療養記(11) 


 

2006年6月6日火曜日
 今日は父が見舞いにきてくれた。いつも電車に乗る前に京都駅から電話をくれるので、その時に駅からタクシーでくるようにいおうと思っていたのに、父は電話もしないできてくれた。暑い中、歩いてきたようで、ひどい息切れをしているので驚いてしまった。父は狭心症と肺気腫を病んでいるのである。どう見ても僕のほうが元気なのに(そのことはきっと父を安心させただろう)、昼間一人でいる時のことを心配してくれた。

 食事をして駅まで送っていく。駅にはエレベータがない。階段を昇り降りすることは父はあまりに大変なので、駅員さんに「向こうのホームまで階段を使わないで行く方法はありませんか?」とたずねてみた。「車椅子がないとだめです。それに障害者の方でないとだめです」ときつい口調でいわれる。「わかりました」と引き下がり、入場券を買おうとしたところでとぼとぼ歩く父を見て、駅員さんはやっと状況がわかったようで、態度を変えて、「そういうことでしたらいっていただかないと」という。「心臓と肺を病んでいるのです。向こうまで付き添ってやってください」といい、わかりました、といわれたけれど、父が階段を昇ることには変わりはないわけである。駅には車椅子は用意してないのだろうか。

 ともあれ父と久しぶりにゆっくり話ができたのはよかった。三十五歳の時に肝臓を悪くして入院、自宅療養を含めて会社を4ヶ月休んだという話をしてくれた。中学生だった僕は一度だけ病院に見舞いに行ったことを覚えている。家で療養していたのも記憶にあるが、二ヶ月も家にいたとは知らなかった。「まあ、休めたんだが、そのことで給料はずいぶんと下がった」。会社で出世することにはあまり関心がなかったように見えた父だが、若い頃に病気して思うところがあったのかもしれない。

 僕の場合、予後はいいようなので(生命保険は下りないかもしれないが)、それに外に出て行かなくてもできる仕事があるのだが(それが家族を支えるほど十分なものでないのは問題だが)、一般的には、働き盛りの男性が心筋梗塞に倒れ、予後が悪ければ、たちまち家族が生活に困るということはありうる。僕の場合はおそらく年収が三分の一くらいになるように思う。医師が転職を勧めるケースもあると聞いているが、転職が容易だとは思わない。生還後の生活は厳しい。

 予後がよいという判断が医師から下されえたとすればそれはありがたいことなのだが、中井久夫が指摘しているように(「分裂病の陥穽」『家族の深淵』所収、p.135)、患者自身が自分の病気を軽く見なされることを脅威に感じるということはあるように思う。よくなれば十分な介護を得られず、社会的義務免除が正当化されないことになるからである。

 丸橋君がヴァイツゼッカーのテキストを送ってきてくれた。一回に何ページ読むというようなことは書いてないのだが、しばらく離れていたドイツ語のテキストに取り組まないといけない。入院する前は、こつこつとアドラーのDer Sinn des Lebensを訳していたのだが。

 食事制限、運動、睡眠という課題をクリアして前よりも質的に充実した生き方をしたい。

 病気は元どおりに戻るということではなく、あるいは、こちらがわに戻るということではなく、病気を超えて病気の向こう側にいくということであるという徳永進の言葉に納得する。 

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