集中力 


 

  本を読まないというのは実は僕にとっては至難の技である。入院した時に一番困ったのは本を読むことを禁じられていたことだった。フロムは技術の習得の要件 の一つとして「集中」をあげているが(『愛するということ』pp.163-4)、集中の欠如をいちばんよく示しているのが、一人でいられないということで ある、と指摘し、「ほとんどの人が、おしゃべりもせず、タバコも吸わず、本も読まず、酒も飲まずに、じっとすわっていることができない」といっている。僕 は煙草は吸わないし、酒も飲まない。おしゃべりをしないでもいられるが、本を読まないというのはできなかった。いつも出かける時はたくさん本を持ち出す。
  フロムがここで技術の習得について語る時、念頭に置いているのは「愛の技術」の習得であるから、このことに関連して次のようにいっている。「集中できると いうことは、一人きりでいられるということであり、一人でいられるようになることは、愛することができるようになるための一つの必須条件である」 (p.167)。依存ではなく自立した愛の関係である。しかし実際にはこのことは容易ではない。フロムもいってるのだが、一人でいるとそわそわとし落ち着 かなくなったり、不安をおぼえたりする。
 二人でいる時も集中が必要である。「集中するとは、いまここで、全身で現在を生きることである」 (p.171)。フロムが、「いうまでもなく、いちばん集中力を身につけなければならないのは、愛しあっている者たちだ」(ibid.)という時、そうな のかな、と思う。一緒にいられるのに、他の人やことに関心を奪われていては、たしかに集中していないということであろう。
 フロムは集中力を身に つけるためには自分に敏感でなければならない、という(p.171)。自分に対して敏感になることについてこんなふうにいっている。「たとえば、疲れを感 じたり、気分が滅入ったりしていたら、それに屈したり、つい陥りがちな後ろ向きの考えにとらわれてそういう気分を助長したりしないで、「何が起きたんだろ う」と自問するのだ。どうして私は気分が滅入るのだろうか、と」(p.172)。自分の内なる声に耳を傾けたら、たいてい、なぜ憂鬱なのか、いらいらする のか、わかる、とフロムはいう。
 とはいえ、身体に対する感受性よりも、はるかにわかりにくい。身体であれば、今は少しの変調でも気づく。微熱でも、日頃の最良の状態を知っているからこそ、ちょっとした変化で自分がいつもとは違うことがわかるわけである。
  それと同様、自分自身に対して敏感になるためには、「完成された健康な人間の精神というのがどういうものか知らなければならない」(pp.173-4)。 僕の理解では、アドラー心理学は、このことについて明瞭なイメージを持っている。だからこそ、人は自分のことについては知ることはむずかしいといわれるけ れども、実のところ、自分について見えることがある。psychological clairvoyant(clairvoyant psychologique, 心理的千里眼者と訳すのか、はっきり見える人ということである)というのは困ったものだ。感度を下げたほうがいいと思うことがよくある。 

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