Interlocal Journal はドイツ・エアランゲン在住のジャーナリスト・高松平藏が主宰するウエブサイトです。


未来の日本社会の指標、「ウーマンラッシュアワー」

ドイツのお笑いから考えてみた

2017年12月19日


執筆者 高松平藏ドイツ在住ジャーナリスト、当サイト主宰)



沖縄米軍基地や原発問題などを扱った漫才で話題になっているお笑いコンビ、「ウーマンラッシュアワー」。私は欧米の社会や政治に対する皮肉や風刺を含むお笑いに興味があったが、同時になぜ日本でこういうお笑いが出て来にくいのかというのも関心事だった。それを同お笑いコンビは「こういう形でできます」というのを見せてくれたように思えた。
■日本の風刺型のお笑い 
日本でも風刺や皮肉を含んだ笑いがなかったわけでもない。
「新聞スタイル」とでもいう分野が、古くは「漫画トリオ」あたりから見られる。河内家菊水丸の「新聞詠み(しんもんよみ)」や爆笑問題、劇団「ザ・ニュースペーパー」なども、これに分類してもよいかもしれない。 

さらに過激な先人がいる。大正・昭和期の漫才師、都家文雄(1893-1971年)は辛辣な批判精神が大きかった。「上方の笑い」(木津川計・著)によると落語家を経て「文化万才」と銘打った批判精神の含んだネタをやっていた。同書で少しネタが紹介されているが、少し引用してみよう。 

戦中、“英霊”が毎日のように白箱に収められた還ってくるというのに、動物園で死んだ人気もののチンパンジー・リタ嬢の葬式に、大阪市長が出席した。「人間よりサルのほうが大切なのか」に大阪市長はふるえあがった。

戦後、検閲でお蔵入りになったコントもある。「カストリ時代 レンズが見た昭和20年・東京」(林忠彦・著)によると、昭和22年10月から「日曜娯楽版」という世相風刺のラジオ番組がはじまった。コントなんかをやっていたらしいが、政府や高官を皮肉る内容でなかなかウケていたようだ。ただ占領下だったので占領政策の批判はダメだった。この本では占領検閲で放送禁止になったコントをひとつ披露している。 

おごそかな声「日本人はまだ十二歳の子供である」 
一同「恐れ入ります」 
声「日本人は再軍備しなければならない」
別の男の声「へえ、子供の兵隊ってのは初めてだね」  

とぼけているくせに、なかなかシャープなコントだ。このコントを占領軍側がボツにしたというのも興味深い。 
「ウーマンラッシュアワー」の沖縄米軍基地や原発問題などを扱った
漫才について報じる記事(ハフポスト日本版 2017年12月18日閲覧)


■お笑いとアートとジャーナリズム 
ここでドイツを見てみようか。 
古くからあるものだと、カバレットと呼ばれるものが今も健在だ。話芸や歌、寸劇などを行うもので多分に風刺を含む。またドイツ各地にカバレティストがおり、地方色を出しながらのカバレットを行っている。 

私が住むエアランゲン(人口10万人)にもクラウス・カール=クラウスというご当地カバレティストがいる。イニシャルをとったKKK(ドイツ語の発音で”カーカーカー”)が愛称。本屋さんにはカール=クラウスさんのCDが売られ、市内のカバレット専用劇場にもよく出演している。 
エアランゲンのご当地カバレティスト、クラウス・カール=クラウスさん。

さてカバレティスはなぜ必要なのか。 
結論を急ぐと、彼らは現在の社会や政治を映し出す鏡だからだろう。カバレットよりもさらに歴史があるカーニバルでも、そういう役割があって、「アリはなぜよく働くのか、それは労働組合がないからだ」といった類の風刺演説が毎年行われる。 

ここに見いだせる役割はジャーナリズムに似ている。ジャーナリズムの定義は様々あるが、言葉尻からいえばひとつの「イズム」(主義、典型的行動、特徴)で、現代社会の一端を言語・写真・動画などで切り取る。つまり記録である。 

