TODAY’S HAIKUバックナンバー

2016/03/29

いぬふぐり始終弱火の台所 野住朋可 【季語/いぬふぐり(春)】

 コトコトコトコト何を煮ているのかしら。豆?厨の光景といぬふぐりとの取り合わせは景色を作るのは屋内と屋外の違いがあって難しいけれど、いぬふぐりの咲く季節の雰囲気としてはよくわかる。ふぐり、という言葉の響きと、なにかが煮ふくめられる音の響きもいい、と言ったら叱られるだろうか。それにしても、あの可憐な花に「いぬふぐり」とは、気の毒な名前。一時、差別用語がつく魚の名前の改名があったけれど、この花も「ホシノヒトミ(星の瞳)」とする案はあったそうだ。でもやはりいぬふぐりはイヌフグリが良い気もする。

本HP「メンバーの近作五句」(2016215日)より。作者は本HP日曜執筆で1年書き通した、伊丹俳句ラボで売り出し中の20代女性。

 さて、このスタイルの本HPは明後日で終了。4月からは講師陣3人(杉田・久留島・藤田)プラス私の新企画がはじまる。詳細は41日発表する。(塩見恵介)

2016/03/27

雑に蒔く事の楽しき花の種  西村麒麟 【季語/花の種(春)】


    まずはこの句を2回くらい黙読する。その後2回くらい声に出して読んでみて、そうしてまたもう一度、目で字を追いかける。そうやって読んでみてほしい。1年間こんだけぺちゃくちゃ言っといてなんだけど、私は詩は黙って読むものだと思っている。
    でもやっぱり、この句についてしゃべりたい。イメージが溢れてくる句だ。ふかふかで湿った土や、花の種のつぶつぶの手触り、春のほや〜っとした空気。ビールでも飲みながら、適当にぱらぱら種を蒔こう。おう、大きくなくてもいい花を咲かすんだぞ。ああ、楽しい。優しい、いい句。みなさんはどのように読まれただろうか。
    作者は、1983年大阪市生まれ広島県尾道市育ちの俳人。掲句は第5回田中裕明賞受賞の句集『鶉』より引いた。

    最後なのでもう一言(しゃべりすぎ)。このHPの更新も、花の種を蒔くことに似ていた気がする。ほどよく適当で楽しかった。ありがとうございました。いつかいい花が咲きますように。(野住朋可)

2016/03/26

花の夜の無口になつてゆく二人 杉田菜穂 【季語/花の夜(春)】

東京でも桜の開花宣言があった。早咲きの桜はもう見頃だが、寒の戻りで今年のソメイヨシノは見頃が長いらしい。だんだん無口になっていく二人、一見すると肌寒くさみしい寛治だが、実はだんだん暖かくなって、寄り添うふたりは言葉のいらない関係になっていくのかもしれない。

掲句は当HP近作5句、3月7日掲載「花の夜」から引いた。作者は「運河」、「晨」同人。句集に『夏帽子』『砂の輝き』がある。大学では社会政策を講じる気鋭の経済学者。普段も小気味よい口跡で句会を盛り上げてくださる。

一年間続いていた「伊丹俳句ラボ」も、私の更新は今日でおしまい。これでひと段落、と思っていたら、3/22の塩見氏の更新で思わぬ「私信」が提示された。句会も講義も、一緒に汗を流すのが大切ではないか、という問題提起。学生と年齢の近い私は、むしろ教室で一定の距離をとるほうに意識が向きがち。すこし背伸びしていないと学生も後輩もすぐに私を抜かしていってしまうから先回りを心がけているのだが、実際には自転車操業であっぷあっぷしている。喧嘩をするにも、もうすこし腰を据えなければいけないかも。(久留島元)


