それならもう一度 


 

 三木清が『幼き者の為に』というエッセイを残している。三木は48歳で反戦容疑で逮捕され、敗戦後に獄死している(敗戦後というところには特別の注意がいるのだが、今は略す)。『幼き者の為に』は七歳で母親を亡くした娘に宛てた手紙である。
 娘の洋子さんは、母親が死の床にあった時、伊勢にいた。いよいよ絶望的だということで、祖母が夜行で東京へ連れ帰ることになった。ところが、前夜、非常に元気で汽車に乗ったのに、朝六時過ぎ、突然顔面蒼白になって祖母をひどく驚かした。ちょうどその時分、母の魂はこの世を去ったのである。前の晩、母は看護婦にいった。私は西国へ行くのだし、洋子は東へ来るのだから途中で会うはずである、と。
 若い頃初めて読んだ時は、哲学者が上に引くようなことを書くことを意外に思ったのだが、やがて違ったふうに思えるようになった。僕自身が母を亡くす経験をしたからかもしれない。母は49歳で脳梗塞で亡くなったのである。この年、僕は大学院でギリシア哲学を本格的に学び始めようとしていたのが、思いがけずも、人生の大きな転機を迎えてしまった。そしてようやく母の歳を越えたと思ったところで、今度は僕が心筋梗塞で倒れた。
 三木は「因縁というものについて深く考えるようになった」と書いている。私には浄土真宗がありがたい、おそらく私はその信仰によって死んでいくのではないか、とも書いている。獄死後、疎開先から「親鸞」と題するノートが発見されている。
 プラトンの『国家』の中にケパロスという老人がこんなことをいっているのを思い出した。
「人は、やがて自分が死ななければならぬと思うようになると、以前は何でもなかったような事柄について、恐れや気づかいが心に忍び込んでくる。たとえばハデス(冥界)のことについて言われている物語、—この世で不正をおかした者はあの世で罰を受けなければならないといった物語なども、それまでは笑ってすませていたのに、いまや、もしかしてほんとうではないかと彼の魂をさいなむのだ。そして彼自身、老年の弱さがそうさせるのか、それとも、すでにあの世に近づいているので、ハデス(冥界)のことが前よりもよりよく見えるからでもあろうが、とにかく疑惑と恐れに満たされるようになり、これまで誰かに不正をおかしたことがあったかどうか、あれこれ数え上げ、調べてみるようになる」(330d-e)
 このように思うのは老人に限らないだろう。
 死を前にしての不安や恐れは僕にはよくわかるのである。プラトンも時にあの世のことについてミュートス(物語)をソクラテスに語らせている。この世は論理(ロゴス)ですべて割り切れるというものでもないだろう。
 しかし、だからといって安直に死後の世界があるというようなことを子どもたちに語るのは、最近見聞きするニュースを見て思うことがある。
 ニーチェが初めて永劫回帰について語った時のことをサロメが伝えている。ニーチェは悪も恥辱も一切を含んだ含めた生がそのまま繰り返されるとしたら、それほど恐ろしいことはない、と考えた。
「彼がこの思想を一つの秘密として、それを真理として確定することが口にいえないほど恐ろしいこととして、私に初めて打ち明けた時のことを私は忘れることができません。低い声で最も深い恐怖をありありと見せながら彼はそれを語りました。彼は実際深くその生に悩んでいましたから、生の永劫の回帰の確実性は彼にとって恐ろしいものであったに違いありません」
 生きることがすでに大変なことになのにそれをもう一度生き直すことは恐ろしいことであろう。
 しかし、この考えには別の面がある。ニーチェはこの思想をスイスのシルヴァ・プラーナ湖のほとりで得たことについて「それは偉大なる瞬間である。その瞬間のゆえに私はこの思想に耐えることができる」といっている。「この思想があなたの上に力を持った時、それはあなたをつくりかえるだろう」。いかにつくりかえられるか。「再び生きることを欲せずにいられないように生きる」ということである。幾度となく繰り返し生き、感じ、経験することを心から願わずにいられないように生きなければならない。そんなふうに生の一瞬一瞬を生きたい。一瞬毎に永遠を刻むような生きたい。こんなふうに生きた時、「これが生だったのか。よし。もう一度」(『ツァラトゥストラ』第3部、幻想と謎)といえる。

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