療養記(3) 


 

2006年5月23日火曜日
 初めて雨の中を歩いた。今日は初めて上り坂に挑戦してみた。そうはいってもそれほど急な坂ではないのだが、図書館に至る10分足らずの道である(本当はもっと早く行けるのだろうが、早足では歩けない)。本を三冊借りた。傘をさすのも、鞄に本を入れて歩くのも初めてだった。朝食のために一度起きたが、また寝てしまったので、午前はあっという間に過ぎてしまった。レンドルミンを半錠にしてもいいかもしれない。

 朝、出版社から原稿の疑問点をたずねるメール。そんなに数は多くないが、まだ手をつけられてない。

 明治東洋医学院専門学校に職場復帰の件でメールを送ったところ、昨日、担当のT先生から返事が届いた。全面復帰は無理と書いたので、身体のことを一番に考えて、一部でも復帰できそうなら相談してほしいという内容だったのでひと晩考えて返事を送った。今年は出講しないことになった。

2006年5月24日水曜日
 昨日、寝ようとしていた時に息子から電話があってskypeで話をしたい、という。前にこのプログラムのことを教えたのだが、ようやく余裕ができたのだろう。僕の生活について細かに注意された。心配させることもないので、何日も徹夜して何かをやりとげ、エンドルフィンが出て達成感があるというようなことさえしなければ大抵のことはできるようになる、といっておく。毎週1冊の本を読み、レポートを出すという課題のためにしばしば徹夜をしている息子にはこの話は受けたようだ。このゼミのことで長く話した。課題に出される本でもう手に入らないのがあって持ってないかとたずねられたが、一冊はたぶん前の家の書斎にあって、一冊は持ってなかった。

 今日は買い物に行った。冷蔵庫を見たが、何もなかったので(僕が作れそうな食材がないという意味)散歩をかねて行ってみた。あじの切り身、おくら、アスパラガス。一人分を量で売ってないので不経済に思った。明日も同じ献立すればいい。

 息子が1歳になった時、保育園に預かってもらえなかった。それから4ヶ月僕は昼間息子と一緒に過ごすことになったのだが、当時、大学の非常勤講師をしていたのでどうしても半日だけ誰かに見てもらわなければならなかった。そこでまどかさんという大学生にその日だけベビーシッターとしてきてもらっていた。

 そのまどかさんと買い物としている時に会った。息子が19歳なので18年ぶりということになる。「お元気ですか」とたずねられたので、入院していたことを話し、その後、あれこれ近況を話すことになった。まどかさんはあの頃と少しも変わってなかった。「今は引っ越したのですが、前の家もあのまま」「思い出深い家ですものね。アニーもいたし」 アニーは当時、飼っていたシェパードの名前である。

 昼から役所に提出する診断書を取りに行くために南丹病院に行ってきた。もちろんたいそうな覚悟がいるわけで、この日に備えて退院以来ずっとリハビリのプログラムを組んできた(そんな大げさなものではないのだが)。駅の階段が難関だが、病院でのリハビリの11ステージ(階段1階分2往復)のことを思ったら、大丈夫だった。八木駅でも再び、階段。その後、病院は見えているのにしばらく歩かないといけない。見舞いにきてくださった人たちはこんなに遠いところまでこられたのだとありがたく思った。

 写真は帰りに八木駅から撮ったもの。病棟を繋ぐ廊下が見える。用事はすぐ済んだので、この廊下を歩いて第2病棟まで行ってみた。今日は診断書を手に入れたらそのまま帰ろうと思っていたのだが、要したエネルギーに見合わないように思え、足を伸ばしてみたのである。ナースステーションに行ってまず師長さんに挨拶をしたら、みんな、と声をかけられたので、コンピュータのディスプレイに釘付けだった看護師さんたちが顔をあげて僕の方を見られる(ナースステーションに行っても声をかけない限り、なかなか気づいてもらえないのが電子カルテの弊害ではないか、と入院中思っていた。もちろん、あまり病室を出ない僕がナースステーションの前の廊下を通るのを目ざとく見つけてくださる看護師さんもおられるわけだが)。知っている看護師さんが三人おられた。「知らん間に退院して〜まあ、その方がいいのだけどね」と田口さん。退院の時はひっそりがいいと思う。嬉しいことだが、長く入院している人も多いのだから。


トップに戻る