Interlocal Journal はドイツ・エアランゲン在住のジャーナリスト・高松平藏が主宰するウエブサイトです。


なぜ早い?ドイツの難民対策

歴史の記憶から考える

2015年12月4日


執筆
高松平藏ドイツ在住ジャーナリスト、当サイト主宰)



社会の反応を見ていると、日本に比べて、『難民慣れ』しているようにすら見えるドイツ。ある土地の基盤が根底から揺らぐと難民が発生するという歴史的な記憶が背後にあるのではないか。福島の原発事故の時も、日本人が『原発難民』として流れてくると考えたふしがある。
先月、パリのテロに対する追悼集会がエアランゲン市でも行われた広場。奇しくも17世紀フランスの宗教難民の名前がついている。また同市にも難民の避難所が設けられている。

■素早い対応
難民をめぐる問題は色々あるが、全体的にはかなり対策が早い。村の大火事で消防団がテキパキと消火活動をし、『奥さん』たちが阿吽の呼吸で必要なバックアップする。そんなふうに社会が動いているように見えるのだ。

難民が急激に増えたこの秋、各自治体は即座に避難所を作り、人々は衣服やおもちゃ、おむつなどを寄付。その後ドイツ語習得のプログラムを作ったりしている。最近、ちらりと見た子供向けの情報番では、寄付された衣服がどのように分配されるかレポートしたり、難民の子供とドイツの子供が一緒にボーリングを楽しむ取り組みが紹介されたりしている。企業もまたそういった語学・職業訓練をはじめとするサポートをはじめている。

■難民は定住する、という記憶
『難民慣れ』の大きな背景は、欧州の歴史は戦争の歴史でもあるということだろう。戦争が起これば、必ず難民が出る。

私が住むエアランゲン市周辺のフランケン地方にも6世紀ごろから移民・難民の歴史がある。20世紀を見るだけでも、例えば1945年にはポーランドなどから19万人の難民が来た。住宅や食料品などをめぐり、地元の人々とかなりトラブルがあったようだ。難民はそのまま定住するが、最終的にはうまく統合できた。エアランゲン市のみを見ても、17世紀にフランスからの宗教難民を引き受けている。彼らは高い技術を持っていたため、同市の経済成長につながった。

定住ということに着目すると、経済成長期にトルコやイタリアなどから迎え入れた『ガストアルバイター』の歴史もある。一時的な労働力不足を補い、いずれは祖国にお帰りいただく、というコンセプトだった。ガストとは『客』の意味であるが、結局多くは定住し、トルコから家族も迎えた。

先日、とある企業人に、企業の難民対策が早い理由はいろいろあるだろうが、ひとつにガストアルバイターの体験なども大きいのでは?と水を向けると、確かに昔の難民や、ガストアルバイターの歴史的記憶は作用していると思うと返ってきた。定住するであろうという前提にたてば、さっさと対策をたてたほうがよいと考えるのも当然のことだろう。

■原発難民を連想?
ともあれ、生存の空間が戦争など、何らかの事情で機能しなくなれば、難民が出るというのは当然の現象という了解が歴史的に共有されているのだろう。視点を変えれば、『生存配慮』という都市運営を高める概念や、ヒトラーが用いたことで知られる『生存圏』という地理学の概念などと表裏一体なのかもしれない。

ところで福島の原発事故のとき、数名の人から『もし、日本から避難してくる友達や家族がいれば、わが家の一部屋をお貸しする用意がある』と申し出を受けた。こういう申し出は親しい友人からのものもあったが、全く面識のない人からも言われ、ありがたいと同時に面食らった。ミュンヘンの日本領事館にも同様の申し出がかなりあったと聞く。

ドイツの人々は、原発事故で生存空間としての日本が機能しなくなると考えたのだろう。当然、次に連想するのは難民化だ。『部屋を貸す』というのはそういう歴史的記憶や空間への信頼性をめぐるものが動いていたように思えてならない。(了)