療養記(39)


 

2006年7月4日火曜日
 今日は頑張って朝歩いてみた。息が苦しいのは依然変わりはないが、横になると楽になり、昨夜はわりあい眠れた。娘が深夜か早朝かに英語の教科書を読んでいる声が耳にはいったがそれで起きるということはなかった。散歩から帰ってすぐに翻訳。その後、昼食を作り、また夕方、そして夜遅くまで翻訳という勤勉な一日を送った。

 問題は夜になってひどい肩凝りが始まったこと。前はあまり気に留めていなかったのだが、心筋梗塞の前兆として肩凝りがあることを知ったので心配になる。倒れる前にあったさまざまな予兆については何度も書いてきたが、ある日診療所でカウンセリングをしている時、鎮痛剤を飲まないと我慢できないほどの痛みがあったのはよく覚えている。薬を飲んだのは一回だけだが、その前にも肩凝りがひどく診療所の誰かに肩をもんでもらおうと思ったほど(実際には頼まなかったが)だったこともあった。歯痛もひどく歯茎が腫れたこともあった。どれも左側だけだった。いずれも『アドラーを読む』の原稿執筆中のことで、これだけ毎日原稿を書いているのだからしかたない苦しみだと思っていた。

 中田英寿が引退することが話題になっている。未発表の(活字にならなかった)原稿に中田のことを書いたことがあった。

「中田英寿がフランスのワールドカップに参戦し日本に帰ってきた時、あるレポーターが「ワールドカップの時と髪型が違うようですが」と質問した。中田はいった。「それはサッカーと何か関係がありますか?」レポーターが何も返す言葉がなかったのはいうまでもない」

 まわりの者がこうあるべきだという期待を押し付けるということ、そしてその期待が満たされない時にはがっかりしたり、翻意を促したりすることがある。「それは私の人生と何か関係がありますか?」と中田ならいいそうである。

「最近の若い子は香水つけてくる子がいるんですよ」とある看護師さんがいってられた。誰のことをいってられるかはすぐにわかった。ある看護師さんはいってられた。「最初は私も『看護師らしい』ということにとらわれていたのだけど、そのうちこれでは自分らしくないと思うようになりました」

 僕は強いられて生きたことがあまりなくて、好きなことばかりしてきたように思う。救急車で運ばれる時に、僕は家人に何度か声をかけた。「ごめん」と。何を謝ろうとしていたのか。 

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