子どもが自立する時 


 

 子どもに幸福な人生を送ってほしいと思わない親はないだろう。ただ、問題があって、一つは幸福とは何かがわからないということ、もう一つは、親の思いが子どもに伝わらないことである。

 ある父親とこんな話をしたことがあった。その父親には三人の娘さんがいた。学生の頃、僕はそのうちの二人に勉強を教えていた。
「娘さんのことが心配でたまらないのでしょうね」
「そうなんです」
「でも、その気持ちが娘さんには伝わらなくて、残念に思ってられるのですね」
「まったくその通りなんです」

 親が子どもたちに抱く感情は、おそらく最初は「心配」なのだろう。自分のいうことなら何でも聞くと思っていた娘がある日反抗する。「私の人生なのだから私に決めさせてほしい」。そんな言葉を子どもから聞くとは思っていなかった父親は愕然とする。その時に、この子は私の子どもはもはや私がどうすることもできないのだと納得する親は賢明である。

 もちろん、子どもに幸福になってほしい、と願うこと自体に問題はない。その願いはあくまでも希望である。希望する人は、希望が実現しなかったとしても、残念に思い、場合によっては悲しく思うかもしれないが、怒ったりはしないだろう。重い病気になった人の治癒を希望し、祈る人は自分の力が及ばないことを知っていながら、なお、治癒、少なくとも、つかの間であっても死への歩みが緩慢になり、ある状態へと落ち着くことを願い、祈るのである。親が子どもの今後の人生のあり方を心配する場合も、自分の人生ではないのだからどうすることもできないことだとわかっていれば、子どもが親の意に反して自立しようとした時によもや怒りを感じたりはしないだろう。しかし、親は子どもが成長したことに気づいていない。そしておそらくは子どもの側も親が敷いたレールを進まないで自分の人生を生きることができるようになっていることに気づいていないのである。 

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