療養記(22)


 

ストレスについて(3) 

 中井久夫が白皙の少女を往診した時のことを書いている(『家族の深淵』みすず書房、p.17以下)。中井は少女の脈を取った。一分間に120の頻脈だった。母親が話しかけようとするのを静止した。静寂の中でじっと脈を取っていると、中井の脈も次第に高まっていった。身体レベルでの「チューニング・イン」である。やがて中井の脈も一分間に120に達した。苦痛はなかったが、循環器系を侵す病気(それが何かは書いてない)を持っていた中井は身の危険を感じた。

 このようなチューニング・インは身体レベルでだけ起こるのではないと感じている。ただ話しているだけではないか、と思う人もあるかもしれないが、これがカウンセリングをまだ再開する決心がつかない一つの理由である。

 カウンセリングでなくても、人が一人で生きているのではない以上、人と関わることは何らかの形や程度においてストレスにならないということはありえない。楽しい一時を過ごしてもストレスがかからないわけではない。

 以上、書いてきたことを踏まえて、これからどうしたらいいかということを考えている。生活していかないといけないので、仕事をやめて引退するというわけにはもちろんいかない。先に見た緒方洪庵は53歳で「老後多病の身」を理由にして仕官することを断ろうとした。今の時代ではこの年齢では、まだ「老後」とはいえまい。まして僕の歳ならなおさらである。

 それでも完全復帰はかなわない。7割は復帰したいと考えている。では、何をするかしないかは、自分でしか決められない。近年は先に書いた言葉を使うならば「義理」で仕事をしたことはほとんどないから、「義理を欠く」ことで断念する仕事を決めることは難しい。本を書くことと主治医の岡田先生は勧めてくださったが、これとてストレスを感じることなく、できることではない。書くためには、集中的な自己への「チューニング・イン」が必要であり、翻訳するためには、原著者へ同じく集中的な「チューニング・イン」が必要だからである。

 そういうわけで難しい課題をかかえていることになる。今さしあたっていえることは次のことである。まず、断る勇気を持つこと。このことが実際には難しいことはよく知っているのだが。次に、その日の仕事を着実にこなしていき、先のことを考えて、予期不安(緊張)にとらわれることがないこと。できることから始めるしかないのに、これから着手することになる仕事の大変さを思うと、それだけで怯んでしまうことがこれまで僕の場合よくあったが、そうならないようにしたい。『アドラーを読む』の中で使った言葉を使うならば(第9章「人生の意味を求めて」、170ページ以下)、人生との連関を見失うことなく生きていくということである。 

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