生還記(4) 


 

2006年4月21日土曜日
 4ステージクリア。自分で座位に。ゆっくりと起き上がった。夕食からご飯に変わるはずだったが、連絡が不備だったためにお粥。
 昼間、皮膚科の寺澤先生が診察にこられる。入院前、アトピーが最悪の状態だった。体中、傷だらけ。アトピーのほうがどうしたものか、と思っていたが、生きるか死ぬかの時は、不思議に痒みはなかった。しかし、回復に伴って、痒みが復活し始めた。「私はこの薬は使いたくないわ」と塗り薬も飲薬も変更になった。「きっとよくなるわよ」という先生の言葉は嬉しかった。アトピーが治れば僕のストレスはかなり軽減するだろう。

2006年4月22日日曜日
 ICUから救急病棟517号室へ。担当看護師が変わる。もちろん、スタッフが全員変わる。古いが、広々した個室で部屋からの眺めもいい。しかし以前ベッドから離れることはできない。座位1回10分3回/日。第4ステージになって、ようやくラジオを聴くことが許可された。これまでは何もできないことが苦痛だった。本を読まないで日を過ごすことなど考えられないことである。時間が進まない。点滴が落ちる回数を数えてみたり、じっと目を凝らして点滴が減る様子を見ようと思っても、遅々として減らない。ICUにいた時は、看護師さんたちが処置のために頻繁にこられたし、モニターやアラームの音で気が紛れるといえないことはなかったが、病室を変わると急に寂しくなった。
 ラジオを聴くことは許可されたが、僕はラジオを聴くことはないので、iTunesで音楽を聴くことにした。あいにく僕のiPod nanoは息子が東京に持っていってしまった手元にない。コンピュータのことをよく知らない(といってもこの病院は電子カルテなのだが)看護師さんたちには不審がられた。仕事ですか、とたずねられたこともある。もちろん、仕事などしない。というよりキーボードを叩く気力もない。ただ一人救急病棟の僕の担当看護師である北原さんには、僕が使っているコンピュータが何か見抜かれた。「PowerBook G4!」これだけで部屋とスタッフが変わったけれども、またこちらで新しい展開がありそうだ、と思えて嬉しくなった。

2006年4月23日月曜日
 夜、痒みがひどくてよく眠れなかった。アモバンを半錠飲んだがかいなし。胸には心電図モニターの送信機の電極がついているが、痒みのために次々に外すので、深夜勤の北原さんが全部とって、様子をしばらく見てくださった、と後で聞いた。「息をしてたらいいし」 

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