生還記(3) 


 

 急性心筋梗塞はひとたび発作が起きれば、すぐに治療を受けなければ命を失う危険はかなり高い。後の日記に書いたことだが、時の運のようなものが影響し、思いがけず治療開始が遅れるということも残念ながらありうる。
 心筋梗塞はこのような病気ではあるが、ではまったく予兆がなく、ある日突然襲いかかるというわけではないように思う。
 僕の場合は、8年ほど前に急性胃腸炎になり、その後、肝臓の具合がよくないことが指摘され、精密検査を受けた頃に溯って前兆があった。その時は、いろいろな検査をしたにもかかわらず異常は発見されなかった。このあたりの経過については『不幸の心理 幸福の哲学』(唯学書房)の中でも触れた。そこではデータとして異常がなくても現に症状があるというのはどういうことなのかという問題を考察してみた。
 この頃から肝臓と時を同じくして悪くなったアトピーのほうに目が奪われ、心臓に目を向けることはなかった。
 もう少し最近のことでいえば2年前の夏に倒れ、やはりこの時も精密検査を受けたが、その結果を受けて治療するということはなかった。ただ高血圧、コレステロール値、脂肪肝などを指摘され、高血圧の薬(アムロジン)を飲み始めたが、やがて多忙を理由に内科を受診することを止めてしまった。倒れるほどのつらい思いをその後あまりしなくなったというのが僕が服薬を止めてしまった理由の一つだが、この判断はまちがっていたと思う。血圧は大体140/90で、かつ頻脈、安静時に一分に90回を数えていた。今から思えば、冠状動脈の硬化が進み、かなり閉塞していたのではないかと思う。
 僕の場合は、近年はフリーで仕事をしてきたので、企業などで受ける検診を長らく受けなかったこともよくなかった。大学を終え、40歳で初めて常勤の仕事(これは三年に満たないまま辞めてしまったのだが)に就くまでも同じである。
 このような状況で、多忙、不規則な生活時間と食生活、運動不足を何年も重ねたことが今回の病気の原因であることは間違いない。息子がよく「このままだったら死ぬぞ」といってくれていたのに聞く耳を持たなかった。
 直近のことは救急車で入院する前に書いていた日記を読めばよくわかる。

2006年4月14日
 この頃、外に出るたびに苦しくなって運動不足なのかと思っていたが、今日は11時すぎに講義を終え帰宅してから部屋の中で同じ苦しみにおそわれた。血圧計があったので計ってみたら、驚くほど高かった。横になっても動悸は治まらず、命の危険を感じてしまった。夕方のカウンセリングまでしばらく横になろう。
 夕方、カウンセリングを終えてから近所の医院に行った。この医院は医師が小児科医であることも知って受診したのだが、こちらでは定期的に(血圧の)薬を出してもらえるか、とたずねたら、私は小児科医なのでできない、と断られてしまった。一錠のノルバスクを処方してもらって帰った。
(追記:この日の昼、聖カタリナ女子高校での本年度の最初の講義を終えて、帰ってきて食事をした後、今から思えば最初の発作に襲われたのである。その時、血圧を測ったら200を超えていた)

2006年4月15日
 今朝、内科の医院を受診した。採血をし、心電図もとった。血管がなかなか出てこなくて看護師さんたちが困ってられた。「立派な桜ですね」と看護師さんに話しかけた。僕は診察室から見える見事な桜に目を奪われていたのである。
 母は病気知らずだったが、晩年はひどい偏頭痛があり、49歳の時、脳梗塞で倒れた。父は三十代から高血圧、肝臓を患っていた。二人の体質をそのまま受け継いでしまったようだ。
 これからますます仕事をしていきたい。そのためには身体のケアを怠ってはいけない、と今回痛感した。

2006年4月16日
 今日は夜もわりあいよく眠れたので、過日のような苦しみにはおそわれなかった。夕方用事ができて娘に自転車を借りて出かけた。これはよくなかったようだ。スピードを出して走ったわけではなかったのだが。今の僕の仕事は代わりを立てられないので無理をしないようにしたい。

2006年4月17日
 今日は朝から診療所(注:毎週月曜日にカウンセリングをしていた)。今年は朝僕が出るのが一番遅い。娘は7時過ぎにはもういない。僕が出かける7時50分にはもう誰もいない。出かける直前にもたもたしたこともあるのだが、今日はいつも乗っている電車に乗り遅れてしまった。早足で歩けないのである。電車がはいってきた、と思っても、走ることもできない。困ったことである。
 夕方、皮膚科を受診。飲み薬を変えてもらった。即効性があるはずの薬が効かなくなっていたのである。レンドルミンを処方してもらった。眠れない時のために頓服としてもらったので、いつ飲めばいいか迷ってしまう。眠れないということなら毎日眠れないのだから。

2006年4月18日
 薬はたしかに効いたが、一度覚醒した時、こわかった。いつものように痒み、痛みで目が覚めたわけではない。身体から遊離していた魂が戻るべき身体がなくて困惑していた感じ。展転反側が続く。苦しかった。その後、再び深い眠りに就き、7時前まで何も気づかず眠れた。
 その後、学校に向かったのだが、遅刻してしまった。9時半に出たのに、亀岡駅でまず電車に乗り遅れ、梅田で階段を登り切ったところで苦しくなり、下新庄から学校までの5分くらいの道を15分もかけて歩いた。途中、二度蹲った。
 講義は無事できた。中根先生の勧めがあって、学校の治療所で鍼を打ってもらうことにした。
(追記:夜中に二度目の発作が起きたのだと思う。後に主治医に聞いたところではこのまま死亡することもあるらしい)
 治療後、吹田駅まで乗るタクシーを学校まで呼んでもらったらよかったのだが、10分くらいだから歩けるだろう、と思って注意してゆっくり歩いたが、またも途中で蹲ることになった。先週の木曜は二時間も歩けたのに、一体どうしてしまったのだろう。明日はカウンセリングが二人あって、夕方、土曜日受診した内科に検査結果を聞きに行く予定。

 入院前の日記はここで終わっている。翌朝、大きな発作が起き、救急車で運ばれたわけである。前日はどう考えても異常なのに、なおこの時点で僕は心筋梗塞という病名を思いつきもしなかった。前日に診察を受けていたら、違った結果になっていただろう。
 一連のことを絶対安静時に何度も何度も思い出しては反省頻りだったが、この病気についてよく知り、少しでも異常があれば早めに診察を受けるだけでも、発症はかなり防げるように思う。
 そしていうまでもなく、生活のあり方を変えることが必要である。僕は喫煙の習慣はなかったので禁煙の苦労はないが、煙草は致命的に有害である。出張の際、禁煙車の席が取れなくて、喫煙できる車両に乗ったことがあるが、今後はこんなことはできない。カフェインは諸説があるようだが(だからコーヒーを飲まなくなった、毎日4、5杯飲んでいた)、禁煙の喫茶店(それはもはや喫茶店と呼べないのだろう)にしか入れなくなった。
 このようなことを始めとして、生き方そのものを変えないわけにいかなくなった。このことについては追って日記の中にも見つけることができるだろう。 

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