研究にどう取り組むべきか

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2008-08-16: 公開

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リチャード・ハミング

ベル通信研究所セミナー(Bell Communications Research Colloquium Seminar)
1986年3月7日
の筆記録

ベル通信研究所 J. F. カイザー

ベル通信研究所セミナーにおいて、カリフォルニア州モントレーの海軍大学院教授で、ベル研究所の元研究員であるリチャード・W・ハミング博士が行った講演は非常に興味深く、大いに刺激を与えるものだった。講演の題名は「研究にどう取り組むべきか(You and Your Research)」で、会場のモーリス研究開発センターの一室は聴衆で溢れかえった。ベル通信研究所(Bellcore)の所員と所外からの来訪者の合計200人ほどが、1986年3月7日の講演当日に集まったのだ。この講演は、ハミングのある疑問についての観察と調査を主題としている。その疑問とは「なぜ意義深い貢献をする科学者はとても少なく、大部分の科学者は年が経つにつれて忘れられてしまうのか」である。40年以上のキャリアの中で、30年をベル研究所で過ごし、ハミングは数々の例をじかに観察した。また、何をいかになぜ行ったかの鋭い質問を科学者に浴びせた。そして、偉大な科学者の生涯や偉大な業績について調べた。更に、自分自身を見つめ、創造性の理論を研究した。この講演は、その結果であり、個々の科学者の特質、能力、性格、仕事上の習慣、態度、哲学について述べている。

その講演の内容がより多くの人に渡るようにするために、講演の録音テープを注意深く筆記した。質疑応答に続く議論もこの筆記録には含まれている。どんな講演の筆記録でもそうだが、この筆記録も講演を伝え切れていない。話の抑揚や身振りは入っていないからである。それを捉えるにはテープを聴く他はない。ハミングが話している部分は完全に聞き取れるのだが、質問者の発言内容には聞き取れない部分がある。聞き取れない部分については私の想像を括弧で囲んで示してある。質問者は可能な限り特定し、やりとりの内容の私の解釈が正しいかどうかの確認をした。

リチャード・W・ハミング博士の紹介


ベル通信研究所セミナーで講演を行うカリフォルニア州モントレーの海軍大学院のリチャード・W・ハミング博士をベル通信研究所応用研究部担当重役のアラン・G・シノウスが紹介した。

アラン・G・シノウス: ベル通信研究所の皆さん、こんにちは。そして、ベル研究所で働いていた元同僚の皆さん、こんにちは。元同僚の皆さんとは今日、とても貴重な機会にご一緒できたと思います。大いなる喜びを持って、ある人物を皆さんに紹介します。私のずっと以前から友人であり、もと同僚のリチャード・ハミングです。ディック・ハミングと言う方がいいでしょうか。私たちみんながいつもそう呼んでいますから。

ここにお集まりの皆さんには言うまでもないことですが、ディックは数学と計算機科学の分野の歴史的大家の一人です。ディックはまずシカゴ大学とネブラスカ大学で学び、博士号をイリノイ大学で取りました。そして、戦争中はロス・アラモスのプロジェクトに参加しました。その後1946年にベル研究所に入ります。もちろん、そこで私はディックと出会いました。出会いは私がベル研究所の物理学の研究組織に入ったときです。そのころ、私たち物理学の人間はいっしょに昼食を食べるのが常でした。そこにどういうわけか、一風変わった、この数学の人間がいつも加わっていたのです。私たちはいつもディックを歓迎しました。ディックはとてもたくさんの常識にとらわれない考え方や視点をもたらしてくれたからです。その昼食の場は、たくさんの刺激をもたらしてくれました。私は断言できます。

ディックと私の仕事の分野はずっとそれほど近くはありませんでした。それでもベル研究所の廊下でいつもディックを見かけていましたし、ディックの仕事ぶりにはいつも敬服の念を抱いていました。記録が物語っていると思います。詳細まで紹介すると長くなり過ぎます。ディックは7冊本を出版しています。数学、計算機科学、符号理論、情報理論のそれぞれのいろいろな分野をあつかった本です。そのうちの3冊は第2版が出てしばらく経ちます。それは、ディック・ハミングがいかに多くを生みだしたか、そしていかに偉大かの証です。

前回ディックと会ったのは確か10年ほど前でした。アイルランドのダブリンで開かれた小さいが興味深い学会で。私たちは2人とも講演者でした。いつも通りディックの講演は非常に楽しいものでした。挑発的な考察をまた一つ披露していたのです。ディックがこう言っていたのを覚えています。「波長には人に見えないものがある。音には人に聞こえないものがある。そしてたぶん、計算機は人間が考えられないことを考えられるだろう。」ディック・ハミングがいれば、計算機は必要ありません。これから私たちは、この上なく楽しい講演に居合わせることになると思います。

講演「研究にどう取り組むべきか」リチャード・W・ハミング

今日この場にいられて光栄です。紹介のとおりのすばらしい講演ができるかは自信がありませんけれど。この講演の題名は「研究にどう取り組むべきか」です。研究をどう管理するかではありません。研究者個人が自分の研究にどう取り組むのかについて話します。私は、研究をどう管理するかについて話すこともできますが、この講演ではしません。この講演は研究者自身についてです。ここで言う研究とは、凡庸な研究ではありません。偉大な研究です。偉大な研究を私は「ノーベル賞級の研究」と表現することがあります。実際にノーベル賞を取っている必要はないのですが、非常に意義深い研究と認知されるようなもの、という意味です。たとえば、相対性理論、シャノンの情報理論、その他の傑出した理論です。

さて、私はなぜこのことを考えるようになったのでしょうか。ロス・アラモス研究所に計算機を操作する要員として入りました。そのためのグループが既にあり、科学者や物理学者が本業に専念できるようになっていました。自分は小間使いだと感じました。そこの科学者・物理学者は姿形は自分と変わらないけれども、自分とは異質の人々でした。率直に言えば、私はうらやましかったのです。科学者や物理学者がなぜ、自分とそんなにも違うのか知りたかった。ファインマンを間近に見ました。フェルミとテラーを見ました。オッペンハイマーを見ました。ハンス・ベーテを見ました。ベーテが私の上司でした。たくさんの非常に有能な人を見ました。そして、実際に業績を上げている人と、能力はあっても業績を上げていない人との違いに、とても興味を持つようになりました。

その後ベル研究所に入って、多くの業績を上げている部に配属されました。ボーダー(Bode)がそのときの部長でした。シャノンがいました。そして他の人々も。私はその疑問について検討し続けました。なぜなのか、違いは何なのか、と。経歴や自叙伝をいくつも読みました。いろいろな人に質問しました。「どのようにして、そのことをするようになったのですか」と。違いは何なのか見つけ出そうとしました。それが、この講演の主題です。

