Interlocal Journal はドイツ・エアランゲン在住のジャーナリスト・高松平藏が主宰するウエブサイトです。


わたしの電柱コレクション

やはり好きにはなれないよ

2016年2月9日


執筆
高松平藏ドイツ在住ジャーナリスト、当サイト主宰)



電柱がなければ美しい街になるのか?』という記事を書いたところ、たくさんの方がこのテーマに興味を持ってくださっていることがわかった。これを受けるかたちで、日本の電柱・電線コレクション(?)をアップしたい。景観の美しさを何らかの形でコントロールしたり、ルールを設けることはかなりデリケートで、ハードルが高い。しかし、電柱を抜いてみると町の美しさはこうあるべきでは?という議論のきっかけになるかもしれない。たくさん写真を載せたので、少し重くなりましたが、気合を入れてスクロールしてください。

電線を伝っていけば、海までいけそう・・・(神戸市)


※次のようなテーマに分けている。(1)邪魔だ!(2)上を見てはいけない (3)ノスタルジーではない  (4)あまりにも日常的 (5)萌えないほうがいい

■邪魔だ!
仕事などで訪ねた先々で、カメラを持ちながら、私はできるだけ町を歩くことにしている。そんな途中で撮影したものを以下にアップしていきたい。
まずは『邪魔だ!』というテーマのものを掲載したい。記事のため、あるいは記事を念頭におきながら、もしくは個人的な記録として建物の写真をとることがある。ところが電線が邪魔してくれることがけっこうあるのだ。
京都リサーチパーク(京都市)の建物全体を撮りたいのだが・・・
仕事でお世話になっているベースボールマガジン社(東京)の社屋を撮ろうとした。

白い建物が電線を引き立てる。(長崎)

大阪ガス実験集合住宅NEXT21(大阪市)を収めたいが、電線が邪魔

扇町ミュージアムスクエア(大阪 2000年)。電線が容赦なく横切る

■上を見てはいけない
ここまできれいなところなのに、なぜに電柱が!というところがけっこうある。景観に関して電柱は管轄が違うなどの理由があるのだろう。京都・奈良などの観光地、歴史的景観保護地などでも平気で電柱も『保護』されており、たいへん残念な景観を作る。『上を向かずに歩こうよ』である。
京都先斗町

祇園

京都嵯峨野。自動車もよく通る。
撮影した時、私のそばにいらした観光客のご婦人が『えー、ここ自動車も走るのぉ うっそー』とおっしゃっていた。同感。

■あまりにも日常的
長年馴染んでしまうと、それが『普通』になり、下手をすると『思い出』という形で美化されることもある。私自身も木製の電柱にホーローの広告というと、懐かしさを感じる。『日常の風景』もフォトショップなどで電柱を消すなどのシミュレーションをしてみると、きっともっと違う風景が見えてくるのではないか。

名古屋駅近く


祇園祭中の京都市内。感電したり、事故になることはないのかな?と毎回思う。

山梨県笛吹市。里山の電柱もある意味ノスタルジックだが、きっとないほうが良いと思う。

新潟県三条市。市街の通りを歩行者ゾーンにするという、とても有意義で楽しいプログラムが行われるのだが、電線が残念。

■萌えないほうがいい
工場萌や廃墟萌といった、感性を持つ人がいる。また70年代のお笑い番組で『電線マン』なるものが流行った時代があった。それを考えると、電柱萌、電線萌という人も世の中にいるかもしれない。確かに撮りようによっては、かっこよく見えたりするものものある。それでも私は電柱・電線はないほうがよいかと思う。

一体どのぐらいの電線がつながっているのだろう?(神戸市)

阪急岡本駅を降りると、なかなか道路がきれい。しかし、夏場は影ができるほど太い電線が頭上を走る。(神戸市)

同じく阪急岡本駅近く(神戸市)

工場萌、廃墟萌という感性があるが、電柱・電線萌という人もいるかもしれない。(長崎市)

まるであやとりだ。(神戸市)

ここに掲載した写真は、日本でも『電柱・電線がひどいところ』というわけではない。むしろ、明白なランドマークが写っている写真以外は、日本中どこにでもありそうな風景である。そして、電柱を抜けば景観問題は終わりというわけではない。それでもこれらの風景を見ていると、やはり一度、電柱を抜いてみたほうがいいように思う。最後までご覧いただき、感謝。(了)

おまけ:『お世話になりました』(2015年8月撮影 京都市)