2016/03/25

もんじや焼きの土手を崩しぬ花粉症 篠崎央子【季語/花粉症(春)】

花粉症の季節がやって来た。くしゅんくしゅんとくしゃみをしながら、もんじゃ焼きの土手を崩している。花粉症は鬱陶しいと思いながら。

もんじゃ焼きは混ぜながら焼くために水分が多い。

お好み焼きは具と生地を混ぜた後か、または混ぜずに重ねて鉄板で焼く。お好み焼きともんじゃ焼きは少し趣が違うようだ。

水分の多いもんじゃ焼きは、花粉症の症状も想像させてピッタリと合う感じで面白い。

作者は、1975年、茨城県出身。世田谷区在住。2002年「未来図」入会。鍵和田秞子に師事。のち同人。超新撰21入集俳人。第4回北斗賞次点。

2016年1月14日刊行の俳句あるふぁ 味の歳時記より。


(藤田亜未)

2016/03/23

終の字のアニメ並んで桜咲く 今井博之 【季語/桜(春)】

作者の今井さんは、某研究所の研究者。仕事上の付き合いの延長で今井さんと俳句もどきの交換をするようになってもう一年が経つ。映画やテレビに詳しい今井さんらしい作品で、昨年の今頃にメールで受信したもの。この時期はいわゆる改編期で、テレビやラジオのいくつかの番組が終了し、新しい番組が始まる過渡期。最終回を迎える番組が増えて、3月末から4月はじめには改編期特別番組などの放送が増える。まさに、桜の頃だ。(杉田菜穂)


2016/03/22

来年は蝶に好かれる僕になる  久留島元 【季語/蝶(春)】

 

季語は、蝶で春季の句としたが、やはりこの句の叙述では、歳暮の感慨かもしれない。

伊丹俳句ラボ初年度だった「平成24年度伊丹俳句ラボ ~若い世代のための若い講師による句会~ 作品集」より。作者はこの講座の講師。1985年生まれだから当年31歳。

 はやこの俳句ラボも3年が過ぎ去ろうとしているが、作者は蝶の世界でフィーバーを起こしている

  さて、ここからは久留島氏への私信。「関西俳句なう」でもこの「伊丹俳句ラボ」でも貴兄とは共に仕事をした。現在、同志社大学をはじめ複数の大学の非常勤講師を勤めていて多忙の様子。専攻の中世妖怪文学の講義は少なく、多くは表現作法や俳句の創作講義であることを今年度の「作品集」でやや韜晦をこめてこぼしているが、少し先輩風を吹かせてもらうと、この書き方は正直、誰も共感しないよ。俳句のグループにあって、俳句を最優先しないことを言ってどうなる、という感じだ。与えられたポジションを必死でがんばることで仕事に意味がでて、楽しみも出てくる。

 同女大の講義記録の作品集もなかなか苦戦と連絡があったが、スマートにしようとせず、学生と一緒にが汗をかいたり、周囲に相談して進めたらどうだろう。句会も、講義も、プロセスをチームで苦労して楽しむものであって、できたものは結果でしかない。貴兄が、ときに口にする「僕の指導している学生は・・・」という言葉、あれは前から気になっている。30歳になりたての貴兄。学生と同レベルで喧嘩もできる時期だ。「指導」という言葉に少し抵抗をもって使ってくれたらいいな、と思っている。句集を出し、家庭ももち、日常は俳句以外で汗しながら作句生活を送る藤田亜未講師という、目標にできる同年代ライバルに刺激をもらっていることも、俳句の中に居る貴兄には恵まれた環境で羨ましい。 

 華やかに空を舞う蝶になるには、まず、芋虫。鳥の追われ、雨に打たれ、来年も泥臭く葉っぱにしがみついて生きて下さい。(塩見恵介)



