生還記(16) 


 

2006年5月7日日曜日
 強い雨が降っている。こちらにきてからこんなに本格的に雨が降ったのは初めてではないだろうか。でも、最初の頃がどうだったのかはあまりよくわからない。「朝、くる時、道が濡れてたから夜中に降ってたんでしょうけど」という会話を看護師さんと交わしたのは覚えている。救急病棟にいた時に朝11時に掃除にこられた人は元気にされているだろうか。いつも天気の話をしていた。今日はいい天気ですよ、とか、昨日は黄砂が出てねえ、とか。
 寝る前にゲリラ的に足が突然かゆくなり、寝つきがよくなかったが、11時には寝たと思う。朝、7時過ぎにお茶をかえにこられたのは覚えているがvitalは取りにこられなかったので8時過ぎまで寝てしまった。
 臨死体験者は死を恐れなくなり、その後人生が変わるというが、心筋梗塞からの生還者はただただ死を恐れるようになるのではないかと考えていた。常に爆弾を抱えているような気は確かにするが、心気的になることは多いように思う。
 合理的ではないのだが、昨日、いくつかあるパジャマの一着を持って帰ってもらった。これは僕が発作を起した日の朝にきていたもので、このパジャマのまま救急車で病院に運ばれたのである。一度、病室できてみたのだが、入院した日のことがフラッシュバックしてしまう。
 昨日、ふと気づいたことがあった。入院する前、もうこれはかなり長くあったことなのだが、ある種の言葉がうまく発音できなかったのである。例えば(あまり思い出さないのだが)「再三再四」。講義やカウンセリングの時にこの言葉を発そうと思ったら、意識してゆっくりでないとできなかった。他にもいくつかあったと思う。今は何も問題なく話せる。僕は講義、講演、カウンセリングでエピソードをたくさん話す、『アラビアンナイト』ほどではないにしても、あるエピソードを話すと、またその関連で別の話をし、また…と次々に話すのだが、いずれもあることを伝えるために話すわけである。「で、話を戻すと」といって元の話の流れに戻らないといけないのに、何のためにこの話をしたか忘れてしまい、元に戻れなかったことがたびたびあった。こんなことも病気と関係があったのだろうか。たまたま冠状動脈がつまったのであって、脳梗塞で倒れたかもしれないということだろうか。今は見舞いにこられた人たちと話していてもこんなことは一度もない。
 iTunesを入院して初めて聴いた日付が残っている。入院前最後に聴いたのは、06/04/16 23:32.もしもあのまま死んでいたら、更新されなかったのだろう、と思った。音楽を聴くことを許されて最初に聴いたのは、THE BOOMの「そこが僕がふるさと」時間は、06/04/22/14:59。
 僕は今この世界に生まれきたばかりの赤ちゃんのようなものだから、目にするもの、聞くもの、見るもの、読むもの、何もかも新鮮である。
『悪童日記』(アゴタ・クリストフ、早川書房)をおとついの夜に読んでいたら、前だったら軽く読み飛ばせたのに、実際、何ということもない記述がひどくeroticに感じられ、心臓がどきどきしてしまった。美しい人に会って心がときめいても不整脈が出たりはしないだろうが、今は、こんなことにも動揺してしまう。
 今日は杉山看護師が担当。カーテンの間から顔だけ出して「おはよう」と9時頃に。「今日は10時くらいに清拭にくるね。また足湯する?」申し訳ないくらい時間をかけて清拭してくださる。
「私はおじいちゃん子なんです。中学生の時、そのおじいちゃんが入院したことがあって、見舞いに行きました。そうしたら、髪の毛も梳かしてもらえず、髭も伸び放題だったんです。看護師さんはそこまでしてくれなかった。それで私は毎日通って身体を拭いたりしました」
「それが看護師になろうとしたことの動機になってます?」
「ええ、〔患者が〕人間らしくあるにはどうすればいいか、考えました。身体を悪くしろという意味ではないけど、看護師も入院してみないと見えないことがたくさんあるように思います」

還記目次に戻る