では、なぜこの講演が重要なのでしょうか。なぜ重要かと言えば、私が知る限り、誰にとっても人生は一度切りだからです。輪廻転生を信じているとしても、現世から来世へは何も持って行けません。この一度の人生のうちに意義深いことを成し遂げないほうがいい理由があるでしょうか。何をもって意義深いとするかによらずそうでしょう。あえて意義深さの定義はしませんが、皆さんは私の意図はお分かりでしょう。私は主に科学について話します。私は科学について調べたからです。でも、私が知る限り、また、人から聞いたところ、私の話は多くの分野に適用できます。傑出した仕事の特徴は多くの分野でほぼ共通しています。ですが、この講演では科学に限って話します。

皆さん一人一人に私の言葉を届かせるために、この講演では「私」を前面に出します。皆さんに率直になってもらい、「そうだ、私は一流の仕事をしたいのだ!」と自分自身に向かって言ってもらいたいのです。私たちの社会は本当にいい仕事をしようと目指す人に眉をひそめます。そんなことをするものではないと。偉大なことは、幸運が舞い降りて偶然に行われるのみだと。それは、ややばかげた考えです。意義深いことを成し遂げようとすべきでない理由はあるのですか、と私は問いたい。他の人に言う必要はありませんが、自分自身に対しては「そうだ、自分は意義深いことをしたいのだ」と言うべきではありませんか。

この講演の第2段階に進みますが、私は率直に話します。私が見てきたこと、私がやってきたこと、私が聞いてきたことを「私」を主語にして話します。その中に登場する人のうち何人かを皆さんはご存じでしょう。皆さんは、この会場から出たあとで、私がこの講演でこういうことを言っていたと引き合いに出したりはしませんよね。私はそう信じています。

それでは、論理ではなく人の心理から話を始めましょう。私の考えに対する主な反対論は、偉大な科学研究は幸運の産物だという考えです。まったくの運だと。それでは、アインシュタインを考えてください。アインシュタインがいかに多くの業績を残したか。すべては運だったのでしょうか。それにしては多すぎないでしょうか。シャノンを考えてください。シャノンは情報理論を研究しただけではありません。その前にもすばらしい研究をいくつもおこない、そのいくつかはまだ機密のままです。シャノンはたくさんの業績を残しました。

一人のすばらしい人が複数の業績を残すことは枚挙にいとまがありません。生涯にただ一つだけ業績を残す人もたまにいて、それについてはあとで触れます。しかし多くの場合、繰り返しが見られます。すべてを運に帰することはできないと思います。パスツールは言いました。「幸運は用意周到な頭脳を好む」と。私はそれを信じています。確かに運の要素はあります、いや、ありません。用意周到な頭脳は遅かれ早かれ重要なことを見つけ、それを成し遂げるのです。そうです、運はあります。具体的に何に取り組むかは運ですが、何かを成し遂げるのは運ではありません。

たとえば、私がベル研究所に入ったとき、私はしばらくシャノンと同じ部屋になりました。その時期、シャノンは情報理論で成果を上げ、私は符号理論で成果を上げていました。私たち二人が同じ部屋で同じ時期に成果を上げていたかは確かではありません。独特の空気の中のできごとではありました。たまたまそうなっただけだ、と言う人もいるでしょう。一方、次のような疑問を持つ人もいるでしょう。ベル研究所にそのとき在籍していた人々の中で、なぜその二人が成果を上げたのか、と。これには運の部分もあり、周到な頭脳の部分もありました。この「部分もあった」ということが、この講演のもう一つの話題です。運については何度か触れますが、偉大な仕事をするか否かが運だけで決まるという考えはきっぱり否定したいと思います。ニュートンは言いました「私と同じくらい懸命に考え抜いたら、他の人でも同様の結果を得ることができただろう」と。

こういうことが見て取れます。偉大な科学者を含めて多くの人が若い時は、独創的な発想を持ち、それを追求する勇気を持っています。たとえばアインシュタインは12歳か14歳のころ次のような思考実験をしました「光速で移動すると、光の波はどのように見えるだろうか」。電磁気学では、極大値が存在しないとアインシュタインは知っていました。しかし、光速で移動したとすると、極大値が現れてしまいます。アインシュタインは12歳か14歳のころ、その矛盾に考えが至りました。何かが間違っていて、光の速度は特別な何かを持っていると考えたのです。アインシュタインが最終的に特殊相対性理論を打ち立てたのは運でしょうか。アインシュタインはいくつかの断片について考えることで、早くからその理論の構成要素を並べていました。さて、これは必要条件ですが、十分条件ではありません。私がこれから話すこういったことはすべて、運であると同時に運ではありません。

知的能力が優れているとどうでしょうか。よさそうですよね。この部屋にいる方々の大半はたぶん、第一級の仕事をするのに十二分な知的能力を備えておられるでしょう。でも、偉大な仕事は単なる知的能力だけではありません。知的能力はいろいろな方法で計れます。数学や、理論物理学、天文物理学では、能力とはだいたいにおいて、記号を操作する能力と強い相関があります。したがって、典型的な知能検査は、それらの分野の能力を高く評価しがちです。いっぽう、他の分野は違います。たとえば、ゾーンメルト法を開発したビル・ファン(Bill Pfann)は、ある日私の部屋に来ました。ファンはおぼろげながら、そのアイデアが自分の課題に役立つと思っており、また、数式をいくつか考えていました。ファンは数学に明るくなく、あまり明晰でないことは、私の目には明らかでした。ファンの問題は興味深そうだったので、家へ持って帰って、少し考えました。最終的に私はファンに、自分の力で答えを計算できるよう、コンピュータをどう使ったらいいかを教えました。私はファンに計算する力を与えたのです。ファンは研究を続けました。所属部署からはほとんど認められませんでしたが、最終的にはその分野のすべての賞を獲得しました。良好なスタートを切ったあと、ファンから内気さ、不明瞭さ、ぎこちなさ、が消え、他の多くのことでも多大な成果を上げました。間違いなく、ファンはずっと明晰になりました。

もう一つ同じような例があります。その人物はここにはいないはずです。クログストン(Clogston)という人です。クログストンと出会ったのはジョン・ピアス(John Pierce)のグループとある問題に取り組んでいたときで、クログストンにはあまり能力がないと思いました。クログストンは大学院でもあんな風だったのかと、クログストンと大学でいっしょだった複数の友人に聞きました。答えはイエスでした。私がクログストンの上司だったら首にしていたでしょうが、ピアスは賢明にも首にしませんでした。そしてついにクログストンはクログストン・ケーブルを考案しました。そのあと、よいアイデアを次々に出しました。一つの成功が、クログストンに自信と勇気を与えたのです。

