療養記(9) 


 

2006年6月1日木曜日
 病院にいる時は、たとえて見れば、電車の中にいるようなもので、目的地に着くまでは他に何もできないから本を読んだり、闘病記を書くことだけに気持ちを向けることができたのに、退院してからは世間(家族も含む)からのさまざまな働きかけが押し寄せてきて、心が散漫になっているように思う。それと同時に力がすっかり抜けてしまったかのようで、まだ何かをしようという強い意欲が出てこない。

 病院によりも社会性のない生活をしているのもよくないのかもしれないと思って、今日は少し遠出してみた。何気なしに電車の中で本を読んだがこれはよくなかった。帰りは平気だったのだが。初めてのことは気をつけないといけない。夕方、父から電話。コンピュータのことでたずねたいことがあって電話をしたのに僕が電話に出ないので心配したようだ。先週から仕事にも一部行ってるから、といったが、父自身が狭心症を長年患っているので、病院からあまり離れてはいけない、一人で出歩いてはいけない、といわれてしまった。

 学生の頃、ギリシア語の読書会でお世話になった森進一先生を偲ぶ会が18日にある。入院してまもなく案内がきたのだが、その時は無理だと思った。今日が出欠を知らせる締め切りだったので、世話役の人に出席するという電話ができてうれしい。この読書会は関西医科大学の医師、医学生が中心に始められたものなので、今回の会の参加者も医師が多い。「もし何かあってもドクターが多いから」ということで電話を切ったが、心筋梗塞で入院していたことを話すと、たいそう驚かれた。

 写真は散歩の時に撮ったもの。


2006年6月2日金曜日
 今日はカタリナ女子高校で講義をしてきた。講義をしないで質問に答えてばかりなので、散漫な印象を与えるかもしれない。それでも質問に答えながら、行動の目的を見ていくということ、課題を分けて考えるということなど、丁寧に話してみた。今回も次週(来週は月曜、金曜)に持ち越してしまった。そんなことを予想してか、二つ折りにした質問紙の表に「読んでください!!!」と書いてある質問紙もあった。

 病院に見舞いにきてくれた丸橋君から、ヴィクトール・フォン・ヴァイツゼッカー研究会の案内状が届いた。参加しようと思う(6月10日)。大阪、兵庫では無理かもしれないと思って見たら京大会館だった。ここならそれほど遠くない。問題があるとすれば、研究会は4時間半、ドイツ語のテキストを読むということである。次回は237ページの6行目からということだが、初めて読む本を途中から読んで理解できるのか不明。

 

 

 

トップに戻る