検査入院(4) 


 

2006年11月8日水曜日【2】
 今日の検査は経上腕動脈から穿刺してカテーテルを入れるはずだったのだが、血管が細くて逃げるようで急遽鼠蹊部からの挿入に変更になった。1時過ぎに始まったが、止血も含めて時間がかかり、病室に戻る時には2時半を過ぎていた。オペはなく検査だけで終わった。鼠蹊部からだと安静にする時間が長く、砂嚢を置かれて三時間安静にしていなければならなかった。5時40分に砂嚢を取り、7時に岡田先生の創交後、安静解除になった。とはいえ、検査前いくらでも歩けたのに、今はそろそろとしか歩けない。心電図モニターをつけている。
 結論的にいうと、再狭窄があり半年前よりも症状が進んでいる。前回未処置の個所は75%狭窄。留置したステント(サイファーステント)にもプラークが付着し(内幕ができる)再狭窄が始まっている。4月に心筋梗塞で倒れた時に閉塞した個所をバルーンで開通させ薬剤溶出ステント(DES, Drug Eluting Stent)を留置したのだが、DESは日本で使われ始めてそんなに経っていない。バルーンだけの治療、あるいは薬剤を使わないステント(Bare Metal Stent, BMS)が再狭窄の可能性が高いのにくらべDESはその可能性が低いということだったが、そうでない症例はあるようで僕と同じDESを使ったが半年後胸部痛があって再狭窄が認められたことがあった、と聞いた。退院後、まったく危険因子がないのにこんなふうに症状が進むのは、動脈硬化による心筋梗塞ではなく別の原因があるだろうというのが主治医の診断で、大動脈炎や膠原病の名前に言及して、自己免疫機能が関係しているのではないか、と指摘された。動脈硬化が原因でないということは動脈硬化が進まなくても、心筋梗塞は起こりうるという意味である。検査中、何度も血圧、脈拍が急激に低下することが見られ、僕の方はそれに伴い苦しかった。いやな感じでもあるが、それでは言葉が足りない。命の危険を少し感じた。
 僕のケースの特徴は(おおざっぱないい方になるが)分岐部にだけ狭窄が見られるということである。それ以外の個所は血管も太いのだが。これは動画を見せてもらってはっきりとわかった。
 このようなわけでバイパス手術を勧められたのである)。今すぐということではないにしても2、3年後ということはありえない。次回の診察日に返事をすることになった。大きな決断を迫られたわけである。
 安静は苦痛だったが、検査後最初は30分後、その後は1時間ごとに中西看護師がvitalをとりに来室される。前回退院前にした検査の後は熱が出たが今回はそういうことはなかった。その代わり、検査の後も部屋に戻ってからもかなり長い時間喉が渇いて苦しかった。唾液すら出てこない。最初は止血してもらっている時で、喉が渇くといったら氷を口に含ませてもらえた。病室に帰ってからも喉の乾きはひどく、何回か氷を口に入れてもらった。大きい氷だと話せなくなる。お茶は飲んでもよかった。造影剤を早く体外に出す必要もあったから努めて飲んだが、ベッド上で安静にした状態では尿は出ない。結局12時頃から安静解除まで7時間ほどトイレに行けなくて苦しかった。だからといって導尿されるのは困るのだが。 

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