Interlocal Journal はドイツ・エアランゲン在住のジャーナリスト・高松平藏が主宰するウエブサイトです。


文系廃止はまずいと思う

思い出した、子供の質問

2015年6月19日


執筆
高松平藏ドイツ在住ジャーナリスト、当サイト主宰)



大学の文系廃止が話題になっているが、私は基本的にまずいと思う。一連の報道を見ていて、『なぜ学校へ行かなければならないのか』という自分の子供の質問をふと思い出した。

■学校へ行かなければならない理由
3人の子供の親でもある私は、学校教育に対して批判も愚痴もある。だが子供が小さい時に発した質問には『自分で勉強ができるための勉強をしに学校へ行く』と答えた

勉強は大人になってからも必要で、そのひとつが読書。だから文字を読めるようにならなければならない。皆が学校へ行くと、大人になっても皆、本を読んで自主的に勉強できる。逆に文字が読めず、アホばっかりになると、どうなると思う?もしメルケル首相が悪いやつで、皆を騙そうと思えば、簡単に騙せてしまう。

■科学的態度と技術
この理屈の『大人版』だと思ったのが、社会人が学ぶことを想定されている京都の市民大学院。京都大学名誉教授の池上惇さんらが展開されていて、『科学的な思考ができる社会人が増えることで、社会がよくなる』、そういう趣旨のことをおっしゃっていたかと思う。

私なりに咀嚼すると、こういうことだろう。社会の出来事は、目に見えているもの以上に多くの概念や理論、価値などが組み合わさっている。それを理解するのが科学的な態度で、そのために勉強が必要。大人は経験値と関連付けて、座学や書物の内容をより深く理解ができ、自分の仕事上の技術(「ものづくり」のような限定的意味ではなく広義の技術)の理解にフィードバックできるというわけだ。『実用性』の勉強だけでは技術のみを磨くことになってしまう。

■文系が原発やめさせた
ドイツは哲学的な思考が強い国で、鼻につくこともある。が、脱原発は原子力という技術を社会学や哲学、神学といった『文系』からの議論の末『社会にとってよくない』とした。これは遺伝子技術とよく似ている。技術を倫理という(文系の)科学から思惟し、議論をへて、規制などの政治的判断につなげるわけだ。

もう少し一般的な話をすると、デモクラシーの基本は多様で自由な議論の担保にある。『文系』とされる分野がなくなると、議論の質に影響し、長期的にはデモクラシーの質が劣化しそうな気がする。文系をめぐる議論はこれまで大学がどんな運営をしてきたかという検証も必要ではあるが、それでもやっぱり廃止はまずいと思う。(了)