2016/03/21

行き先はこれから決める春ショール  安岡麻佑 【季語/春ショール(春)】


 外はいいお天気。窓の外に漂う春の陽気を満喫しに行かずにはいられなくなる。
 どこに行く、なんてことはなんにも考えていない。部屋着で外に出るわけにはいくまい、だからといってちゃんと粧し込んでいこうなんて、そこまで気合を入れるのもおかしい。ほどよくお洒落で、動きやすくて、そして機能的な、ショールを肩に掛ける。ちょっとしたお出かけ、というような気分だろうか。
 気分だけが先走って、でもそういうのもまあいいや、なんて春の気分。
 『俳句αあるふぁ 2016年4・5月号』より。作者は関西俳句会「ふらここ」所属、この4月から大阪大学4回生となる。
  (仮屋賢一)


2016/03/20

としごろの顔して亀の鳴くことも 堀本裕樹 【季語/亀鳴く(春)】


 先週の土曜と今日、近所の池に亀を見にいった。先週は天気が良かったから大勢の亀が日向ぼっこをしていた。ほとんど動かないのだが、たまにぽちゃんと池に飛び込みすいすい泳ぎだす。今日は曇り空だったので、日向ぼっこをしている亀はいなかった。5匹ほど、気ままな様子で泳いでいるのを眺めてから帰る。  少しだけ顔を水から出して泳ぐ姿は、なんとなく鳴きそうな雰囲気がある。「きゅうきゅう」とかそんな感じで。いや鳴かんけど。鳴かんのは知っとるけどなんか鳴きそう。「亀鳴く」はそんな季語らしい。なんじゃそら。
 少しだけ顔を水から出して泳ぐ姿は、なんとなく鳴きそうな雰囲気がある。「きゅうきゅう」とかそんな感じで。いや鳴かんけど。鳴かんのは知っとるけどなんか鳴きそう。「亀鳴く」はそんな季語らしい。なんじゃそら。
 さて掲句の亀はただ鳴くんじゃない。「としごろの顔」で鳴くのだ。としごろの初々しさと照れと若さという絶大な自信とその他諸々…どんな顔なのか。気になる。作者に解説してほしい。めっちゃ顔見たけど、目の判別さえ定かではないもの。
 作者は昭和49年和歌山県生まれの俳人。現在「いるか句会」「たんぽぽ句会」主宰。日本学校俳句研究会顧問。俳人協会会員。掲句は句集『熊野曼陀羅』より引いた。( (野住朋可)



2016/03/19

白魚が積もってひと一人分 奥田祐子 【季語/白魚(春)】

白魚は春の訪れを告げる味。蒸したり煮たりすると真っ白になる。かたまりになっている白魚は、黒目が可愛いような不気味なような、不思議な気がするが、どれだけ集まると「ひと一人分」になるのか。体積重量であるとすればたいへんな量、たしかに「積もる」ほどに違いない。生まれ変わって白魚になったとしたら、「ひと一人分」になるために何千匹にもならなくてはならぬ。

作者は同志社女子大学出身、二十代の作家。掲句は甲南大学の俳句サークルが発刊している「( )俳句通信」第六号の招待作品「吹雪なる」から引いた。ほかに「誕生日なのに私はまだカエル」「やることを全然しない汗拭う」「守っても守っても栗のように死ぬ」など、俳句的な文脈に規定されない自由自在な言葉遣いが魅力的だ。

本欄でもたびたび言及されてきた「( )俳句通信」は、川嶋ぱんだ氏を中心に熱心な活動を続けていたが本号で休刊となり、四月からは卒業生が中心となって「鯱の会」が発足するそうだ。休刊は残念だが、彼らの新たな活躍に期待したい。(久留島元)

2016/03/18

愛猫は店番の猫春の猫 川嶋健佑 【季語/春の猫(春)】

歳時記には、春の猫、猫の妻、猫の夫、恋猫等が傍題として掲載されていて、早春の猫の発情期を迎えた猫の行動をさす。

この句の猫はお店の看板猫で、飼い主にも買いもの客にもとても愛されている。

春のほのぼのとした日常が描かれた句である。この句からは雌猫をめぐって争った雄猫の荒々しさが感じられないので、きっと雄猫に大事に愛されている雌猫なのだろうと推測している。

