ・ビンバの弟子等とも対決して勝利を収めて活躍しました

様式化されたカポエイラ Capoeira Estilizada

1960年代にメストリ・カルロス・セナ(Carlos Senna, 1931-2002)は《様式化されたカポエイラ》、つまり【カポエイラ・エスチリザダ】(Capoeira Estilizada)と呼ばれたスタイルを考案し、アンゴラとヘジョナウに次ぐ第3のカポエイラ・スタイルとして高く評価されました。

Realidade, As três escolas, 1967.[7]

メストリ・カルロス・セナはメストリ・ビンバの弟子で、1955年にサルヴァドール市で「セナヴォクス・カポエイラ研究指導センター」(Centro de Pesquisa, Estudo e Instrução de Capoeira Senavox)を創設しました。スポーツ的要素を強調するために導入した白いユニフォームの「アバダー」(abadá)やあいさつの掛け声「サウヴィ」(salve)、段級位制と競技形式は後のカポエイラ・コンテンポラニアにも多大な影響を与えました。[8]

カポエイラの競技大会 Competições de Capoeira

1969年にカポエイラ特別部署(Departamento Especial de Capoeira)がブラジル・ボクシング連盟(Confederação Brasileira de Pugilismo)に新設され、その下で作成されたカポエイラ競技規則(Regulamento Técnico de Capoeira)は1973年に全国スポーツ評議会(Conselho Nacional de Desportos)議決、同年からブラジル全国カポエイラ大会(Campeonato Brasileiro de Capoeira)が開催されるようになりました。[9]

2017年に民間企業のレッドブルはカポエイラのメッカとされるブラジル北東部のサルヴァドール市で世界大会「Red Bull Paranauê」を開催しましたが、大会のスローガン「世界で最も完成されたカポエイリスタを求めて」(buscar o capoeirista mais completo do mundo)は先人たちへの"侮辱"であるとカポエイラ界から厳しい批判を受けたり、一企業のマーケティング戦略としてのカポエイラ大会の意義が問われたりして、2018年の第2回を最後にその幕を閉じました。[10]

国際的な団体に成長したカポエイラ・コンテンポラニアのいくつかのグループでは、国をまたいで身内同士で世界大会開催されることがありますが、世界カポエイラ連盟は2011年の設立当初から世界トーナメント開催し、競技大会らしくゼッケンを着けた選手や審判がジャッジするカポエイラの試合の動画は多くのカポエイリスタの注目を集めました。

また、コロナ禍中の2021年に世界カポエイラ連盟はオンラインで個人演武の世界大会「Joga Maneiro 2021」や「Joga Legal U18開催、日本から参加した男女数人の選手が優勝・準優勝を飾り、大活躍しました。

脚注 Notas

  1. 前山隆 『風狂の記者: ブラジルの新聞人三浦鑿の生涯』 御茶の水書房 2002 137ページ

  2. Biblioteca Nacional Digital - Hemeroteca Digital - Careta, A capoeiragem vencedora do jiu-jítsu.Ed. 53, 29 de maio de 1909.

  3. Lise, Riqueldi Straub. Capraro, André Mendes. Primórdios do jiu-jitsu e dos confrontos intermodalidades no Brasil - contestando uma memória consolidada. Revista Brasileira de Ciências do Esporte, 2018.

  4. ODC (Ofereceço, Dedico e Consagro à distinta mocidade). Guia do Capoeira ou Gymnastica Brazileira, 2a.ed. Rio de Janeiro: Livraria Nacional, 1909.

  5. Burlamaqui, Annibal. Gymnastica Nacional (Capoeiragem) Methodizada e Regrada. Rio de Janeiro, 1928.

  6. Marinho, Inezil Penna. Subsídios para o estudo da metodologia do treinamento da capoeiragem. Rio de Janeiro: Imprensa Nacional, 1945. pp. 89-90.

  7. Biblioteca Nacional Digital - Hemeroteca Digital - Revista Realidade, É luta, é dança, é Capoeira. Ed.11 fevereiro, 1967.

  8. Afro-Brazilian Capoeira Association - Mestre Carlos Senna

  9. Jaqueira, Ana Rosa Fachardo. Fundamentos histórico-sociais do processo de desportivização e de regulamentação desportiva da capoeira. Coimbra, 2010.

  10. Ana C.N.S., Beatriz L.P.. O Red Bull Paranauê sob uma ótica Folkcomunicacional - reflexões de patrimônio, identidade e competição. RIF, v.16, n.36, 2018.