成功した科学者に共通することとして勇気が挙げられます。勇気を持ち、重要な問題を解決できると信じるならば、そうできるのです。できないと思っていればほぼ確実にできません。勇気はシャノンの資質の一つでした。シャノンの打ち立てた理論のうちで主なものを考えてみてください。シャノンは符号化の研究していました。どうしたらいいか分からなかったのでランダムな符号を作り、そして行き詰まりました。そして信じがたいような疑問を投げかけました。「平均的ランダム符号の性能は?」そしていくらでも性能を高くできることを証明し、従って少なくとも1つは性能の高い符号が存在することが分かりました。無限の勇気を持つ人以外に、そのように考えることができる人がいるでしょうか。これが偉大な科学者の特徴です。偉大な科学者は考え抜きます。

年齢は、物理学者が特に気にする要因です。若いうちに成果を上げられなければ一生上げられないと言います。アインシュタインはとても若くして成果を上げました。量子力学の先駆者は全員かなり若い時期に最大の成果を上げています。多くの数学者や、理論物理学者、天体物理学者が若い時期に最大と考えられている成果を上げています。年を取ってから成果を上げないということではなく、最も高く評価されている成果が若い時期のものだということです。一方、音楽、政治、文学ではしばしば最も高く評価されている仕事が晩年に行われています。分野ごとにいろいろですが、年齢は影響を与えます。

年齢の影響を私はこう考えます。まず、大きな成果を上げるといろいろな委員会に参加させられ、本来の仕事をする時間がなくなります。ブラッテンがノーベル賞を受賞したときのようにです。受賞が発表されたとき我々全員はアーノルド・ホールに集まりました。3人全員が壇上に上がりスピーチをしました。3人目のブラッテンは目に涙を浮かべんばかりに言いました。「私はノーベル賞効果というものを知っています。でも私はそれに影響されません。私は以前のままのウォルター・ブラッテンです。」それを聞いて私はすばらしいと思いました。でも何週間もしないうちにブラッテンが影響を受けているのを見ました。大きな問題にしか取り組めなくなったのです。

有名になると小さな問題に取り組むのが難しくなります。これがシャノンに立ちはだかりました。情報理論のあと、何で次のヒットを飛ばしますか。偉大な科学者はしばしば、この間違いを犯します。巨木に育つ小さな種を蒔くことを怠ってしまうのです。最初から大きな成果をめざしてしまうのです。そのようには物事は進みません。こういったわけで、若くして認められると、その後に成果を挙げられなくなるようです。私が長年に渡って好んで引き合いに出している話をしましょう。私の意見では、プリンストン高等研究所は多くの優れた科学者をだめにしてきました。だめにした科学者の数は、どの組織が優れた科学者を生み出した数よりも多いのです。これは、同研究所の科学者たちが、入る前に挙げた成果と、入ったあとに挙げた成果を比べてそう思うのです。ただし、入った後に優れた研究者でなくなったわけではなく、入る前は傑出していたのが、入ったあとは単に優れているだけになったのです。

今述べたことは作業環境の話につながります。適切な話の流れではないでしょうが、それに少し触れましょう。大多数の人が最善の作業環境と考える環境は実は最善ではありません。これは明らかで、なぜなら、しばしば作業環境が悪いときに最も成果が上がるからです。ケンブリッジ物理研究所の黄金期の一つは掘っ立て小屋のような場所で研究をしていた時期でした。物理学の歴史的成果のいくつかがその時期に挙げられました。

私自身の体験をお話ししましょう。ベル研究所は、正真正銘の二進数で計算機械をプログラムするために当時当たり前とされていた数のプログラマーを私に割り当てるつもりがないことを、早い時期に私は知りました。ベル研究所には明らかにそのつもりがありませんでした。それが普通だったにもかかわらずです。西海岸へ行っての航空機メーカーで同様の職に就けば、そういう問題はありませんでした。しかし、ベル研究所の人々はわくわくさせてくれましたが、それに対して航空機メーカーの人々はそうではありませんでした。長い間、ベル研究所に行くべきか考えました。どうすれば、両方のよいところを得ることができるだろうか。そしてこういう結論に達しました。「コンピューターはなんでもできる。コンピューターにプログラムを書かせればいいじゃないか。」最初は難点だと思えたことが、私を強制的に自動プログラミングへと導いてくれました。私はその先駆けとなりました。欠点に見えたことが、見方を変えることで最高に価値のあるものだと分かることがしばしばあります。でも、最初からそう思うことはあまりないでしょう。そして「いやはや、十分な数のプログラマーを雇うことはできない。それでどうやってすばらしいプログラミングをしろと言うのだ」と思うのです。

この種の話はたくさんあります。グレース・ホッパー(Grace Hopper)もそのように言っています。しばしば、偉大な科学者は問題の見方を少し変えることで、欠点を利点に変えてしまいます。注意深く見れば、その実例が多く見つかるでしょう。たとえば、多くの科学者が、ある問題が解けないと最終的に分かると、なぜ解けないかを研究しはじめます。そして、その問題の見方を変えて、「そうだとも、これが本質なんだ」と言って重要な結果を得るのです。理想的な作業環境というのはとても不思議なものです。ある人が望むものが、その人に最善とは限らないのです。

ここで研究への情熱について考えてみましょう。多くの偉大な科学者は研究に途方もない情熱を注いでいることをご存じでしょう。私はベル研究所で10年間ジョン・トューキー(John Tukey)と共に働きました。トューキーは途方もない情熱を持っていました。私がベル研究所に入って3~4年ほど経ったある日、トューキーは私より僅かに年下だと知りました。トューキーは天才で私は明らかにそうではありません。ボーダーの部屋へ飛んでいって聞きました。「トューキーは私と同年代なのに、どうやって、あのようにいろいろなことに通じることができたのでしょうか。」ボーダーは椅子にもたれ掛かり、両手を頭の後ろにやりならが、にやりとして言いました。「トューキーと同じくらい何年も懸命に働いたら、いろいろなことに通じることができるよ。自分でも驚くほどね。」私はすごすごと退散しました。

