優しい地球 残そう 子どもたちに

(故)平井憲夫さんのお話を世界中の人たちに読んでもらうために
「原発がどんなものが知ってほしい」
ー私、子ども生んでも大丈夫ですかー
世界最悪レベルの原発事故が日本の福島で起きた2011年3月11日の後、いろいろな
情報が飛びかっていたとき、私たちは「平井憲夫さんのお話」に出会いました。

この事故の起きるずっと前、1966年から、平井さんは、原子力発電所の現場で、プラント配管の専門技術者として、原発を施工、原発の配管工事の現場監督をしてきました。 退職するまでの20年間 原発の現場で、実際に見聞きして経験したことを、社会に伝えてゆく使命を強く感じ、平井さんは1997年に亡くなるまで、日本の各地で講演をしていらっしゃいました。

「平井憲夫さんのお話」には、私たちが知らなかった原発の労働の実態や地震への対応、電力会社との関係、被ばくのこと、廃炉、放射能廃棄物のことが赤裸々に語られています。あのフクシマの事故が起きる15年以上前のことです!

私たち日本人は、フクシマの事故を経験して、原発や放射能について、今になって、少し知識が増えました。(それは遅すぎたのですが。。。)

しかし、世界中にはまだ「原発」について知らないために、情報がないために、原発への是非が判断できず 原発が近くに建てられてようとしても 声をあげられない人たちがたくさんいます。 

平井さんのご遺族が託されたPKO法「雑則」を広める会は冊子を通して、このメッセージを多くの人々に届ける行動を過去16年以上行っています。 私たちは PKO法「雑則」を広める会から、まず、「平井憲夫さんのお話」の英語版ハングル語版を手に入れ、それらをHPで発信することの承諾を頂きました。また2012年5月にはロシア語版も完成しました。

世界中の多くの方々に 平井さんのメッセージを届けたいと思います。 これからさらに、できるだけ多くの言語で翻訳をしながら、 平井さんの命をかけたメッセージが、インターネットで検索している、世界の人々に伝わってゆくことを 願っています。二度と再び、フクシマの事故が地球上で繰り返されないことを祈りつつ。このHPをご覧になった方はどうぞ世界の方に広めてください!

 
平井憲夫さんの紹介: (ひらいのりお) 1997年1月、59歳で死去。一級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表(後継者が無いため閉鎖)、北陸電力能登(現志賀)原発差し止め裁判と東北電力女川原発差し止め裁判の原告特別補佐人。福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
(PKO法「雑則を広める会」 アヒンサー 「未来に続くいのちのために原発はいらない」第2号 29ページより)
 
私たちとは:日本でレベル7の原発事故が起きた2011年に有志3人で原発の情報を共有するMLを立ち上げました。友人、知人の口コミで40人余りの人が参加し、随時、気になった情報を交換、共有しています。日本の原発が海外にも輸出されようとしているのを知った私たちは平井さんのメッセージをネットでも各国語で広めることが必要だと考え、版権を持つ、PKO法「雑則を広める会」の承諾を得て、このサイトを立ち上げています。今後、ロシア語や他の言語にも訳され、平井さんのメッセージが世界中の人々に聞こえてゆくように、微力ながら活動してゆきたいと思っています。
 
SelectionFile type iconFile nameDescriptionSizeRevisionTimeUser
Ċ
View Download
Hirai Norio's Message: English translation  2920k v. 1 Jul 26, 2011, 8:29 PM Tamiko Dan
Ċ
View Download
Hirai Norio's Message: Korean translation  2986k v. 1 Jul 26, 2011, 8:31 PM Tamiko Dan
ĉ
View Download
  217k v. 1 May 22, 2012, 4:36 AM Tamiko Dan
Ċ
View Download
  6521k v. 1 Mar 4, 2012, 11:55 PM Tamiko Dan