療養記(17) 


 

2006年6月15日木曜日
 今日は退院後初の受診。皮膚科と循環器内科の両方を受けないといけなくてその手続きが初めてで慣れなくて少しとまどった。病院には10時頃ついた。皮膚科は予約ではないので、最初に窓口に行ったところ、先に皮膚科を受診するようにいわれた。内科の方にいくと、まず採血をするように、といわれる。この時点で内科の予約時間は30分遅れという掲示が出ていた。僕の時間は11時半だった。

 皮膚科で待ったが思いがけず早く番が回ってきて、10時には診察が終わった。よくなっているので飲み薬は変わらないが、ステロイドの比率が変わった(ワセリン150g、アンテベート軟膏50g)。よくなっても保湿のために塗るようにという注意があった(ステロイドをいきなり離脱するのもよくないので)。入院中、二回目に受診した時は車椅子で第2病棟から診察室のある第1病棟まで下りてきた。診察が終わってから准看護師さんが迎えにこられるまでの間に話をした看護師さんが僕のことをよく覚えてくださっていたのが嬉しかった。

 その後、内科の様子を見にいったら1時間遅れという表示があった。待合室の椅子はいっぱいですわれそうにもなかったので、入院していた病棟のナースステーションに行ってきた。

 内科7診の前でそれから1時間ほど待って、ようやく久しぶりに岡田先生に会うことができた。。診察の時には採血の結果が出ていて、それによると、まだコレステロール値が高い。食事を制限し、運動にも力を入れていたのに残念な結果だった。それでも、改善しているデータもあり、去年の4月のデータと比較すれば驚くほどといっていいほどよくなっているのは本当である。尿酸値、コレステロール値、空腹時血糖値に赤線が引かれた。心臓のほうは問題なしで、次回7月13日に予約を入れて、すぐに診察は終わった。

 病院の行き帰りの電車の中で、『病いの哲学』(小泉義之、ちくま新書)、待っている間に『偶然性の精神病理』(木村敏、岩波現代文庫)を読み進む。どちらも昨夜遅くまで読んでしまった。小泉が提起する選択肢が初めから与えられていて、それ以外の選択肢がない時、いずれかを選択したとしてもそれは自主的な選択といえるのかという問題について考えていた。インフォームド・コンセントといっても、医師が提示する以外の方法を患者が考えつくのはむずかしい。ことに緊急の場合はそうである。心筋梗塞と診断されて、僕は手術をしないという選択はありえなかっただろう。患者は無力である(『病いの哲学』p.194)。

 木村のいうrealityとactuality(ドイツ語だとWirklichkeitに相当する)の区別も興味深い。安静のままベッドで身動きがとれなかった時、僕は時計すら持っていなかった。点滴が落ちるのを見て、たしかに時間が経過しているのはわかるのに、離人症のケースと同様、時間が流れなかった。アクチュアルな時間がなくなったからだと木村は説明する。時間のアクチュアリティを取り戻した時に、待つという感覚を思い出した。「リアルな時間は一本の流れとして表象される…これに対してアクチュアルな時間では「いま」の生き生きした存在がすべてである」(『偶然性の精神病理』p.16)。