尊敬と配慮 


 

 フロムは愛の要素の一つとして説く「尊敬」について次のようにいっている(「尊敬」については、僕は『不幸の心理 幸福の哲学』62-4, 70-1, 141ページで論じた)。尊敬とは、フロムによれば、その語源(respicere=見る)からわかるように、あなたのありのままの姿を見て、あなたが唯一無二の存在、他の誰かに代えることができない存在であることを知る能力である。あなたがあなたらしく成長発展していくように気づかうことである。

「私は、愛する人が、私のためではなく、その人自身のために、その人なりのやり方で、成長していってほしいと願う」(『愛するということ』p.51)。

 フロムは次に配慮を愛の一つの要素としてあげている。

「もしある女性が花を好きだといっても、彼女が花に水をやることを忘れるのを見てしまったら、私たちは花にたいする彼女の「愛」を信じることはできないだろう。愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。この積極的な配慮のないところに愛はない」(p.49)

 フロムは旧約聖書の『ヨナ書』を引き、こう説明する。ヨナは神が太陽の光からヨナを守ってやろうとして生やした木陰でほっと一息をついた。しかし、神はその木を枯らしてしまった。ヨナは落胆し怒って神に不平をいう。神はいう。

「おまえは、自分で苦労して育てたわけでもない、一夜にして生え、一夜にして枯れたトウゴマの木のことを嘆いている。それならばどうしてこの私が、右も左もわきまえぬ十二万以上の人と無数の家畜のいる大いなるニネベを惜しまずにはいられようか」

 この神の答えは象徴的に解釈しなければならない、とフロムはいう。神はヨナにこう説明しているのである、と。「愛の本質は、何かのために「働く」こと、「何かを育てる」ことにある。愛と労働とは分かちがたいものである。人は、何かのために働いたらその何かを愛し、また、愛するもののために働くのである」(p.50)(ヨナについては、アドラー『個人心理学講義』p.12、注(4)参照) 

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