ボーダーは、知識と生産性は複利計算で増える、と私に言ったのでした。つまり、2人のほぼ同等の能力のある人がいて、1人がもう1人より1割余計に働くと、余計に働いた方は2倍生み出すことになる。より多く知ると、より多く学ぶことができる。より多く学べば、より多くのことができる。より多くのことができれば、より多くのチャンスがめぐってくる。複利計算で増えている言えるでしょう。具体的には言えませんが非常に高い利率です。能力がまったく同じ2人のうち一方が毎日1時間余分に考えたら、一生のうちに生み出す成果の差は膨大になります。私はボーダーの言葉を真摯に受け止めました。何年か少し余分に働くように心がけ、実際、より多くの成果を上げることができました。妻には申し訳ないのですが、ときどき私は妻をないがしろにしました。私は研究する必要があったのです。望むことを成し遂げたいなら犠牲が必要です。それは間違いありません。

仕事への情熱について、エジソンは「卓越した創造性とは汗が99%、ひらめきが1%である」と言いました。エジソンは誇張したかも知れませんが、言わんとするところは、着実にこつこつ働けば驚くほどのことが達成できるということです。こつこつと努力して、少し多く仕事をして、それを賢く行なうことが重要です。それが難しいところです。情熱があっても、それが間違った方向を向いていると何にもなりません。私はよく思いました。なぜ、あんなに多くのベル研究所の同僚が私と同等あるいはより多く働いても、それほど成果を上げていないのか、と。努力する方向を間違うのは、大問題です。単に懸命に働くだけでは十分ではありません。正しい方向を向いていなければならないのです。

次に曖昧さについてお話しします。それが重要だと気づくのにしばらくかかりました。多くの人が、あることが正しいと信じることが好きです。あるいは正しくないと信じることが。偉大な科学者は曖昧さに耐えることに長けています。先へ進むのに十分なだけ理論を信じます。同時に、間違いや欠点に気づくのに十分なだけ疑います。必要なら新たな理論を作ります。信じる度合いが強すぎると欠陥に気づきません。疑う度合いが強すぎると、その理論に取り組めません。ちょうどよいバランスが必要です。多くの偉大な科学者は自分の理論がなぜ正しいかをよく心得ていると同時に、細かな齟齬も把握して忘れません。ダーウィンは自伝の中で書いています。自分の考えと矛盾するように見える事例をすべて書き留める必要があることに気づいた、と。そうしないと忘れてしまうからです。理論の欠陥に思える事例を見つけたら注意深く検討しなければなりません。それらの事例がどうやったら説明できるか、あるいは、それらの事例に合うように理論をどう修正すればいいのか。そう検討することは、しばしば、その理論の完成に大きく貢献します。一桁精度を上げることが大きな貢献になることはまれです。どれだけ気持ちの上で傾倒するかにかかっています。多くの偉大な科学者は取り組んでいる問題に完全に傾倒しています。傾倒していない人が傑出した、第一級の仕事をすることはほとんどありません。

そして、気持ちの上で傾倒するだけでは十分ではありません。必要条件のようではありますが。理由はこうです。創造性について研究した人は口をそろえて言います。「独創的なアイデアは無意識の中から生まれる。」どういうわけか突然浮かぶのです。無意識についてはあまり分かっていません。でも一つよく知られていることに、夢も無意識の産物だということがあります。そして、夢はかなりの部分その日の体験のやり直しであることも知られています。ある問題に来る日も来る日もどっぷりと漬かっていると、無意識もその問題に取り組む以外することがありません。そして、ある朝起きると、あるいは、ある午後に、答えが浮かぶのです。取り組んでいる問題に傾倒していない人の無意識は他のことにかまけて、問題への答えを出してはくれません。ですから、本当に大事な問題に取り組んでいるときは、他のことに注意が向かないよう、自分を律するべきです。そうやって、その問題に集中するのです。無意識に対して他のものは与えずにおいて、その問題に取り組ませるのです。そうすれば、平和に眠って朝答えが自然と浮かぶのです。

アラン・シノウスが私が物理学者といっしょに昼食を食べていたことに触れました。その前は数学者といっしょに昼食を食べていました。そして私は数学については、もうよく知っていると気がついたのです。実際のところ、昼食の席で数学者から得るものはあまりありませんでした。シノウスが言ったように、物理学者との昼食は刺激に満ちていました。でもシノウスは私の貢献をオーバーに言ったと思います。ショックレー、ブラッテン、バーディーン、J. B. ジョンソン、ケン・マッケイ、その他の人々の話を聞くのはとても興味深いものでした。私は多くを学びました。でも残念ながらノーベル賞受賞者が昼食の席から去り、昇進した人が去り、残ったのはつまらない人たちでした。残り物には誰も興味がありませんでした。その人たちと昼食を共にすることは無意味でした。

食堂の別の側では化学者が昼食を食べていました。私はその中の1人デーブ・マッコールと仕事をしたことがありました。更にマッコールはその時、私たちの秘書と交際していました。私は化学者のテーブルへ行って、いっしょに食べていいか聞きました。ノーとは言えません。それで、しばらく化学者と昼食を食べていました。そして私は質問し始めました。「あなたの分野で重要な問題は何ですか。」1週間かそこら後に次のように質問しました。「どの重要な問題に取り組んでいるのですか。」更に少し経ったある日、私は言いました。「あなたの取り組んでいることが重要でなく、重要なことに結びつくとも思っていないのであれば、なぜベル研究所であなたはそれに取り組んでいるのですか。」その後、私は歓迎されなくなりました。他に昼食を共にする人を探さなければなりませんでした。それは春のことでした。

秋になって、マッコールが私を廊下で呼び止めて言いました。「君のあの言葉は身に染みたよ。夏の間ずっと考えていたんだ。自分の分野で何が重要な問題かを。研究内容は変えていない。でも、とても有意義だったと思う。」「それはよかった。」私はそう言ってその場を去りました。2・3ヶ月後、マッコ-ルは部長に昇進しました。その後、マッコールは全米技術アカデミーの一員になりました。マッコールは勝者になりました。化学者の昼食テーブルの他の人は誰一人として科学分野で言及されているのを見たことがありません。マッコール以外は自ら問いかけることができなかったのです。「自分の分野で重要な問題は何か。」

重要な問題に取り組まなければ、重要な成果を上げる見込みはありません。これは明白です。偉大な科学者は自分の分野のいくつかの重要な問題について注意深く考え抜き、どうやって攻略するか注意を払い続けます。ここで一点、注意して欲しいことがあります。「重要な問題」という言葉は注意して使わなければなりません。物理学で未解決の次の3つの問題は私がベル研究所に居る間、ある意味、一度も取り組まれたことがありません。重要とは、ノーベル賞受賞が確実で、お金が望むだけ与えられるという意味です。その3つの問題とは(1)時間旅行、(2)テレポーテーション、(3)反重力、です。これらは重要な問題ではありません。取り組みようがないからです。ある問題が重要かどうかを決めるのは、その問題の解決がもたらす結果ではありません。理にかなった攻略法があるかどうかで決まるのです。多くの科学者が重要な問題に取り組んでいない、と私が言う場合、この意味で言っています。平均的な科学者は、私が知る限り、ほとんどの時間を次のような問題に費やしています。重要とはならないと思っているし、重要な問題につながることもないとも思っている問題にです。