作者は、伊丹柿衛文庫で行われている俳句ラボの講座では、参加者のなかでもとびきり若手で句座を盛り上げてくれたり手伝ってくれたり頼もしい。この春から新社会人になる作者の、今後の俳句人生が豊かになることを願っている。

作者は、現在「船団の会」会員、「鯱の会」会員、 「神大短歌会」会員 、つくえの部屋sites.google.com/site/roomofdes…というHPの亭主を務めている。

掲句は、平成28年3月刊行の 平成27年度若手による若手のための俳句講座「俳句ラボ」作品集 「十五番街の猫」より抜粋。

(藤田亜未)

2016/03/17

持病とふ枝垂れ桜の具合かな 夏木久 【季語/枝垂れ桜(春)】

 「持病」を「とふ」のは人間か「枝垂れ桜」か、はたまた「具合」か。「桜」は日本の美の代名詞であるとともに、はかなさの象徴でもあり、「持病」を抱える人間への慈しみと二重化する。とりわけ「枝垂れ桜」であることは、植物のうなだれる様子から、「持病」の経過を暗示するかも知れない。また「具合」は「桜」の枝垂れ「具合」であるとともに、身体のそれでもあるだろう。掲句は〈吉野山去年のしをりの道かへて まだ見ぬかたの花を尋ねん〉という西行の歌の後に置かれている。「枝垂れ桜」はあるいは「まだ見ぬかたの花」であろうか。掲句は「古人今昔譚・幻景三」と題された20句連作より。BLOG俳句新空間媒体誌『俳句新空間No. 3』所収。(瀬越悠矢)

2016/03/16

雁帰る空を恋てかまよひ猫 松瀬青々 【季語/雁帰る(春)】

日本で冬を越して北方へ帰ってゆく雁とまよい猫を詩的に関連づけた作品。この句は、36日(日)まで開催されていた柿衞文庫(伊丹)の新春特別展・大阪俳句史研究会設立30周年記念「俳画のたのしみ 明治・大正・昭和編」で出合った。松瀬青々(まつせ・せいせい;1869 - 1937)が描いた猫の絵と松瀬青々が詠んだ猫の二十句で一つの作品となっていて、掲句はその二十句のなかの一つ。この作品に描かれた首に赤いリボンを巻いた猫が何とも愛らしかった。松瀬青々は多くの俳画を遺していて、俳画の個人展覧会を開くほどであったという。公益財団法人柿衞文庫編「俳画のたのしみ 明治・大正・昭和編」(図録)、2016年、49頁、から引いた。(杉田菜穂)


2016/03/15

梅田駅マスク次々降りるのだ 松本ゆきこ 【季語/マスク(冬)】

 インフルエンザの流行もおさまりつつあるが、余寒なお、といった3月。今日の句、ほんとうに見える世界を見えたまま詠んでいるが最後の「~のだ」という表現がつくことで、なにかおどろおどろしい。そのおどろおどろしさを楽しむふうでコミカルともとれる。

 「平成27年度若手による若手のための俳句講座『俳句ラボ』作品集」(公益財団法人柿衞文庫也雲軒 平成283月)からひいた。作者はこの講座を初期から楽しんでおられる私と同年(1971年生まれ)のメンバー。大の野球ファン。この集中のエッセイでも〈俳号を「松本ユキコウ」「松本ユキヒョウ松」などと変更してどんどん自分からかけ離れていきたい〉と述べている。賛成!(塩見恵介)

