後になってわかるということ 


 

 ある日、昼時になって冷蔵庫を開けたら僕の分は何なりと作れそうなのに、娘の食べるものがないことに気づいた。こんな時は住んでいるマンションの真向かいにあるコンビニをよく利用していたのだが、僕が入院している間に閉店してしまった。おそらく経営者が替わるのだろう、同じ系列のコンビニが同じ敷地に建つことになり工事が始まったが、まだ完成していない。店が開いていても、今はあれこれ食事制限があるので、自分で作るしかないので、退院して帰ったら店が閉じていたことは、外食はしない、ファストフードは食べないという決心を促すためにはよかったかもしれない。

 そこで遠いといっても10分ほど歩いたところにある別のコンビニまで娘の昼食を買い出しに行った。コンビニでなくてももっと近くにあるスーパーでもよかったのだが、2人分の、しかも違う料理を作る力がなかった(最近、力がないといっては、多くのことを回避していることには気づいている)。

 僕が書こうとしたのは実は、食事のことではなかった。店に向かって歩いていると僕の前に二人の女性と一人の男性が歩いていた。この人たちは英語を話していた。最初、市役所に用事があるのだろうか、と思った。しかし、その日は日曜日なので、そうではないことはすぐにわかった。すると僕が行こうとしている店に入っていった。一人が日本語で店員さんにたずねている声が聞こえた。保津川下りの乗り場に行きたいのだが、この方向でいいのかという質問だった。店員さんは英語は話さないようで、たずねた人の日本語も危なげだったが、地図を書きながら説明されていたので僕は関わらなかった。

 それにしても、とようやく本題に入るのだが、この店は駅からかなりの勾配のある上り坂の頂点にあり、そこから先は長い下り坂になるところに位置している。おそらく迷い迷い歩いたら10分ほどの間、息切れはしないまでも足が若干重くなるほどの坂道を歩いていれば、この人たちは川に行くのにこれだけ登るのはおかしいとは思われなかったのか、と僕は思った。しかし人のことをいえないので僕だったら、コンビニで道をたずねることもなく、さらにどんどん先まで歩いていっただろうと思う。駅に案内が出ていたと思うし、電車から降りた人の多くは地元の人でなければ船乗り場のほうに向けて歩き出していただろうに、と思うのだが、ウィーンやロンドンで道に迷ったことはたしかに僕もあったし、たずねてみればすぐに解決したということはあった。迷う余地もなく、質問すること自体に驚かれたこともあっただろう。しかし、そういうことは傍から見たらいえることで、当人にはわからないこともあるだろう。このような間違い方は人間らしいといえないこともない。

 ふと僕は、おそらく直近のところを探れば、この十年ほど仕事ばかりして不摂生な生活を続けてきたのもこんな感じなのだろう、と思った。第3回の「前兆はあったのか」を読み直すと、ここまでいろいろと心筋梗塞に至る前兆があったのに僕が異常を心臓と結びつけてなかったことは驚くべきである。

 母が49歳で脳梗塞で亡くなったことは何度も書いてきたが、当時僕は脳梗塞についてまったくといっていいほど知識がなかったので、母の前兆を見逃してしまった。前兆は知っていたが、それが何を意味するかわからなかった。発作が起きてからも、的確な判断ができなかった。初めから脳神経外科のある病院に入院させていたら、再発作を起こすこともなく、したがって肺炎を併発することもなく、生き長らえることができたのではないか、と後々何度も後悔したが、人の「知」というのはこのように後からついてくることが多いのかもしれない。それでは手遅れということも多いのだが。 

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