さきほど、巨木が育つよう種を蒔くことをお話ししました。居るべき場所を常に正確に知ることはできませんが、何かが起こりそうないくつもの場所で活動し続けることはできます。偉大な成果は運がもたらすと思っていたとしても、雷が落ちる山頂に立つことはできます。安全な谷に隠れている必要はありません。しかし平均的な科学者は月並みで安全な仕事をし、多くを生み出しません。単純なことです。偉大な業績を残すには重要な問題に取り組むしかありません。そして、アイデアを持っているべきです。

それに関しては、トューキーやその他の人の勧めに従って、私が「大いなる考察の時間」と呼ぶものを私はある日ついに取り入れました。金曜日の昼食の際には、大いなる考察についてだけ話し合うことにしたのです。大いなる考察とは「AT&T全体にとってコンピューターの役割は何か」「コンピューターは科学をどう変えるか」といったことです。たとえば、私が調べた結果次のことが分かりました。その時点では10の実験のうち9つが実験室でおこなわれ、1つがコンピューター上でおこなわれていることが。そして、あるとき、私は重役たちに、その比率は逆転すると言いました。つまり、10の実験のうち9つはコンピューター上でおこなわれ、1つが実験室でおこなわれるようになると。重役たちは私は突拍子もないことを言う数学者で、現実がまったく分かっていないと思いました。そして必要もないのに実験室を作りました。私はコンピューターは科学を変えつつあると感じていました。なぜなら、私は長い間次のことを考えていたからです。「コンピューターは科学にどんな影響を及ぼすだろうか。私はそれをどう変えられるだろうか。」私は自問しました。「コンピューターはベル研究所をどう変えるのだろうか。」同じプレゼンテーションの中で私は、自分が退職するまでにベル研究所の半分以上の人が計算機と密に接するようになるだろう、と述べました。今は皆さん全員がコンピューターの端末を持っていますね。自分の分野がどうなっていくのか、どこにチャンスがあるのか、何がなすべき重要な事なのか、私は懸命に考えました。そこへ行けば自分にも重要なことをするチャンスがあるから。

多くの偉大な科学者は重要な問題をたくさん把握しています。10から20の重要な問題について攻略法を探しています。新しいアイデアが現れると、「それは、この問題に関係があるな」と気づきます。他のことはすべてほっておいて、それに取り組みます。ここで、怖い話をしましょう。聞いた話で本当だと保証はできませんが。私は空港で座ってロス・アラモス研究所の友人と話していました。「ヨーロッパで核分裂の実験が最初におこなわれたのはとてもいいタイミングだった。それでアメリカは原子爆弾の研究に取りかかったんだから。」友人はいいました。「それは違う。バークレーで沢山のデータを集めていたんだが、分析には手が回っていなかった。実験設備を作っていたから。でも、分析していたら、核分裂を発見できていたはずなんだ。」バークレーの研究者達は、それを手にしていたのに、追求しなかったのです。それで、二番手になってしまいました。

偉大な科学者は、チャンスが巡ってきたら、必死でそれをつかもうとします。他のことはすべてほっておきます。既に、その問題について考え抜いているので、他のことはうち捨てて、そのチャンスに賭けるるのです。偉大な科学者の頭脳は用意周到です。チャンスに気づき、それに向かって行きます。もちろんうまくいかないことも沢山あります。でも、偉大な業績を残すのに、沢山のヒットを飛ばす必要はありません。ある意味簡単です。長生きすればいいのです。

もう一つの傾向については、少し気づくのに時間がかかりました。自分の部屋のドアを開けておく人と、閉めておく人について、次のように気づいたのです。ドアを閉めておく人は、今日・明日はより多くの仕事をこなします。そして多くの人より生産性が高い。でも、どういう訳か10年後には、どんな問題に取り組むべきなのか分からなくなっているのです。あることに懸命に取り組んだからと言って、そのことが、より重要になることはありません。ドアを開けて仕事をする人は、いろいろと仕事を中断させられます。しかし、世の中がどうなっているか、なにが重要かも知れないのか、のヒントを得ることもあります。因果関係を証明することはできません。ドアを閉めておくことは、頭脳が閉ざされていることを象徴していのかも知れませんが、よく分かりません。でも、ドアを開けておく人と、最終的に重要なことを成し遂げる人はかなりよく重なっていると、言えます。ドアを閉めておく人のほうが多くの場合よく働くのですが。そういう人は、なぜだか少し間違ったことに取り組んでしまうようなのです。大きな間違いではないのですが、名声を得ることに失敗するのには十分なほどの間違いなのです。

別のことについて話したいと思います。皆さんの多くが知っている歌についてです。「It ain't what you do, it's the way that you do it.(何をやるかじゃない。どうやるかだ。)」私自身のことをまずお話しします。私は、1台のデジタル・コンピューターを使うはめになりました。正真正銘の二進数の時代です。最高性能のアナログ・コンピューターが解けない問題を解くのが与えられた課題でした。そして、解が得られました。よく考えた末に、次のように思いました。「この軍の仕事の論文を書かなければならない。たくさん予算を遣ったことの説明責任を果たさなければ。アナログ・コンピューターを使っている人誰もが検証するために読みたがるような論文を。」その中で使った積分の方法はやや不器用なものでしたが、解は得られていました。そして私は、その問題は、単に解を得るだけのものではないと気づきました。それは、アナログ・コンピューターが得意とされていた分野でデジタル・コンピューターが勝っていることを疑いの余地なく示す最初の機会だったのです。解法を考え直し、洗練されてエレガントな理論を作り、計算方法を変えました。結果に違いはありません。リポートは出版され、後に長年に渡ってハミング法と呼ばれる微分方程式のエレガントな数値解法が世に出ました。今ではやや時代遅れになってしまいましたが、しばらくはとても優れた解法でした。問題を少し変えることで、些末な仕事ではなく重要な仕事をしたのです。