2016/03/14

卒業の空のうつれるピアノかな  井上弘美 【季語/卒業(春)】

 きれいに磨かれたピアノがある。音楽室のピアノかもしれないし、体育館のピアノかもしれない。窓から覗く空が真っ黒なピアノの箱に映り込んでいる。
 いろんな学校でいろんな卒業式があるけれど、何かとピアノの晴れ舞台であるような卒業式も多い。校歌も、卒業歌も、ピアノ伴奏で歌われるのだろう。
 ピアノはこういう式だけじゃなくて、授業や合唱で使われたり、新入生の歓迎のときや先輩を送り出すときに使われたり。ちょっとした集会なんかでも使われたかもしれない。ピアノって案外学校生活でつねに寄り添っていてくれた存在なのだろう。
 そんなピアノが、晴れ晴れしい日の空を映している。きっと、きれいな青空なのだろう。太陽も映り込んでいるかもしれない。生徒・児童らに寄り添っていたピアノが、今日は送り出す側となり、餞別を卒業生たちに贈る。空はずっと変わりゆく。まだ見ぬ未来に向けて、刻一刻とピアノの面の中で移り変わってゆく青空。ピアノの代わりとなって、今度はまだまだ成熟していない空が、卒業生たちに寄り添ってくれるのだろう。卒業、というのは実にめでたくて、素晴らしいものである。
  (仮屋賢一)


2016/03/13

さざめきのさなかに針を仕舞ふ春 鴇田智哉 【季語/春(春)】


 春の静かな、それでいて生命の喜びがうずうずしているようなさざめきのさなかに、小さくて鋭く光る針を仕舞う。何気ない一瞬に詩情を見出し切り取った、その視線の確かさにまず感嘆してしまう。
 でももっと注目すべきは音だろう。「さ」ざめき、「さ」なか、「仕」舞う、というサ行の中に、「針」(hari)「春」(haru)という2つの言葉を入れるという、この計算高さ!サ行のまさにさざめきのような響きの中に、hとrの少し攻撃力のある子音がよく響く。うーむかなわない。
 作者は1969年木更津生まれの俳人。1996年俳句結社「魚座」入会。2001年俳句研究賞受賞。2005年句集『こゑふたつ』出版、俳人協会新人賞受賞。2007年俳句結社「雲」入会、編集長。2013年「雲」脱退。結社無所属となる。掲句は句集『凧と円柱』より引いた。 (野住朋可)


2016/03/12

ふらここを絡ませてから帰りけり 寒天 【季語/ふらここ(春)】

「ふらここ」はブランコのこと。春の季語とされるのは、古代中国の後宮で宮女たちが楽しんだ早春の遊びに由来するという。一時期は危険視され、くさり部分を「絡ませて」遊べないようになっていたところもあるが、公園や校庭で、誰しも一度は遊んだ記憶があるだろう。

ところが、この句の作者はブランコに乗って楽しむこともせず、「絡ませてから」立ち去ってしまう。あとから来た子どもたちはずいぶん困ってしまうが、そんな複雑ないたずらを淡々とこなしている作者は、どこかさびしく、おかしい。おそらく童心にかえる余裕もない「大人」なのだろう。

掲句は出たばかりの『関西俳句会ふらここ 作品集』掲載の「まんぢゆうを手に」7句から引いた。作者は1992年生まれ。大阪府出身で、俳句甲子園出場経験もある。かなり長いつきあいだが、容姿や句風がおおきく変化するので、最近ではまったく別人のよう。略歴に「ふらここが無ければ俳句を続けていなかったかもしれません。友達もいなかったかも。ありがとうふらここ」とある。

関西俳句会ふらここは、黒岩徳将くんの呼びかけで発足した関西の若手俳句作家のコミュニティ。有力な大学サークルがなかった関西では貴重な、若手たちの受け皿になっている。学生主体だが社会人も所属しており、現在の代表は仮屋賢一氏。本誌はふらここ初の作品集であり、仮屋くんのほか、野住さんや瀬越さんも参加している。(久留島元)