さらに解釈・価値付けを行う。社会における問題や課題を提示し、議論喚起につながる。いわば「社会のツッコミ役」で、人々に考える機会をつくる。デモクラシーがベースになった社会ではきわめて重要だ。 

アーティストもジャーナリズムによく似たものを持っていることが多い。彼らは記事ではなく、「作品」という形でアウトプットする。欧米の芸術は社会との関係が強いとよく指摘されるが、こういう構造のなかにあるからと理解できるだろう。アーティストもまた「社会のツッコミ役」という一面があるわけだ。コメディもそんなアートの分野のひとつだと考えるとわかりやすい。 

実際、カール=クラウスさんに以前取材したとき「地域のトレンドを映し出すこと。それから世界中の問題を地元の方言でお客さんに伝えることが仕事」と述べていた。 
エアランゲン市のカバレット専用劇場。NPOのような法人で運営。1989年設立。

■学生運動の時代にこそお笑いが盛り上がった 
こういう「ツッコミ役」の存在には、政治や社会というある種の「大きな物語」を見る視線がベースにある。「大きな物語」は失墜しているという議論もあるが、日本と対比すると、まだまだ健在で、物語の文脈を保っているように思えるのだ。 

「大きな物語」を支えているのは、たとえば、政治的イデオロギーだ。だから、学生運動が盛んだった「政治の季節」ではカバレットが盛り上がったらしい。また随分以前に、引退して、カバレティストに転身したジャーナリストと政治家が話題になったが、ドイツの社会構造を考えると、極めて合点がいくのである。 

日本の場合、「大きな物語」への視線が脆弱だ。 政治的イデオロギーの定義や理解がそもそも怪しいし、お笑いの内容を見ると、日常の「小さな物語」を扱っていることが圧倒的に多い。
エアランゲンの医療技術ベンチャーの起業支援センターで行われたコメディ。医師の世界をおちょっくている。

■風刺がある社会は健全だ 
エアランゲンの現状をお笑いで言語化するカール=クラウスさん自身、同市で“KKK”は「大切な存在だ」とも述べていた。例えば毎年地ビール会社が行うビールのお祭りで舞台にあがり芸を披露する。客は風刺を期待しているが、もっと、軽いものを望んでいる。なぜなら、ここに集まる客は同市内のVIPで、風刺の対象だからだ。「私を洗ってください。でも濡らさないでください。そんな感じだ」という。

カバレットのようなお笑いは、時に権威側にとっては歓迎されないことも多い。エアランゲンのVIPたちを見ると、風刺の対象にされることを恐れつつも、その社会的意味、文化的価値に対する了解があるのだろう。そこに社会の健全性を見る。
それとは逆に戦時中、カバレティストは迫害の対象になった。多くのカバレティストはドイツから逃げたそうだ。 
エアランゲン市は医療技術に特化した経済戦略を立てているが、それに関連するNPOもある。
NPOの10周年記念大会では、政治、技術、学術、社会といった分野の人物によるシンポジウム
講演の他、合間にカバレティストが登場。大会で行われた演説もすぐにネタとして取り入れ
られる。物事を言語化し、相対化や批評という機能が見てとれる。同カバレティストのテーブル
においてあったノートを見ると、びっしりとメモがしてあった。

さて、多くの人から支持された「ウーマンラッシュアワー」。話題の作品は日本の現代社会を浮き彫りにするネタだったと思うが、今後、テレビ局と彼らはどのように付き合うのだろうか。また「小さな物語」を展開するお笑い(これは、どんどん品性や知性をなくしていると思う)が当然と思っていた観客は、どのように支持するのか。あるいは短期間で消費しつくしてしまうのか。 

いろいろ思いはめぐるが、彼らの今後を見ることで、日本社会の将来をある程度予想できそうな気がする。ナゾの圧力で「干されて」しまい、活動の継続ができなくなったら、その時は・・・。(了) 





  
※引用される場合、高松平藏が執筆したことを明らかにして下さい。