こういう話もあります。ずっと以前、屋根裏部屋でその機械を使っていたころ、問題を一つ一つ解いていました。かなりの数うまく行きましたが、いくつか解けないものもありました。ある金曜日に、1つの問題を終えて帰宅したとき、興味深いことに私は気分が晴れませんでした。落ち込んでいたのです。延々と問題を一つ一つ解き続けていく人生を送っているように思えたのです。しばらく考えた末決意しました。適用能力のある一つの製品を大量生産すべきだなんだと。目の前にある1つの問題ではなく、向こう1年のすべての問題を相手にするべきなのです。質問を変えることで、同等以上の結果を達成しましたが、こんどは題材を変えることで重要な仕事をしました。私は大きな問題に取り組んだのです。向こう1年のすべての問題が何か分からない状態で、それらを機械にやらせる方法をどうやって考えたらいいでしょうか。どう準備をすべきでしょうか。どうやったらそのことに通じることができるでしょうか。ニュートンの方法にどうやったら従えるでしょうか。ニュートンは言いました。「私が他の人より遠くまで見通せているとしたら、それは私が巨人の肩の上に立っているからだ。」近頃はお互いの足の上に乗っているのではないですか。

他の人が土台にできるような仕事をすべきです。「私は誰それの肩の上に立っていたので、より先が見えました。」と実際に言われるように。科学の本質的な部分は積み重ねで構築されてきました。問題をほんの少し変えれば、しばしば、単に良い仕事ではなく偉大な仕事に取り組めます。問題が属する領域の性質上やむを得ない場合を除いて、孤立した問題に取り組むのは止めようと私は決めました。

数学では、しばしば、一般化することで解が単純になります。ですから、立ち止まって次のように考えてください。「これが与えられた問題だが、これは××に特有のものだ。そうだ、その問題だけに取り組むより、その問題領域全体に対して取り組んだほうが、ずっと優れた手法を使える。その問題だけに取り組んでいたときは、不必要に細部にとらわれていたから。」抽象化することで、しばしば、物事が単純になります。更に、私はその手法を研ぎ澄まし、未来の問題に備えました。

この部分を、次のようにまとめたいと思います。次のように言われています。「うまく仕事ができないのを道具のせいにするようでは半人前だ。与えられたもので仕事に取り組み、最善を尽くしてこそ一人前と言える」と。問題を変形することで、ものごとの見方を変えることで、最終的な成果が大きく違ってきます。なぜなら、他の人の仕事の土台となれるような形で仕事をするか、それとも、次の人が一からやりなおさなければならないような形で仕事をするか、のどちらかだからです。これは仕事自体だけではなく、その報告書をどう書くか、その論文をどう書くかまでを含めた、仕事に取り組む姿勢全体にかかわります。広範囲に渡る一般性のある仕事は、特殊性の高い仕事より難しいということはありません。満足度とやりがいはずっと大きいのですが。

ここからは、とてもいやな話題になります。仕事をするだけでは十分ではありません。それを売り込まないといけないのです。科学者は売り込むのが苦手です。見苦しいことであり、やらないで済むべきことです。全世界が待ち構えていて、偉大なことが行われたら、急いで駆けつけて歓迎してしかるべきです。でも実際は誰もが自分の仕事で手一杯なのです。ですから成果をうまく発表しなければなりません。人々が、やっていることを脇に置いて、あなたの成果を見て、読んで、そのあとで「これはすばらしい」と言うように。学術雑誌を開いてページをめくるときに、自問してください。なぜ、あるリポートを読んで、別のリポートを読まないかを。そして、論文を書くときは次のように心がけなければなりません。Physical Reviewなり他の学術雑誌に論文が掲載されたとして、その雑誌を手にした人が、あなたの論文のページをめくるだけでなく、読んでくれるようにです。論文が読まれなければ、その研究の価値は認められません。

自分の仕事を売り込むのにすべきことが3つあります。論文が読まれるように明確にきちんと書くことを学ぶこと。発表のしかたを学ぶこと。議論の場での発言のしかたを学ぶこと。その3つです。いわゆる「舞台裏の科学者」がたくさんいました。その人たちは学会の集まりでは黙っています。そして、決定がなされたあと3週間経ってから、どうすべきかの報告書を提出するのです。それでは遅すぎるのです。学会の集まりで、熱い議論の最中に立ち上がって「こういう理由でこうすべきなのだ。」と言わなければ意味がないのです。準備の上での発表に加えて、その場の状況に応じた発言の能力も身につける必要があります。

はじめは、発表しているときに気分が悪くなり、また、ものすごく上がってしまいました。そして、淀みなく発表する方法を学ばなければ、キャリアの根幹に関わる支障となることを悟りました。あるときIBMから初めて講演の依頼が来ました。ニューヨークで、ある晩に講演してくれと言うのです。私は本当にいい講演にしようと決意しました。望まれている内容で、専門性は高くなく、広い内容のものを。講演を気に入って貰えたら最後に「また私の講演をお聞きになりたいときは、いつでもお呼びください。」と静かに言おうと思いました。そのために、少人数を前に発表の練習を積みました。そして、上がることを克服しました。更に、どういう手法が効果的で、どういう手法が効果的でないかを学ぶこともできました。

いろいろな会合に出席しながら、私は考えていました。なぜ、いくつかの論文は記憶に残り、多くの論文は記憶に残らないのかを。専門家は非常に限定的で専門的な話をしようとします。多くの場合、聴衆が望むのは広範囲で全般的な話です。望まれている概論や背景の量は、発表者が話そうとしている分量よりずっと多いのです。その結果、多くの発表は聴衆にうまく届きません。発表者は発表の題名を言って、すぐさま自分が解決した課題の詳細に入ってしまいます。それでは聴衆のほとんどはついて行けません。そうではなくて、おおまかな絵を描いて、その課題がどうして重要なのか説明するべきなのです。その上で、ゆっくり解決策のスケッチを描くのです。そうすれば、たくさんの聴衆が「そうか、XXさんはあれをやったのか」「XXさんはあれをやった。その位置付けがよく分かった。いい発表だった。研究成果が理解できた。」と言ってくれます。でも傾向として、非常に狭い、自分の仕事に限定した発表にしてしまいがちです。これでは普通、理解して貰えません。更に、多くの発表では情報が多すぎます。こういうことから、売り込むことに関するこの考え方は、当然のことだと思います。

まとめましょう。重要な問題に取り組まなければなりません。すべてが運だという考えには反対ですが、運の要素も多いにあることは認めます。パスツールが言う「幸運は用意周到な頭脳を好む」は当たっていると思います。私は金曜の午後に何年もしていたことをとても気に入っています。大いなる考察だけの時間です。自分の時間の10%を、世の中ににあるより大きな問題を理解しようと努める、つまり何が重要で何が重要でないかを考える、のに充てたのです。ずっと以前、Aと信じていながら1週間ずっとBの方向に進んでいたことがありました。これはばかげています。ことの本筋があちらにあると信じているなら、なぜこちらに進むのでようか。目標を変えるか、やっていることを変える必要がありました。そこで、やることを変えて、重要と思う方向へ進みました。簡単なことでした。