2016/03/11
春宵の母にも妻にもあらぬ刻 西村和子 【季語/春宵(春)】

 子どもや夫が寝たあとの静かな時間。○○さんの奥さんとか△△ちゃんのママとか□□さん家のお嫁さんではない自分だけの時間。日々の忙しいなか、自分が自分自身でいられるのはとても大切である。この時間があるから、また明日から、母や妻に全力投球できるのである。春の宵は静かに穏やかに過ぎていく。
 作者はほかには、

  春を待つ子のクレヨンは海を生み

  泣きやみておたまじやくしのやうな眼よ

などがある。
2011年11月20日NHK出版の「NHK俳句子どもを詠う」より。
(藤田亜未)

2016/03/10

独りとはたまたま独り月朧 福田葉子 【季語/月朧(春)】

 句意は一読明快である。状況はいかようにも想像できるが、「独り」が詠者の実存にかかわる深い孤独であることに変わりはない。それを「たまたま独り」であるに過ぎないと納得する調子には、そうではなかった豊かな可能性に思いを馳せるロマン(の挫折)と現世肯定的な態度の二重性が窺える。輪郭を曖昧に浮かぶ「月朧」は、景に具体性と説得力を与えている。どこか艶めくおだやかな春の夜、あるいは桜の芳香に物思いに耽っているのか。「たまたま」という措辞の軽みが僅かな救いを与える一方で、孤独は依然深まるばかりである。掲句は「陽炎えり」と題された20句連作より。BLOG俳句新空間媒体誌『俳句新空間No. 3』所収。(瀬越悠矢)

2016/03/09
後 ろから卒業式の椅子を蹴る 斉藤志歩 【季語/卒業式(春)】


卒業式の準備に関わったことを思い出した。その時私が担当したの は、卒業式前日の体育館で卒業生、在校生、保護者、教員用の恐ろしい数のパイプ椅子を並べる係り。この句が巧いのは、「後ろから椅子を蹴りたくなる気持ちってどんな気持ちだろう」と読み手に考えさせるからだろうか。卒業式という季語も効いている。作者は、平成4年 生まれ。氏はこの句を含む20句 で、30歳 以下を対象に20句 を一篇として募集している「第7回石田波郷新人賞」の準賞を受賞された。(杉田菜穂)

2016/03/08
昨夜助けた石鹸が立っていた   きゅういち

 どういう世界か悩ましい人には悩ましい。でも、一人の風呂場での感慨として共鳴したくなる句と思う人は思う。「石鹸」が唐突な登場で、目を引くが、短詩における動詞の意外性を存分に発揮している感じだ。「助けた」「立っている」そうした措辞が詩的飛躍をもたらしており、読者はそこで立ち止まる仕掛けである。今日の句は愛知を拠点とする短歌誌「井泉 №68」(2016年3月発刊)招待作品15句から。作者は茨木市に住む川柳作家。したがってこの句も川柳である。「方法が満たされている洗面器」「牛乳の膜を揺らして来る正午」「根性が違うパンツの裏表」などの句が並び、それぞれ「洗面器」「牛乳(の膜)」「パンツ」の個性が際だつ。が、これらの句も、エッジの効いた動詞が名詞の主人公の個性を造形している。俳句ではなかなか動詞はメーンに語られないが、その代わりとして助詞がこの役割をになう。切れ字はその代表選手だ。(塩見恵介)


2016/03/07

遠足の列大丸の中とおる  田川飛旅子 【季語/遠足(春)】

 ぞろぞろと子どもたちが列をなしているのは大丸の中。こういう遠足もあるかもな、と思わせる一方で、ワクワクしているようなその雰囲気との不釣合いが面白い。こういうところでは普段騒がしい子どもも上品な雰囲気に気圧されて静かに行儀よく歩いてゆくものだ。
   作者(1914年8月28日-1999年4月25日)は1973年「陸」を創刊・主宰し、句集に「使徒の眼」「薄荷」など。掲句は『新歳時記・春』(1989・河出文庫)から。 (仮屋賢一)

