生還記(14) 


 

2006年5月5日金曜日
 めずらしく少し寝つきがよくなくてレンドルミンを飲んでもすぐには眠れなかったが、その後、7時過ぎまで眠ることができた。「あっち向いたり、こっち向いたり眠ってられましたよ」と笑われた。
 身体が不調だとすぐに心臓と結びつけてしまって弱気になってしまうという話を準夜勤の看護師さんと話していたら、「もっと強くならなければ」といわれる。それはたしかにそうだと思ったが、そういわれてもという思いも強い。
 今日の担当は杉山看護師。清拭の時に今日は初めて足湯をしてもらった。気持ちよかった。
 杉山看護師は日勤の後、一度帰って、再び深夜勤らしい。こんなシフトが一般的なのかはよく知らないが、帰っても遅刻してはいけないという思いが先に立って眠れないといわれる。「杉山さんが今夜こられる頃にはもう僕は寝てるでしょうね」「えええ、寝ててくださいね、私の分も」。
 見舞いにこられた人たちをエレベータのところまで送っていったり、一人で歩いたり、長い距離を踏破した。大げさな表現だが、今の僕には必ずしも誇張ではない。来週の月曜には9ステージに挑戦することになっていることを看護師さんに夕方教えてもらった。9ステージでは一階分の階段を上り下りすることになっている。これができるためには、部屋にこもってばかりいないで足腰を鍛えることも必要である。今日は部屋に帰っても、ひどく疲れたというふうには感じなくなってよかった。
 今夜は看護師さんが二人もおやすみなさい、といいにこられた。
 午後から妻の両親。高齢の義父は時々不整脈が出るという話をするが心配。もうずいぶん前だが、近くの川に遊びに行ってその時泳いでいた義父が一瞬意識を失って倒れたことがあった。その時、義母は動転して大きな声を出していたことを思い出した。今回、救急車を呼んだ時の妻の対応は冷静だった。僕の意識がはっきりしていて僕が支持したからだと彼女はいうのだが。セリーグの審判が43歳で心筋梗塞で亡くなったというニュースを読む。前はこんな記事を読んでもあまり気に留めなかったが今はそうではない。
 3時半に丸橋君が見舞いに。病院を教えるメールを出したら、すぐに返事がきて、善は急げ、ときてくれた。多忙な彼には昨日しかもう日がなかったのだ。彼は歳を重ねても少しも変わらない。二十年前にタイムスリップしたようにも感じた僕は時の経つのも忘れて研究室を離れて以来のあまたのことを話した。彼が大学の看護学部の教授になったことで、思いもかけぬ接点ができたように思った。「入院して間もない頃、夢を見た。藤澤先生と、丸橋君の…」。そこまで話したところで、僕は感極まって泣いてしまった。夜、彼がもってきてくれた(「不吉なんていわないで」と笑って)シューベルトのピアノ・ソナタ第19番、20番、21番(ピアノはヴァレリー・アファナシエフ)を少し聴いてみた。
 友人の消息をたずねたら、ルクレティウスを毎日一行ずつ訳しているらしい。「君とは大違いだ」と友人は笑ったが、そんなスローライフであれば心筋梗塞にはならないのだろうか。僕は翻訳となるとノルマを決めて、がりかり訳したりしていたが。