仕事の内容を自分で選ぶことができないと言う人もいるでしょう。働き始めたばかりならそうかも知れません。でも、そこそこ実績を上げたら、たくさんの人から仕事が来てすべては引き受けられなくなります。それで、完全にとはいきませんが、いくらか仕事を選べるようになります。それに関するエピソードをお話しましょう。それは上司を教育することに関係しています。私にはシェルクノフという上司がいました。シェルクノフとはずっと今に至るまでとても親しくしています。ある金曜日、軍人が来て、金曜日までに、ある問題の答えを出すように要請しました。私は既に、ある研究チームの必要に応じてすぐにデータ処理をできるように自分の計算機資源を割り当てていました。私はいくつもの小さな重要な問題にどっぷり浸かっていたのです。その軍人は金曜日中に問題の答えを出すよう要請しました。「それはできません。月曜日にお渡しします。週末にやります。今はできません。」その軍人は上司のシェルクノフのところに行きました。そして、シェルクノフは私に言いました。「この問題に取り組んでください。上司命令です。金曜日中に完了させてください。」私は言いました。「なぜですか。」シェルクノフは言いました。「命令です。」「いいでしょう。でも、その軍人が帰るのを見届けるまで残っていてください。遅いバスに乗ることになるでしょうが。」私は金曜日午後遅くに答えを出して軍人に渡しました。シェルクノフの部屋に行って、軍人の帰り際に、私は言いました。「部長、私は脅されていません。でも、ちゃんと答えを出しましたよ。」月曜日の朝、シェルクノフは、その軍人に電話で聞きました。「週末にオフィスに来て仕事をしてらっしゃいましたか。」軍人が言葉を詰まらせているのが聞こえました。どのように話が展開するか考えていたのでしょう。嘘をついたらより窮地に追い込まれると思い、軍人は正直に仕事をしていないと言いました。それ以来、シェルクノフは「締め切りは自分で決めてください。そして自分で変更してかまいません」と言うようになりました。

私の上司を次のことについて教育するには1つの教訓で十分でした。私がなぜ探検的な研究を追いやって大きな仕事をしたくなかったか、そして、研究用の計算機資源を使い尽くすような割り込み仕事をするべきでなかったのかについてです。その代わりに、私は、多数の小さな問題を解くのに計算機を使いたかったのです。以前は、計算機資源は限られていて、数学者には計算機は必要ないと思われていました。でも実際は私はもっと計算機資源を必要としていました。「その計算を行なうことはできません。計算機が足りないのです。」と計算の依頼主の科学者に言う羽目になるたびに、私は文句を言われました。それに対して私は次のように言いました。「そちらの部署の担当の重役にハミングがもっと計算機を必要としていると伝えてください」。しばらくたったあと、上層部で何が起こっているか私には分かっていました。たくさんの人が私の上の重役に「おまえのところの者がもっと計算機を必要としているぞ」と言っていたのです。私はそれを手に入れました。

こんなこともしました。コンピューターの黎明期に少ないながら持てる計算能力を提供したときに、私は次のように言いました。「うちのプログラマーは正当な評価を受けていません。論文を出すときはプログラマーへの感謝の言葉を入れてください。さもなければ今後は協力しかねます。感謝の言葉は名指しでお願いします。うちのプログラマーは懸命に働いたのですから。」それから2・3年経ちました。そして、1年分のBSTJ(Bell System Technical Journal: ベルシステム技報)を見て、何割の論文にプログラマーへの感謝が書かれてしているか数えました。それを上司に示して私はこう言いました。「こんなふうに計算機がベル研究所で大きな役割を果たしているんです。BSTJが重要なのであれば、計算機も重要ということになります。」上司は降参するほかありませんでした。上司を教育することは可能です。それは難しい仕事ですが。この講演の中で私はもっぱら一般所員の視点でものごとを見ています。管理職や上層部の視点では見ていません。下から上層部を説得して必要なものを得るにはどうしたらいいかをお話ししています。自分の考えを上層部にも売り込む必要があるのです。

それでは次に、偉大な科学者になる努力はする価値があるかどうか、について考えてみましょう。いろいろな人にその質問をしたらどうでしょうか。率直な答えを引き出すことができれば、多くの人が次のように言うでしょう。「一流の仕事をして、そのことを分かれば、ワインと女性と歌を併せたくらいすばらしい」。あるいは女性なら「ワインと男性と歌を併せたくらいすばらしい」というでしょう。そして、上役の人々はというと、現場に来たり報告を求めたりして、発見の瞬間にかかわろうとします。上役はいつもそうです。ですから、明らかに、大きな業績を過去に上げた人は、再び上げようとします。でも、そのサンプル数は限られています。大きな業績を残していない人に、わざわざ、このことについてどう感じているのか聞いたことがないからです。私自身としては奮闘するに値すると思っています。一流の仕事に取り組み成し遂げようと奮闘することには価値があると確信をもって言えます。本当のことを言えば、奮闘することには、その結果より大きな価値があるからです。自分自身でなにかを成し遂げようと奮闘することは、それ自体に価値があるのです。私に言わせれば、成功や名声はおまけです。

その方法をお話しました。とても簡単なことです。ではなぜ、あんなにも多くの人が才能に恵まれながら、大きな業績を上げないのでしょうか。たとえば、私見ですが、今までベル研究所の数学部には私よりずっと能力も才能もある人が大勢在籍してきました。でも、その人たちはあまり業績を上げていません。何人かは私より多くを成し遂げました。シャノンは私より多くの業績を上げましたし、多大な業績を上げた人もいます。でも私は自分より才能のある人に囲まれながら、かなり多くの業績を上げた部類に入ります。なぜでしょうか。他の人々はどうしていたのでしょうか。なぜ、将来を嘱望された人々のうちで、あれほど多くの人が、大きな成果を上げないのでしょうか。

1つの理由は情熱と傾倒です。能力は劣っていても傾倒していれば偉大な仕事を成し遂げられます。優れた技能を持っていても、単にやっているだけで、昼間働いて夜は帰って他のことをし、翌日続きをするような人はかないません。そういった人は、真に第一級の仕事をするのに必要と思われる深い傾倒を欠いています。そういう人は良い仕事を沢山しますが、第一級の仕事はできません。第一級の仕事と良い仕事とは別です。優秀な人、才能に恵まれた人はほとんどの場合、良い仕事をします。ですが、ノーベル賞を取り、社会で認められる傑出した仕事をするとは限りません。

