療養記(18) 


 

2006年6月16日金曜日 

 昨日の診察を受けて、次の診察までの療養計画を立てようと思う。食事の量はこれ以上減らせないだろう。中身も以前とは違って、病院で出ていた食事と大きく変わりはないと思うが、なお血液検査の結果は、改善の余地があることを示している。運動量はもっと増やせるだろう。しかし、これからは日中暑くなるので、歩く時間帯は考えないといけない。最近は、日に5〜6000歩、歩いたがこれでは足りないようだ。ただ、退院当初とは違って、体力が回復しているので、同じ距離でももう少し早く歩けるかもしれない。とはいえ、なにしろ爆弾を抱えているようなものなので、健康な人がウォーキングするのとは同じようにはいかない。最近、ウォーキングの本を読んでみたのだが、僕にはあまり参考にならなかった。たった5000歩というような書き方がしてあると勇気をくじかれてしまう。ウォーキング直後の脈拍数が120くらいにする、など僕がそんなことをしたら倒れるのではないか、と思ってしまう。

 夜、義父母が見舞いにきてくれた。5月の連休の時に会ったのが最後なので一月半ぶりだった。元気そうだ、と喜んでもらえた。前に会った時はまだ部屋から外に出ることが許されてなかった。遅い時間だったので、日記を書くのも遅くなってしまった。

『ブラックジャックによろしく』の1、2巻を再読。今、読むとかなり強烈。人工心肺を使わずにオペをする北先生が出てくるが、オペの途中で心室細動が起こるなど、人工心肺を使わなければ使わないでリスクがあるようである。もっとも2002年に単行本になったものを読み(連載時はもっと早いのだろう)、そこにはまだこの心臓を止めないバイパス手術は始まったばかりということが書いてあったので、日進月歩の医学の世界は変わっているのかもしれない。人工心肺についての情報も古いのかもしれないが、腎臓、肝臓、脳への後遺症があるようだ。

 今日は聖カタリナ女子高校で講義。今年は、人は身体ではない、たしかに冠状動脈が完全に閉塞したら死ぬということは理解したが、息も絶え絶えの苦しみの中にあっても、この身体が「私」だったとは思わなかったというような話をよくしている。

『命をみつめて』(日野原重明、岩波現代文庫)を少し読んだのだが、自身が病気になって入院した時に、いかに医療従事者が患者のことを知らないかわかったということが書いてあって、今も毎日更新している生還記も意味がないわけではないかもしれないと思った。ことに、主治医の書いた病歴と看護師の書いた看護記録を読んで後になって自分がどう扱われたかを知った時、外から見た記録と、内から自分が感じた記録とがずいぶん違っているのに気がついた、と日野原が書いているのは印象に残った(「病気から学んだこと」p.276)。 

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