生還記(21) 


 

2006年5月12日金曜日
 最初に、昨日の夕方の岡田医師のムンテラのことを書いておく。詳細なメモは立ち会ってくれた妻が書いてくれたが、今、手元にないので、おおざっぱなことだけ。動画でオペの様子が記録されているのに驚いた。「では私がつたない絵を描いてみます」とメモ用紙に心臓と冠状動脈、及び、どの部分が梗塞したかを描きながら説明された。ふと見たら妻も画像と先生のイラストを見ながら、絵を描いて先生の話をメモをしていた。そのことに気がついた先生は「お、その絵、センスありますね」といわれる。ひいき目ではなく、「あ、それはもう少し上に描いたほうがいいんです」と指導も受けていた。「このあたりですか?」「そうそう」。岡田先生は教えるのが好きなのだろう。表情が変わる。
 このことで先生の信頼を得たのか、後で、僕が画像のデータがほしい、といった時に、僕ではなくて、妻に「Windowsのコンピュータは家にありますか」とたずねられたし(僕がMacを使っているのを先生は知ってられるからでもあるが)、「日本心血管カテーテル治療学会」(JACCT)のホームページがあるから、帰ったらさっそく見てください、といわれた。
 今回、冠状動脈の一本が完全に梗塞し、その箇所をバルーンで膨らませてステント(特殊な合金による金属を網の目状にした筒)を入れた(経皮的冠動脈ステント留置術)。最近はバルーンによる処置だけでなく8割はステントを留置するようだ。オペを記録した動画を見るとたしかに処置によって血が流れ出したのがわかる。
「先生は処置中に『自然開通』という言葉を使ってられましたよね。あれはどういう意味だったのですか?」
局部麻酔だったのでわりあいよく覚えている。
「完全に梗塞していたのが、『自然開通』したということです」
これによってわずかな血流が確保できたわけである。バルーンを膨らまし、ステントを留置したのは処置の最終の段階だった記憶がある。どれくらいの時間、完全梗塞していたのかは聞かなかったが、最初の大きな発作からだとするとかなり長時間血液が滞っていたわけである。当然、このことによって心筋が壊死している。
「しかし、壊死したといっても、半分壊死しているというか、マダラ状に壊死した箇所があるということです」
「病理解剖したら、古い病巣が確認できるというわけですね」
「そういうことです。この壊死した箇所が広範であれば、カテーテル治療をしても、10%の方にはいるわけだ〔助からないということ〕。ICUから出てこられず、ジリ貧でだめになる。あなたはこんなにぴんぴんしてるからどう考えても、その10%には入らない」
 問題は、その梗塞した手前の箇所にも狭くなったところがあるということである。そこにもステントを入れればいいではないかと考えられるが、不可能ではないが、ここにステントを留置するのは困難な箇所であるという。その理由も詳細に教えてもらったが図がないと説明は難しい。
「その動脈が硬化したところを運動や食事療法でなくすことはできるのですか」
と妻がたずねる。
「いえ、それが〔動脈が硬化し、狭窄するということが〕老化ということなのです」
「『不可逆的』(irreversible)ということですね」
 僕が補った。
「薬ができてそういうことができれば、私がしている治療も必要ではなくなりますし、平均寿命も100歳にも120歳にもなるかもしれない」
「いわれること、よくわかります」
「その箇所にステントを入れるオペを私がこれまでしなかったかといえば、そうではない。たしかにあるのです。狭窄した箇所に一度のオペで5個も6個もステントをいれる医者もたしかにいる。しかし、これは患者のためのオペとはいえないと思う」
 先生の口調はいよいよ熱を帯びてきた。
「私は長年、医師をやってきて、もう25年になります、この頃、思うことは寿命だけはなんともできないということです。もしもあなたがそれくらいの歳〔77、8歳〕なら、これ以上のことは考えなくていいのかもしれません。しかし、あなたは40…」
「50歳です」
「だから私はこれから20年、30年先のことを考えてみたいのです」
 なるほど、これが前の晩、先生が僕の部屋にきて「「問題は、〔オペで処置できなかった〕残っているところをどうするかということです」といってられたことの意味なのだ、と思った。この後、冠動脈バイパス術について詳細な説明があった。これについては今すぐというわけではなく、月曜のカテーテル検査の結果を踏まえて、慎重に検討していきたい、ということだった。
「検査結果次第で来週の水、木曜日にでも退院ということになります」と先生から聞かされうれしかった。退院後のことについてはまだ詳しくは聞けてない。「デスクワークは完璧にOKです」とはいってもらえ、〔駅の〕階段も上り下りできるようになるともいってもらえたが、講義、講演、ことに遠方への出張などについては確答を得られていない。バイパスの手術を受けるということになれば、また長期の入院が必要になってくる。新しい講演はすべて断ってもらっている。迷惑をかけないのであれば教職もすべて辞すべきなのだろう。
 昨日も少し昼頃から疲れてしまった。昨日書いたメモを読むと、「昼食後父のところに電話をしようと思って、テレホンカードを探したのになかった。探しているうちにひどく疲れて横になった」とある。考えれば当然のことなのだが昼食後は消化器に血液がいっているので、安静にしておかないといけないのである。前はこんなことはなかったのに。同じ失敗をしないよう、今日は昼食後じっとしていた。身体の力が抜けてしまうような疲労感を覚えたので、今日こそはためらわずにナースコールを押そうと思ったが、やはりそう思うことで既に緊張してしまった。「どうされましたか?」「中西看護師がおられましたら、お願いしたいのですが」。この日の僕の担当だったのである。他の人なら説明するのが大変なのでわがままをいってしまった。わりあい早く楽になり、vitalも正常であることがわかった。「これから一時間ほど病棟を離れるので(遅い昼休みなのだろう)、その間は杉山さんがきてるし」といって帰られた。幸い、その後は、問題なく過ごせた。
 昼食前に体重測定。52キロ。

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