生還記(17) 


 

 2006年5月8日月曜日
 目が覚めたら7時半。朝、お茶を換えにきてもらっているのに今日はないのだろうか、と思いながら寝ていた。何度か目が覚めたが、目が覚めたのではなくまだ実は夢の中ということを何回か繰り返した。お茶の件を後で、今日の担当の中西看護師にたたずねたらランプが消えていた、と。もう自分でお茶をくみにいける段階になっているというのである。僕は知らなかった。今日からこれはしません、といってもらったらすむことなのに。14日に退院になる夢を見た。もちろん、まだ無理だろう。昨日、残っている薬を数えていたら7日分しかないと思っていたので、その記憶を夢まで引きずったのかもしれない。
 朝、10時前、いつものようにふらりと岡田医師。9ステージに進むということ、近く心臓カテーテル検査を受け、梗塞していたところがどうなっているか調べるという。「安静にしてるから心筋は回復してきている。でも、リハビリも進めないといけないので、今日は9ステージに進みます」と。
 今度のカテーテル検査は、もし治療しなければ三時間で安静は解かれる、と後で清拭の時に中西さんに教えてもらった。僕は退院前にもう一度検査があることを知らなかった。いつか先生と話していた時に先生がカテーテル検査に言及されるのを聞き、またするのだと思って、退院までに大きな障壁ができたかのように感じた。導尿の管を入れる時の痛みを思い出した。幸い、今回は導尿はないようだ。「尿瓶でできる?」「もちろん」。「もし治療したら?」「一日。でも、今9ステージだからその場合でも安静が解かれたら9ステージに戻れる」。医師から説明を聞いてもその場では思いつかず、後から疑問が浮かぶことがある。そんな時に看護師さんたちにたずねることができるのはありがたい。
 最初の頃は見舞いを断っていた。花を贈りたいといってくださっていた方にも断っていた。申し訳ない。今以上に感覚(特に臭覚)に鋭敏だったので。
 昨日は歩いてもあまり疲れなかった。その前日はとても階段なんか無理だろう、と思っていたのだが。今日も清拭の後、病棟を一周したが大丈夫そうだ。
 倒れるまでカウンセリングをしていた、亡くなった母と同い歳の(母が生きていたら、という意味である)Xさんはどうされているだろう、とふと思った。若い僕が偉そうにいつも「人生を先送りにしてはいけません」といっていたのである。今も、この考えは変わっていない。
 息子は「〔倒れたのが〕君でよかったよ」といつもながらの口調で笑っていっていたが、本当に逆だったら僕にどこまでのことができるのだろうと思う。平日は娘が夕食を作ってくれている。
 朝、部屋を変わってもらえるのですか、という打診があった。隣の隣の部屋ですから、ここよりは少しは眺めがよくなりますが、と。僕は断った。次は退院あるのみ。

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