経験を深める 


 

 ミッテラン大統領が余命後半年と告知された。翌年(1995年)、ミッテランは、当時93歳の哲学者ジャン・ギトンを訪ねている。死について宗教者ではなくて、哲学者にたずねにいくというようなことは普通考えられないだろう。心理学を哲学に並行して学び始めた僕はやがてカウンセラーの資格を取り、カウンセリングを始めた。他のカウンセラーがどうしているのか僕は知らないのだが、カウンセリングに死の問題のことでこられる人はたしかにあるのである。そんな時、哲学を学んできてよかった思う。死について、したがって、死がそこから始まっている生について人が疑問に思った時にたずねてきてもらえるような哲学者になりたいし、そんな哲学を語りたい。

 こんなことを入院する前に考えていた。今回の死に臨んだ経験ははたして僕を変えるのか、と思う。しかし、これまでにも書いたように経験自体が人を変えるわけではないのである。

 三木清はいっている。
「人生に於いて大切なことは「何を」経験するかに存せずして、それを「如何に」経験するかに存するという云うことを真に知れる人はまことに哲学的に恵まれた人である」。

 大学に入った頃、リルケの『マルテの手記』を読んだ。ドイツ語の教材だった。ドイツ語の力は当然十分なものではなかったが、言葉としては理解できても、リルケが何をいおうとしているかが掴めなかった。

 リルケはいう。
「詩は、人が思うように、感情でない(感情ならどんなに若くても持つことができる)。感情ではなくて、経験なのだ」

一行の詩を書くためには、多くの経験を重ねていかなければならない。しかし、何かを経験し、それが思い出になるだけでは十分ではない。

「それが我々の中で血となり、眼差しになり、表情になり、名前を失い、もはや我々と区別がなくなった時、その時初めて、稀なる時間に一行の詩の最初の言葉が、思い出の中に現れ浮かび上がるのである」

 詩を書くというのは大変な営みである。リルケは、一九一二年一月のある日、アドリア海に面したドゥイノの城のほとりにいた。その日、外には風が吹き荒れ、太陽が銀色に覆われた紺碧の海を照らしていた。突然、風のうなりの中に声を聞いた。

「たとえわたしが叫んだとて、天使の系列のうちから、誰が、それを聴いてくれよう?」

 部屋に戻ったリルケはこの言葉と、その後生まれてきた二三の詩句を書きつけた。夕方、第一の悲歌が書き上げられた。しかし、リルケが『ドゥイノの悲歌』を完成させるには、その後なお十年の歳月を要したのである。 

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