生還記(5) 


 

2006年4月24日月曜日
 夜、アモバンを止めてみた。いつまでも眠れなかった。ふと見たら点滴の管に血が逆流していた。何も問題なしといわれたが、気になった。深夜に点滴のアラームが鳴る。昼間だとそんなに気にならないのだが、夜に鳴ると驚く。これから後、ナースステーションのモニターには不整脈が表示されているわけではないのに、動悸が激しくなって不安になった。古野看護師がベッドサイドで長く話を聞いてくださった。入院中の最初の精神的な危機。よくなっているはずなのに、こんなことで不安になり動揺してしまう。
 夜にこんなことがあったので朝、眠かった。身体障害者手帳、市からの手術費の補助のことでクラークさんが来室。疲れた。酸素が3リットルから2リットルへ。
 岡田医師が回診。岡田先生は話をする時、いつも遠くを眺めているように見える。「経過は順調。ゆっくり治そう」と。第5ステージに進めるかと期待したが、この時、バルン抜去については言及されなくて落ち込む。
 日曜日に転室したのに早くも一般病棟に移ることが提案され驚く。「そんなに急に部屋を変わるとそのことがストレスになります」といってみたが、「ここは救急病棟なので、急患があった時に空けておかないといけない」とこの話をしにきた看護師さんは譲らない。最初は「昨日は急患があってよく眠れなかったでしょう? 一般病棟ならそんなことはないし、いいですよ」と僕を気遣ういい方をされていたのに、突如として病院側の都合をかなり高飛車にいってこられたので僕も譲りたくはない、と思ってしまった。「どうしてもいたいというのならいいですが」。もののいい方を知らない人だと思った。
 昼から5ステージに進むことができた。ベッドから降りて数歩のところにあるソファまで移動し、そこで10分すわった。前後にヴァイタルを計る。この時、心臓リハビリの解釈をめぐって意見が対立した。また、このステージでは全面清拭となっているのに、自分で身体を拭くようにといわれた。それはこの心臓リハビリのプリントによると違うのではないですか、と抗議したが受け入れてもらなかった。
 導尿の管を抜いてもらう。救急車で運ばれた時は導入がひどく痛かったので、この数日来、抜く時の痛みを予想して怖かった。幸い、一瞬、電流が走るような痛みがあったが、思っていたほどではなかった。トイレまでは行けないのでベッドの近くにポータブルトイレが置かれる。「〔バルンを抜いてから〕初めておしっこする時、痛いけど、まあ、日にち薬ね」といわれるので、この言葉が縛りになって、8時まで出なかった。実際には少しも痛くなかった。前後して酸素のカニューレも抜かれた。急に身軽になった。それなのに導尿されているかのようにふるまった。
 僕は看護師さんが「リハビリといっても個人差がある」といって6ステージで始めて自分で清拭ができるのに、5ステージでそれをさそうとされるので、別の看護師さんに、「もしもリハビリが個人差があるというのなら、僕は5ステージに進みましたが、テレビは見ませんから、読書を許可してください」といった。思いがけず、すぐにこの人は岡田医師にたずねてくださったので読書の許可が下りた。ありがたかった。