療養記(21) 


 

ストレスについて(2)

 退院後、まだできないことがあって、カウンセリングが再開できていないことが気になっている。カウンセリングははたして再開できるのかもわからない。プライベートな話をするのなら大丈夫なのだが。問い合わせは多い。申し訳なく思いながら今のところ全部断っている。

 紀田順一郎によれば、『大漢和辞典』を著した諸橋轍次は、生来病弱だったにもかかかわらず白寿(つまり99歳)までの長命を保った(岸見一郎『不幸の心理 幸福の哲学』p.38)。諸橋にたずねた人があった。「あなたはなぜ長生きしたのですか」。そのように問われ、諸橋は言下に答えた。「義理を欠いたからです」

 断るのはむずかしい。緒方洪庵は、将軍家の主治医になるように命じられた。「老後多病の身」として再三再四固辞したにもかかわらず、断ることができず承諾したが、その後一年も経たないうちに54歳で病死した。断らないことも断ることもストレスがかかるように思う。ストレスにはどう対処すればいいだろう。

 ストレスを引き起こす刺激、つまりストレッサーがあって、それによって、一定のパターンの心理的・生理的ストレス反応が起きる、と考えるのは、ストレスについての古典的なモデルであり、このような原因論的モデルは古くて、対処(コーピング)を重視するようになってきた。

 すなわち、ストレッサーがあるから必ずストレスがかかるわけではない、と考えるのである。直接のストレッサーがない場合でも、知識と経験によってストレスがかかることがある。受け手がストレッサーにどう対処するかが、受けるストレスの程度を大きく左右する。外界のストレッサーによって引き起こされるストレス反応は、ストレッサーの種類や強さなどの客観的な特性によって決まるのではなく、その人がストレッサーをどう評価して、どのように対処するかによって決まる部分が大きいのである。

 一つ例をあげる。夏休みというのは、子どもたちには楽しいものである反面、宿題があって、ことに八月の終わりになると、心に重くのしかかることがある。もちろん、このような状況下で必ずストレスがかかるかといえばそういうわけではない。平気で宿題を持って行かずに学校に行ける勇気ある子どももいる。ある子どもは、毎年八月三十一日になると、喘息の大発作を起こした。ひきがねは、いつも母親の言葉だった。夏休み中、机に向かわなかった子どもに母親はいう。「ところであなた宿題は?」ほどなく発作が起こり、そのために次の日宿題を学校に持っていくことを免除された。

 ストレスの要因には三種類ある。まず「素因」。ライフスタイル(性格)や気質である。一般に、生真面目な性格の人はストレスがかかりやすいといわれている。次に、「誘因」(身近なストレッサーになる出来事)。何かストレスを引き起こすことになる出来事などである。しかし、誘因は必ずストレスを引き起こすわけではない。誘因がストレスを引き起こす、と考えるのは、原因論的である。第三の要因は「持続因」である。ストレスがかかることに何らかのメリットがある場合がある。このような時にはストレスがかかるといっても、そこから逃れるようとしない。

 上の事例に即していえば、この子どもの喘息体質が素因である。誘因は、子どもが宿題をしないで夏休みを過ごした後で母親が子どもにかける言葉である。では、この二つの要因があれば、必ず子どもが喘息の発作を起こすかといえばそうではない。第三の持続因があることは明らかである。喘息の発作を起こすことで、少なくともその日は宿題をすることを免除されるからである。実際、彼の発作は毎年続いた。

 ひどい咳で困っている人がいた。その時読んでいた本の一節を紹介した。

「必要な時にはノーと言い、やりたい時にはイエスと言った方が良いのです。したくないことを断われずにいると、病気になることがよくあります。なぜなら、病気になるのは、より「受け入れやすい」ノーという方法だからです。なぜなら、自分の体が「ノー」とあなたの代わりに言っているのですから、断るしかなくなるのです。自分の気持ちをはっきり言う方が、ずっと健康的です」(ブライアン・L・ワイス『魂の療法』PHP)

 概して真面目な人は断わることが苦手である。症状があって初めて相手も自分も納得できるのである。
「でもすごく苦しい!」
というのはその意味で当然ということができる。苦しくなければだめなのである。

 しかし、これは思いこみなのであって、言葉を使って断わることができるはずである。
「ストレスとは、心がノーと言ってるのに、口が勝手に開いてイエスと言っている時のことです」
とワイスはいっている。口は勝手に開くわけではなくて「ノー」といおうという決断をしているはずなので、この点においてワイスは間違えている、と思うのだが、このストレスの定義はまずまず当たっている、と思う。

 以上三つの要因のうち、一番、対処しやすいのは、第三の要因、持続因である。他の二つを変えることはむずかしい。生真面目な性格を変えることも、起こってしまったことを元に戻すこともむずかしい。しかし、持続因を変えることはさしてむずかしいことではない。

 今の場合の母親は宿題をしない子どもに夏休みが終わるまでは何も対応していない。しかし、「ところであなた宿題は?」という問いかけは、子どもの宿題をしないという行動に対する反応である。つまり、宿題をしないという子どもの行動は、母親からのそのような応答を引き出すという意味で、対人関係的なものであり、相手役である親から何らかの応答を引き出したいと考えている、と見ることができる。子どもの問題行動があって、それに対して親の解決行動がある。しかし、親の行動によって子どもが宿題をすればその行動は有効であったと考えられるが、この場合、この子どもは喘息の発作を起こして宿題をしないわけだから、親の解決行動は、実は「偽の」解決行動である。問題行動があり、それに対して偽の解決行動がある。問題は止むことなくさらに続くことになる。ここに悪循環のループができあがることになる。

 なんとかしてこのループを断ち切りたい。そのためには、親の働きかけを止めてもらうのが一番の近道であろう。宿題をする、しないは子どもの課題であるから、親といえども原則としては子どもの課題に介入することはできないのである。

 治療の実際としては、ストレス状況を変えられる場合は親と話し合った上で環境調整をする。家族が来院する場合は、このようなお願いをすることができる。

 しかし、このような働きかけが困難な場合がある。親の子どもへの対応がストレッサーである場合はこのような働きかけがむずかしいことが多い。そこで、その子ども自身を援助する。

 今のケースでは、母親の言葉がけに対して子どもは喘息の発作を起こしている。しかし別にこのような対応をする必要はない。
「ところであなた宿題は?」
「できてない。まだだよ」
「だって明日から新学期でしょう」
「そうね」
「そうね、って今からじゃ間に合わないでしょう」
「たぶん」
「たぶん、ってそんなのんきなこといってないでさっさとしなさい」
「まあ、僕の課題だからほっておいてちょうだい」
といえるようなら症状は使わなくてもすむだろう。

 このやりとりに見られるように、普通の親は子どものこのような答えを聞くと怒るかもしれない。しかし親が怒ったとしてもそれは親の課題なのであり、親の課題を引き受けることはないというような説明をすることになる。

 ただし、他方、子どもは自分の行動(宿題をしなかったこと)の責任を引き受けなければならない(この稿続く)。

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