療養記(27) 


 

2006年6月22日木曜日
 更生医療の手続きのために申請していた身体障害者手帳が交付されたので市役所に取りに行ってきた。申請に行ったのは退院後間もない時で、市役所までは今なら10分くらいの距離だが、その頃はずいぶんと遠く感じられた。手続きのために窓口に行って、用件を話す時には緊張して倒れそうだったが、市役所はその後いくつかある散歩コースの一つの途上にあるので負担はあまりなかった。

 母が49歳で亡くなった時のことをいつも思い出す。母の看病のために三ヶ月学校に行けなくなった。結局、母が生きて家に帰ることはなかった。ずっと先まで続く人生を漠然と思い描いていたのに、母を見ていて空しくなってしまって、その後は長らく生きる意欲を失ってしまった。『アドラー心理学入門』には、こんなふうに書いた。「母は亡くなり、看病のために数ヶ月大学に行けませんでしたが、やがて私は復学しました。しかしもはや以前の私ではありませんでした」(p.149)。

 この年は僕が修士課程に入った一年目だった。翌年、論文を書くことはできず、ようやく三年目に修士論文に着手することになるが、あまり考えないで突っ走って頃のような頑張りが効かなくなってしまった。母を見ていて、人は死の間際、世間的には価値があるものと見なされていること、例えば、お金や名誉の類いは何の役に立たないということがよくわかった。それならばそういうものを求めて生きることには何の意味もないではないか。そんなことを考え始めたら死ぬことすら自分とは無縁であるかのように生きている人たちを見て、なぜ自分は人生の意味のようなことをあれこれ考えてしまうのかよくわからなくなってしまった。

 同じく『アドラー心理学入門』(ibid.)に「私は、母には見えていたであろう人生の意味を自分で探さなければなりませんでした」と書いた。母はたしかに何かを死に際して見たのだろう。今回、いわば一人称の死を経験し、そこから生還できたのだが、この臨死体験といっていい経験の中で見たことはたしかにある。それをいい表す言葉を今はまだ持たないが、これが僕にとって一つの課題になるだろう。

 何かがわかった、といえるほどはわかっていないけれども、次のようなことはいいたくない。人の死は自分の死とは決定的に違う。自分の死は理解を超えている。「自分が死ぬということがどういうことなのかよくわからないし、あまりわかりたくもない」(木田元『新人生論ノート』p.91)。「「死に覚悟を定めているので死を恐れない」とか言う人をあまり信じない」(p.95)。覚悟を定められるほど、わかってないのは本当だが、この哲学者のように「わからない」といい切られてしまったら、「死について」の章を呼んだのに何も学べなかった、と思ってしまった。もっとも僕が『アドラーを読む』の第9章に書いたことも、問題回避と見なされるかもしれない。 

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