療養記(23) 


 

2006年6月18日日曜日
 学生の頃、読書会でお世話になった森進一先生を偲ぶ会に行ってきた。会は、近鉄の駅でいえば、桃山御陵であったが、京都駅から近鉄に乗り継いで、僕としては退院後一番の遠出だった。

 僕が先生が自宅で行ってられた読書会に参加したのはまだ大学の3回生の時だった。それから毎週先生の家まで通った。その間、ずっとプラトンの『法律』という最晩年の未完の大作を読んだ。読み上げるのに8年近くかかった。この間メンバーはあまり変わらなかったが、それぞれの人の境遇は皆若かったので、大きく変わった。読書会で読み始めたのと同じ対話篇をその後、藤澤先生の演習でも読むことになり、修士論文は『法律』を取り上げて書いた。

 今日の会ではこの読書会に参加されていた人が中心に参加されていた。僕は二十年以上続いた読書会の最後の八年に参加したので、先生の最後の弟子の一人なので、ほとんどの人が初対面だった。森先生は関西医科大学の教養部で哲学、ラテン語などを講じられていて、医学生が集まって、英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語、ギリシア語の文献を一緒に読むことになったのが始まりだった。そういうわけで参加者のほとんどが医師だった。哲学が専門なのは僕だけだった。おそらく僕が一番若かったと思う。僕は専門だったので当然毎回時間をかけて丹念に準備をしたが、医学の勉強の傍ら、参加されている医学生、医師たちは本業以外に大変な労力を必要としたことであろう。先生の随筆でこのことに触れたものがあって、そこには読書会のための勉強が医学生の親には「余分な勉強」と見なされ、それとなくそういう勉強はやめるようにいってほしい、と希望することがある、と書いてある(森進一『雲の評定』p.102以下)。たしかに読書会でギリシア語のテキストを読むことは、僕にとっては専門の勉強と直結していたのだが、そこで皆が学んだのは人間の学としての古典だった。しかし、「専門の分野をこえて、なにか人間的成長を心がけることは、いつの世でも、なにがしかの勇気を必要としてきた」(p.105)と先生が書いていることはよくわかる。生活とはすぐには結びつかないからである。

 最後に先生の奥様が挨拶をされた。
「森はよく『人間は死すべきものだ』と申しておりました。真理の言葉とはつらいものでございます」

 先生の小説に(先生は小説家でもあった)人の命のはかなさについて触れたところがあるのを思い出した。

「昔の人が、「汝人間よ」と呼びかける代わりに、「汝死すべきものよ」と語る習慣をもっていたことは、美しい知恵だと思う」(『冬日向』)

 この小説では、妻のほうが心臓麻痺で急死し、夫が後に残されるということになっている。

 夕方、少し疲れて、帰宅。『アドラーを読む』が出版社から届いていた。病室で少し校正して疲れるので横になって校正した時のことを思った。この目で見ることができて嬉しい。 

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