2016/03/06

傘立に残る置傘卒業す 利普苑るな 【季語/卒業(春)】


 私の小学校には、教室に置傘専用の傘立があった。それぞれ一本傘を置いておいて、急に雨が降った時にはその傘を使うのだ。
 置傘は、学校生活を送る上ではとっても地味な役回りだ。忘れられがち。今も昔もそそっかしい質の私は、置傘をさして帰ってそれっきりになってしまい次の急な雨の時大弱りする、ということもしょっちゅうだった。
 新しい季節を余すところなく味わおうとしているのに、視界は楕円を越えることができない。作者のもどかしさが伝わってくる。
 地味な役回りは卒業まで続き、遂には卒業時にまで忘れられてしまう。悲しい。でも、その存在にはたっぷりと詩情がある気がする。生徒たちが確かにここにいたということ。彼らは殆どなにも残さずに旅立っていくこと。
 作者は1959年広島県福山市生まれの俳人。「鷹」同人。掲句は句集『舵』より引いた。 (野住朋可)


2016/03/05

死にたくてまたどん兵衛に救われる 夏冬春秋 【無季】

もう無理。死にたい。死ぬ。まじ死ぬ。死にたい・・・
毒づきながら「どん兵衛」にお湯を入れ、死にたい、とつぶやきながら数分待ち、ふたをあけて、たちのぼる湯気、におい。あったかいうどんをすすりこみ、うすっぺらなかまぼこを大切に食べ、ほっと一息。「生きててよかった」
仕事だろうか、人間関係だろうか。辛い現実から救ってくれるのは、うどんのあたたかさ。お腹が満ちれば気も晴れる、作者にはどうにか明日も生き抜いてほしいが、そのうどんがインスタントなのが、また切なくも現代的である。
「へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男」の現代版というところ。死にたい、と安易につぶやく人には、この句とともに「どん兵衛」を配って歩きたい。無季ということだけではないが、やや川柳的な句である。出たばかりの『船団』108号「会員作品」から引いた。(久留島元)

2016/03/04
春水の足らぬからだを眠らせる 中山奈々【季語/春水(春)】

貧血で血が足りないからからだを眠らせるのか、睡眠が足りないからからだを眠らせるのか。眠るではなく、眠らせるなので、眠たくないけど眠るのかもしれない。
まるで春の水がだだっ子のような作者を寝かしつける子守唄のようにも思える。
掲句は2016年2月14日俳句あるふぁα「声出づる」より抜粋。
俳句あるふぁα掲載句には
 他にもよだれ留むる春寒の枕かな
 青増すや春のはじめの内出血
などがある。
作者は昭和61年生まれ。
百鳥同人 里編集長。
(藤田亜未)



2016/03/02

鳥籠は詩集の軽さ春の月 日下部太亮 【季語/春の月(春)】

鳥籠を持ち上げたら、詩集の重さだと思った。そんな小さな発見とほのぼのとしたイメージの春の月が詩的な世界を築いている。春の月といえば朧月と思いがちだが、春の月としたことで上五、中七の<鳥籠は詩集の軽さ>が生きている。作者は、平成9年生まれ。氏はこの句を含む20句で、30歳以下を対象に20句を一篇として募集している「第7回石田波郷新人賞」の奨励賞を受賞された。(杉田菜穂)


2016/03/01
つばきカフェめじろの間ではやってる  福井玲佳 【季語/つばき(春)】
 椿の花をカフェと見立て、鳥のメジロをその客に見立てた。しかも日に日に誘い合わせてくるメジロが増えているようす。簡単な叙述で明るい春の予兆を感じさせている。今日の句は『第8回 佛教大学小学生俳句大賞入賞作品集』(2015年 佛教大学編著)より。低学年最優秀賞の句。作者は京都の小学二年生という。
 さて、今日から3月。1年限定をうたった当HPもまもなく、大団円。
 4月からどうするか、目下、そのことを思案中。後日、また、お知らせ欄で、連絡したい。(塩見恵介)


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