検査入院(2) 


 

2006年11月7日火曜日【2】
 昼からレントゲン。詰所にくるようにという放送が入る。レントゲンの検査室まで案内してくださった看護助手さんによれば入院すれば必ずこの検査を受けるということだったが、前回は絶対安静だったので受けていない。しかし病室で撮ったかもしれないが覚えていない。朝、駅で一緒だった男性と検査室まで行く。看護助手さんは三日前にあった地震のことや、今年はまむしが多くて家の中に出てきて噛まれた人があるというような話をされる。僕は道々受け答えしていたが、もう一人の男性は表情が固く会話に入ってこられなかった。
 その後また何もなく、放っておかれているような気もしたが、先に書き上げた原稿を再び見て編集者にメールで送った。
 心電図を取りにこられたのは僕より少し年上に見える検査技師さんだった。前回はいつも看護師さんだったので驚いた。いう必要もないと思っていわなかったが、今回は前回入院の時と違って、電極を止める吸盤(というのかわからないが)肌につかずに苦労するということがまったくなかった。アトピーがひどくて心電図を取る時も、心電図モニターの送信機を身体につける時もどの看護師さんも一様に苦労されたのだが、皮膚科の寺澤先生に診てもらってこの半年でかなり改善したのはありがたい。
 再びvital。脈拍、血圧、体温を測る。あわせて明日の検査の説明と前回入院時にたずねるはずであったことが聞けてないということで既往歴などについて細かくたずねられた。明日検査が何時から始まるかということなどについてはまだ決まっていない。明日は左手からカテーテルを挿入するので止血の仕方が違うようだ。止血に使う圧迫帯のことを教えてもらった。説明では翌朝まで外せないので、明日はコンピュータを使えないことになる。
 それにしても静か。さきほどから少し翻訳をしていた。しかし常の日と違って落ち着かず集中できない。
 薬剤師さんが来室。明日、手術前後に使う薬の説明を受ける。これも今回初めての経験だった。明日はペンレスといって局部麻酔のためのキシロカインを接着面に含んだ透明のシールを使うことを教えてもらった。これでどれくらい穿刺する時の痛みがなくなるのか、あるいは軽減するのかわからないが麻酔の注射(これは30ゲージの太い針の注射を使うので痛い)に代わるものであることはわかった。
 今日は病院内も寒くて、何度か看護師さんにもいってみたのだが暖房がまだ入っていないのだという。ところが準夜勤の看護師さんにその話をしたところすぐに戻ってこられて、暖房が入っていることを教えてくださる。たしかに昼間は入ってなかったのだ。これでようやく着替えることができる。
 ここでずっとしていたら身体がなまりそうだと意を決して外に出ようとしたところに主治医の岡田先生が回診にこられた。「おお、やはりここでしたな」。僕はベッドに横になり胸に聴診器をあててもらう。
「どうですか、息苦しさは?」
 問診の時にこの話をしておいたのだ。
「このところはましですが」
 聴診器を耳からとっておもむろに先生はいわれる。
「結論的にいうと、狭心症や心筋梗塞で呼吸困難という後遺症はありません。それは神経痛です(要は精神的なものだということである)。
「例えばこうやって(と実演される)ここの壁にぶつかるとするでしょう。心筋梗塞をした患者さんはその時すぐに痛みが引かなかったら、『前はこんなはずじゃなかった』といわれる。しかしその痛みと心筋梗塞は何も関係がありません」
「なるほど。アドラーはScheinbare Kausalität(見かけの因果律)といっています。本来原因でないものに因果関係を見出すということですが」
 先生は踵を返してソファに腰を下ろされる。
「先生、それはアドラーの本です」
 ちょうどアドラーのDer Sinn des Lebensの翻訳の続きをしていてPowerBookの横に開けてあった。ひとしきりドイツ語談義。
「アドラーはあまり書くことに関心がなかったみたいです」
「ソクラテスのような人だったわけですね」
「はい、アドラーは基本的に臨床の人だったのだと思います」
「ソクラテスのようなことをしていたら死刑になりますね」
「そうでしょうね。人前で〔対話の〕相手が何も知らないことを暴くわけですから、恨まれないはずはありません」
「『アドラーを読む』は時々読んでますよ」
 退院後の最初の外来の時に僕は先生にこの本をさしあげたのだった。前回入院中に僕はこの本の校正をしていて、校正紙を先生にお見せしたことがあった。
 忙しいだろうに病気のこと以外にこんな話ができることで僕の気持ちはどれほど落ち着くことか。
 部屋が暖まってきてやっと人心地がついた。食事も終わり、なんだかもう眠い。 

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