療養記(6) 


 

2006年5月27日土曜日
 今日で退院して一週間経った。家に帰って初めて近所を歩いた時のことを思うと、足腰が強くなった。25日に万歩計を手に入れた。退院した日も一度買おうと思ったのだが、歩数を稼ごうと思うようになっては意味がないと思って断念したのだが、どれくらい歩いているのか知りたくなった。体重を増やさないための食事の制限と運動は必須だが、過度に運動して疲れてしまったら意味がない。どちらかというとあまり動かないほうなのでそんな心配はないのかもしれないが。今日は2回に分けて50分、5700歩ほど歩いた。

 心筋梗塞は予防でき、発症しても適切な処置をすれば助かる、予後も注意して生活すれば悪くはなく社会復帰も(制限はあるが)可能であることを公開のところに書いてみたい気もするが、心筋梗塞といっても千差万別であり、なにしろ治療を受けても致死率10%の病気なので読む人の家族や親しい人に亡くなった方もあるだろうと思うと書くのをためらってしまう。とはいえ、家族が心筋梗塞になったが、その後復帰しているというメールをいただいたり、話を聞くと希望を持てたのも本当なので、しかるべき時期がきたら発表してみたい。

 今日は朝から血圧が低い。不順な天候はこたえる。

2006年5月28日日曜日
「疲れたら休む」というごく当たり前の、しかし、心筋梗塞になる前の僕にとっては当たり前ではないことを退院前、主治医の岡田先生にいわれたことは先に書いた。「メンタルストレスが一番いけない」ともいわれている。生きること自体がストレスといっていいくらいなので、ストレスがまったくない生活というのは実際には考えられないが、これまでの生活には大きな改善の余地がある。病院にいた時よりも眠る時間は遅くなっているが、毎日、8時間寝ている。この一週間で、長い距離を歩けるようになり、駅の階段も昇り降りができ、電車に乗ることもできるようになった。身体の調子はよくなったのに、心の方がまだ十分ついてきていなくて仕事は手につかず、ぼんやりしていることが多い。

 昨日から、鼻がつまった感じで、息をするのが苦しい。病院でも一般病棟に移ってからはずっとこんな感じだった。寝る向きなどを工夫すると楽になる。夜はよく眠れ朝も爽快だったのに、散歩するために外に出た途端、またよくなくなった。それでも歩いている間は気分はよかった。昼から疲れたわけではないが、気が晴れず、長い間横になって本を読んでいた。

 夜、出版社から明日入稿するので、今晩中に返事がほしい、とさらに疑問点をたずねるメールが届く。すぐに仕上げて返送。

『臨床に吹く風』(徳永進、岩波現代文庫)を再読。急性腎不全で入院した石垣じいさんのエピソードは秀逸。食欲が出ないじいさんに徳永医師はたずねる。「何か、食べてみたいものありますか?」じいさんはとっさに「ドギが食べたい。ドギの煮たのなら食えそうですな」と答えた。徳永は、この魚のことを知らなかったが、早速駅前の魚市場へ行って港からあがったばかりのドギを買ってくる。石垣のじいさんの目の前にそっと差し出すと「ありましたか、これこれ、これがドギですわ」と顔に笑みが浮かんだ。

 徳永自身も印象が強かったようであとがきにも再び、石垣じいさんのことを書いている。いくつもの病気に次々に休む間もなくなったじいさいんだったが、大きな波を首尾よく切り抜けることができた。徳永はじいさんの病気を治せなかったら辞表を書く、といっていた。退院の前日じいさんはいう。「あの時、わしゃこの先生をやめさちゃあいけん、って思いました。よし、自分の力で直してみせる、って思いましたよ」
「キシュブッシンですな、ほんとに先生は」とじいさんがいった時、徳永はその言葉がよくわからなかった。
「鬼手仏心です。でもそれだけじゃない。ドギが食べたいといった時、その魚を買って目の前に持ってきてくれた。わしゃ、びっくりしました。こりゃどうしても治らににゃいけんと思いました」
「あの時死んでたって、八三歳だから別に悔いはなかった。でもこうして治してもらったら、もう少し生きてみたい、って思うんです。何がしてみたい、何をせにゃならなというっことじゃないです。ただ生きとりたい。もう少しでも生きとれるちゅうたったそれだけのことが、うれしいんですなあ」
 病院で会った医師、看護師さんたちには皆、医療、看護の技術を持った、それでいて心優しい人たちばかりだったと思う。

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