療養記(31)


 

2006年6月26日月曜日
 昨夜は少し遅くまで起きて、翻訳の仕事していた。ドイツ語を読んでいても、空回りするような気がする時もよくあるが、調子がよければ昨夜はアドラーのいっていることがよくわかり、アドラーの対話しているような感じで訳すことができた。もっともあまり進まない。前はもっと早かったと思うが、少し訳すと疲れてしまう。本の原稿を書いている時とはまったく違う疲れた方をするようだ。

 初めて障害者手帳を使った。同伴者がなければJRの割引はない(ただし150キロ以上は割引あり)。自動販売機で子供用の券を買い、自動改札機を通らないで駅員さんに手帳を見せ、切符にハンコを捺してもらうのである。障害者用なのに切符は子供用の買い、切符にはこどもと印字されていることに違和感があった。手帳を見せると駅員さんたちの対応は丁寧になったように見えた。

 僕の病気が障害者手帳申請の対象になることを僕は知らなかった。「ステントを入れてるでしょう?」と看護師さんにいわれて、そういうことなのか、と思い当たった。何も知らなかった。

 本当は切符の割引よりも、席を譲ってほしいと思うことがあった。今は体力が回復したからずっと立っていても大丈夫だが。しかし、考えてみれば、手帳の有無とは関係なく、誰であれ、すわりたいことはある。そんな時に容易に頼めることが必要である。そのための優先座席なのだが。

 ペースメーカーを利用されている人が電車に乗ってこられた時のことを思い出した。同伴の人が大きな声で「ペースメーカーを使ってますから、携帯電話の電源を切っていただけますか?」といわれた。その声を聞いた人は皆、すぐに携帯電話を取り出して電源をoffにした。

 歩いている時や寝る前に、わずか数ミリの冠状動脈が閉塞していると思うと、またいつなんどき完全閉塞するか、とふと思うと怖くなる。動脈硬化の進行は緩やかなものかもしれないがいつ血栓がつまるかは誰も予想できない。ストレスが3つ同時にかかれば、起こりうるという。なお50%閉塞の個所(2個所)がある。よく歩く道にひどくきついわけではないが長く続く上り坂がある。その日の調子なのだろうが、息切れはしないが、足が重たく感じられたりすると、心配になることがある。

 ともあれ、どんなに絶望的な状況であっても、治癒を願うこと、少なくともこれ以上悪くはならないように願うことは無意味なことではない。

 長く会っていない懐かしい人の夢をよく見る。 

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