第16回研究会報告

 本発表はザンジバルにおけるタリーカの宗教儀礼について、ズィクリ(ズィクル)を中心に考察し、宗教儀礼における「ズィクリ集団」の存在や「マウリディ」とズィクリとの関係から、ザンジバルのタリーカの実態を解明することを試みるものである。
 まず本発表の問題提起では、発表者はザンジバルおよび東アフリカのイスラーム化においてタリーカが重要な要素であったとして、ザンジバルのタリーカを研究する意義を説いた。
そして発表者はザンジバルの地理的・歴史的・社会的背景を概説した。オマーン支配下に入った19世紀以後、ザンジバルにタリーカが流入し、その後ザンジバルを経由して東アフリカへもタリーカは普及した。また19世紀には、農村部はいわゆるアフリカ人、都市部はオマーンやハドラマウトからのアラブ人、そしてインド系等多様な民族から社会が構成された。
次に発表者による調査に基づき、ザンジバルにおける預言者聖誕祭の形式と、インタビューから抽出したズィクリ集団の概要が紹介された。預言者聖誕祭では町が主催する儀式においてさまざまな詩が朗誦された後に、ズィクリを行なう集団が各地で見られる。この集団は中心に立つタリーカのシャイフと、その周りを囲むタリーカの構成員から成り、さらにその周りを非構成員が囲む。なお非構成員もズィクリに参加できる。発表者はこのような集団を「ズィクリ集団」と呼ぶ。各地のズィクリ集団は、ズィクリの種類が異なっていても、その活動場所や規模において共通点が見られる。
インタビューによると、カーディリーやシャーズィリーといった、アラブ等広範な地域に広まるタリーカはズィクリを行い、預言者に連なるスィルスィラを有する。この点は、他地域の多くのタリーカと共通する要素である。一方で、これらのタリーカとは別に独自の活動を展開するズィクリ集団がある。それらの集団は自らが行なうズィクリの名で自称している。これらの集団はズィクリを行なうが、インタビューからは預言者へと遡るスィルスィラが確認されなかった。先行研究においてこれらの諸集団は、その起源においてカーディリーやシャーズィリー等、アラブから伝わったタリーカに属するとされていて、独立したタリーカとして認識されていない。しかしながら各集団はそのような所属意識を有さず、自らを独立したタリーカとして認識していると発表者は述べた。以上より、ザンジバルにおけるタリーカとは、ズィクリを行なう集団であり、ズィクリ集団もタリーカのひとつとして理解するべきであるとした。
 また「マウリド」とは一般に預言者聖誕祭を指すが、ザンジバルにおいて「マウリディ」は預言者聖誕祭だけではなく、犠牲祭等のイスラーム暦に基づく祝祭や、その他の通過儀礼も指す。これらのマウリディの際には必ずズィクルが行なわれることから、ザンジバルにおけるマウリディとは、ズィクリが行なわれる宗教儀礼一般を指すとした。

 本発表に対して、多様な意見や質問が交わされた。以下にその一部を列挙する。マウリディがズィクリを伴う宗教儀礼一般を指すとする場合に、ザンジバルにタリーカが流入する19世紀以前の宗教儀礼について踏まえる必要がある。また全体的に問題の焦点が拡散しており、例えば行政によるタリーカ認識や聖者信仰のあり方等、タリーカを定義する視点を固定するべきである。タリーカの求心力となりうる、スィルスィラの有無に関して、発表者は「スィルスィラ」という用語ではその存在が認められなかったとするが、名祖に連なる系譜は存在すると述べた。インタビューしだいでは預言者まで結びつく系譜が確認される可能性が指摘された。
 またズィクルの実践だけでタリーカといえるのか、という質問が挙がった。これに関連して、浅学を省みず、筆者の私見を述べて結びとしたい。本発表は先行研究では無視されてきたズィクリ集団を独立したタリーカとして捉えようという、意欲的で大変興味深いものであった。ズィクリの違いは、その集団を他者と区別する特徴となるだろう。しかしながら、発表の中で紹介された、独立したタリーカとしての自己認識は、ズィクリだけに依拠して形成されるのだろうか。宗教儀礼のときにズィクリを行なう集団が、それ以外のときにタリーカとして何らかの一体性を有するかということを明らかにする必要があるのではないかと考える。調査期間が短かったこともあり、今回の発表にはまだ課題が残る。また質問を通して興味深い事例もいくつか紹介され、今後の研究の発展が期待される。(文責:日野恵美)

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