生還記(1)


 

2006年4月19日木曜日
 19日の朝、急に苦しくなって目覚めた。時計を見たら5時14分だったような記憶がある。これまでに同じくらいの苦しさを三回経験していて、その都度何度か元に戻れたので様子を見たが、発作は止まるどころからいよいよ苦しくなって、隣の部屋で寝ていた家人を起こした。どうしたものかしばらく考えた。土曜日に内科で処方してもらっていたノルバスク(降圧剤)を飲んだ。
 次に決断を迫られたのは、救急車を呼ぶかどうかだった。妻が僕の枕元にあった携帯電話で電話をした。後で何度も思うのだが、この時、彼女が息子が東京に行って以来何度かしていたように息子が使っていた部屋で寝ていたら、僕の声は届かなかったであろうし、自分で救急車を呼べたかもわからない。
 ほどなく到着した救急隊員の質問にはわりあいしっかり答えられていたと思う。やがて少し楽になったが、救急車の中でまた苦しくなった。何度も問われる「胸の痛み」というのがわからなかった。胸の痛みというのは、局所的なもので、広い範囲にわたってする重い感じを胸の痛みと呼ぶとは思わなかった。やがてその重い感じは、呼吸を困難にし、大きな声を出さないわけにいかなかった。冷や汗が出たことも憶えている。救急車の中で取った心電図には異常が出ていたはずである。
 病院に到着するとすぐに救急室に搬送された。待ち受けていたのはその日たまたま当直だった循環器内科の岡田隆医師で、看護師の一人は師長だったことを後に教えられた。「最強メンバー」だった、と後になって看護師さんから聞いた。僕は終始、意識があったので、スタッフのやりとりがかなり聞こえていた。すぐに点滴のラインが確保された。カテーテルを鼠蹊部から入れ、狭窄部をバルーンで膨らませ、ステント(金属の筒)を留置させるという手術は局所麻酔だった。僕としてはその前の導尿のためのカテーテルを入れる方が痛くて苦しかった。岡田医師が心電図を検討する一方で、心臓カテーテル検査の準備がされる。「医師ではなくて看護師を呼べ」と岡田医師が指示を出している。たちまち招集された医師、看護師、検査技師らが何人も救急室に集まった。みんな病院の近くに住んでいて24時間態勢だと後で聞いた。まだ6時を少しまわったくらいだった。
 診断は急性心筋梗塞だった。かなりの組織が壊死しているかもしれない、とか、生存率11%という説明を先生から受けたが、後にこれは致死率であることがわかった。心臓カテーテルを使う手術しか選択肢はないという説明を受け、僕は自分ではサインできなかったが、手術の同意書が妻に渡された。バルーンが膨らまされた時、「よし、開通」という声が聞こえた。
 医師から心筋梗塞という言葉を聞かされた時、僕はこれで死ぬのだな、と思った。やり残したことがまだまだたくさんあるのに残念で悔しくて涙が出たが、怖いとか悲しいというような感情はあまりなかった。自分には生きるか死ぬかどうすることもできないことがはっきりわかったからである。
 手術中は看護師さんが頻繁に状態をたずねてくれた。「少し落ち着いたようです」。こういうと彼女は岡田先生に伝える。「症状ありません」。微妙に意味が違うと思った。痛い止血がすみ、外に出るまでの少しの間、そのままの状態で寝かされていた。顔は見えないのだが、看護師さんに医師か検査技師さんが話しかけている。「おまえ、わりとまゆげあるやんか」。早朝にかけつけてこられたことがわかるのだが、今までの切迫した雰囲気がこの一言で緩んだ。
 手術が終わり、ストレッチャーで部屋を出た時、岡田先生が僕にたずねた。「いつもこんなに顔が白いのですか?」胸が楽になっていて、助かったかもしれない、と思った。「ざっと、〔入院は〕一ヶ月です」。危機を乗り越えたと思えたからか、この言葉を聞いてもがっかりはしなかった。
 オペ後、ICUまで運ばれる途中、師長さんにこんな話をしたのも覚えている。「看護学校で教えてるのです。今度のことを学生に話したい」。まだ先のことはこの時点ではわからなかったの。
「どこで教えてるの?」
「聖カタリナ女子高校です」
「この病院にもカタリナの出身の看護師がいるよ」
 会いたいと思った。
 ICUは、各種モニターの音、時にアラームなどが常時響き、絶対安静が必要なのにこの音が強いストレスになるように思った。ある看護師さんが家に帰っても耳から離れない、といってられた。安静時の処置は昼夜関係なく続き、CPKを計るための採血は3時間ごとにあった。頭の方に心電図のモニターがあるが、止血のために2キロの砂嚢が置かれていたり、それがとられても、自力で体位を変えるわけにいかない。これが急性心筋梗塞のリハビリ(以下、心臓リハビリ)第1ステージだった。
 岡田医師の回診。「心臓が苦しいのか、こんなふうにじっとしているのが苦しいのかよくわかりません」といったら「当然、それ〔じっとしていることによる苦しみ〕はある」といわれる。先生がモニターを見て、「怖いほど心電図がきれいだ」といわれたが、僕は自分ではこの時は見ることはできなかった。 

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