生還記(24) 


 

2006年5月15日 月曜日
「ベテランの人」は主任の中西看護師だった。検査の朝、夜勤明けの杉山さんが顔を出してくださった。「覚悟できた?」と。検査は2時からだった。同じ病棟から5人が検査を受け、最初の人が1時からで、僕は二人目ということだった。一応、大体の時間は決まっているが、検査だけで終わらず処置が入れば時間がずれてくるであろうし、緊急のオペが入る可能性もないわけではなかった。12時半頃に点滴を始め、後はストレッチャーに移るだけという状態で部屋で待つことになった。ベッドを普段よりかなり高くあげた。点滴などの処置のために必要なのだろうが、高いベッドでまわりに柵をされた状態になると、不安が煽られた。遅出の中西さんが部屋にきてくれた。中西さんが担当になかったことは残念だったが、検査の前も終わってからも時々顔を出してもらえたのはうれしかった。
 前日から体調を整え、当日は、昼食を抜く、また検査直前にセルシン(精神安定剤)を飲むなど万全の態勢で今回検査に臨んだが、これを思うと、救急車で運ばれての緊急のオペが、いかに大変なものだったかわかる。オペ中も苦しくて、このまま死ぬかもしれない、と思っていたが、ある意味覚悟ができていたので、落ち着いていたのかもしれない。というのも、岡田医師とこんなやりとりを処置室で交わしたのである。
「前の時のことは覚えてないでしょう?」
「そうでもないのです」
「こんなところ、前にもきたかな、といわれる人は多いのです」
 たしかに今回は前よりはスタッフの顔がはっきり見える。前は時々を様子を聞く看護師さんの目とまゆげしか覚えていない。
「でも、明らかに今日の方が緊張してますねえ」
と先生に笑われる。
 検査、処置の手順がある程度わかっているからそれがかえってよけいに緊張を増すのかもしれない。
 最初に麻酔の注射を打たれた。その後鼠蹊部からカテーテルを挿入していく。少し痛いと訴えると、「ここは神経があるところですからね、ううむ、どうしようかな」(麻酔の注射量を増やそうとされたのか不明)といわれたが、そのまま続行。後は問題なく順調に検査は進んだ。結果がよかったことは、検査中も先生の様子からわかった。「おお、normalだ、完璧だ」。ステントを留置したところのことであろう。必要があれば風船で治療するという話だったが、治療の必要はなかった。検査の最後の方に「今から身体が熱くなります」といわれ、次の瞬間、体中が一瞬、熱くなった。これが最初の処置の時、バルーンを膨らんだ時に感じたと思った感覚かもしれない。血管を拡張する薬を入れた、と近くにいた若い男性に教えてもらった。
 検査後の止血も今回はそれほど痛くなかった。カテーテルを抜く時、若干の痛みがあったのと、その後20分押さえつけられたが、医師(女性)の力はそれほど強くなく、救急車で運ばれた日の止血の痛みにはるかに及ばなかった。
 三時間で安静は解かれた。その時、点滴が終わっていなくて実際に動けるようになったのはもう少し後になったのだが。6時過ぎ、岡田医師が回診。止血がそれほど今回は痛くなかったといったら「そりゃそうだ。今回は偵察機。最初の時は戦闘機。それだけの違いがある」。カテーテルの太さが今回は4Fr(フレ)という細いものだったということである。「偵察機を飛ばして必要があれば(敵を発見すれば)、戦闘機を飛ばさなければならなかったということですね」「その通りです」。前回の処置がうまくいっていたことが本当に嬉しそうに見えた。
 先生の説明によれば(僕は同席できなかった)、前回処置したところはうまくいっているが、なお狭窄している個所が2つある。とりあえず半年後検査入院をして、その時の結果次第でバイバス手術を勧めることになるかもしれないということだった。完治どころではないわけである。しかし、20日に退院が決まったことは嬉しい。デスクワークは完全OKという話は前回聞いたが、それ以外の仕事については聞けてなかった。