2つめに性格上の欠陥があると思います。アーバインで知り合った人の話をしましょう。その人はコンピューター・センターの所長を勤めていて、その大学の学長の特別補佐官を臨時にしていました。明らかに大いに将来性のある職にありました。あるとき、その所長は私を自分の部屋へ招いて、届いた連絡書類をどう処理し、自分から出す連絡書類をどうしているかを見せてくれました。所長は、自分の秘書がいかに非効率的かを指摘しました。すべての連絡書類を、あたりに積み上げ、どこに何があるか、すべて把握していました。そして、自分のワープロで、書類を印刷するところでした。自分のやりかたがいかに秀逸か、秘書に邪魔されることなくいかに多くをこなせるか、を自慢していました。所長には内緒で、秘書と話をしました。秘書はこう言っていました。「もちろん、私には所長を手伝うことはでません。所長に届く郵便を受け取っていませんし、私にログインさせてもくれません。床のどこに何が置いてあるのか知りませんし。もちろん、私には所長を手伝うことはできません」。それを聞いて、私は所長に忠告しました。「いいですか、今のやりかたを続けて、自分だけでできることばかりをやっていたら、それ以上のことはできませんよ。自分だけでできること以上にはできません。でも、組織を活用する方法を学べば、組織が支えられる限界まで仕事ができます」。所長は、そこ止まりでした。完全に掌握しないと気が済まず、組織の支えの必要性を理解しようとしない、という性格上の欠陥が招いた結果です。

これは繰り返されています。優秀な科学者は組織と戦ってしまい、組織を味方に付け、提供してくれるものを利用するということをしません。活用する方法を知っていれば、組織は多くを提供してくれます。訓練は必要ですが、組織をうまく活用する方法を学ぶことができます。そして、抜け道の見つけ方も学べます。結局のところ、ノーという決定が欲しければ、ただ上司のとこへ行くだけで、簡単にノーを貰えます。何かをしたければ、聞かずに、ただやるのです。そして、上司に成果を見せます。上司にノーを言う機会を与えてはいけません。でも、ノーが欲しければ、簡単に貰えます。

もう一つの性格上の欠陥は自己主張です。これについては、私自身の経験に基づいてお話しします。ロス・アラモスから移ってしばらくは、ニューヨークのマジソン街590番地に設置されている機械を時間単位で借りて使っていました。私はまだ西海岸風の服装をしていました。大きなポケットのズボンに、ループ・タイ、などなどです。私は他の人ほど良いサービスを受けていないように感じました。そこで、状況をよく見てみました。そこへ行って、順番を待ちます。私は公平な扱いを受けていないように感じました。そこで自問しました。「なぜだろう。IBMの重役が『ハミングにいやな思いをさせろ』と指示しているはずはない。組織の末端のアシスタントたちがやっていることだ。空きができたら、急いでそこを使う人を探す。でもその場合、私以外の人を割り当てている。なぜなのだろう」。答は、私の服装がその場に不釣り合いだったからです。まさにそれが原因でした。私の服装は不適切だったのです。私は決断を迫られました。服装についての自己主張を通し続けて、ずっと仕事上のハンデを負うか、それとも、もっと人に合わせているように見えるようにするか。私は、ちゃんと人に合わせているように見えるよう努力することにしました。そのとたんに、ずっと良いサービスを受けられるようになりました。そして今は、年長の面白い人物として、他の人より良いサービスが受けられます。

会う相手が想定しているような服装をすべきです。MITのコンピューター・センターでスピーチをするなら、私はループ・タイをして、古いコーデュロイの上着か何かを着ます。自分の服装や、見た目、物腰が自分の目標の妨げにならないようにするだけの分別が私にはあります。非常に多くの科学者が自己主張を好み、自分のやりかたを押し通します。それは可能ですが、代償はとても大きいのです。

ジョン・トューキーはほとんど常にカジュアルな服装でした。重要な会合の場で、トューキーが一流の人物で耳を傾けるべきだと他の参加者が気付くまでに時間がかかりました。それまでの間、トューキーは自分に反対する人たちを抑えなければなりませんでした。なんと無駄な努力を強いられていたことでしょう。私は、人に合わせるべきだとは言っていません。合わせているように見えることは大いに役に立つ、と言っているのです。何通りであれ自己主張するのであれば、つまり「すべては心の決めたままに」するのであれば、仕事のキャリア全体に渡って少々の代償をずっと払い続けることになります。それは、一生全体では、膨大な量の無用なトラブルになります。

アシスタントたちに冗談を言い、少し親しく接するように心がけることで、アシスタントたちは素晴らしいはたらきをしてくれました。たとえば、あるとき、何かばかげた理由で、マレー・ヒルの印刷サービスがすべて手一杯になってしまいました。なぜか私には分かりませんが、そうなったのです。私は印刷する必要がありました。私のアシスタントはホルムデルのどこかに電話し、社用車に乗り、1時間かけて仕上げて戻ってきました。そのアシスタントを喜ばせ、冗談を言い、親しくするのに私が遣った時間に対する見返りでした。少しの心がけが、後で日頃のお返しになったのです。組織を活用するべきであると悟り、組織にどうやって自分の仕事をやらせるかを学ぶことで、どうやったら組織を自分の都合に合わせられるかが分かります。それとも、小さな宣戦布告なしの戦争を、組織と一生戦いつづけるかです。

ジョン・トューキーはとてつもない代償を、不必要に払ったと思います。いずれにせよトューキーは天才で、自己主張する代わりに少し人と合わせる気があれば、ずっとことがうまくまた簡単に運んだと思います。トューキーはいつでも自分が好きな格好をしています。これは着るものにとどまらず、他の沢山のことにも当てはまります。人々は組織と戦い続けます。ときにはやめておいた方がいい、ということではないのです。

マレー・ヒルの真ん中から端に図書室が移動したときに、友人が自転車を買うよう要望しました。担当部門は馬鹿ではありません。少し待ってから、「保険でカバーできるように、自転車に乗る経路を示してください」という返事を、敷地の地図とともに返しました。2・3週間経ってから、「自転車はどこにしまい、どうやって施錠しますか。これこれのために必要ですが」と尋ねました。このままでは延々とお役所仕事に付き合わされ続けると友人はついに悟り、あきらめました。その友人はベル研究所の所長にまでなりました。

バーニー・オリバーは善良な人間でした。あるときIEEEに手紙を書きました。当時、ベル研究所の正式な図書スペースは決まっていて、そのときのIEEEの会報の高さはそれより高かったのです。正式な図書スペースの高さは変えられないので、IEEEの出版物担当宛てにこういう手紙を書きました。「IEEEの会員がこれだけの数ベル研究所に所属していて、研究所の正式な図書スペースの高さはこれこれなので、会報の大きさを変えるべきです」。オリバーは上司のサインを使ってそれを送ったのでした。折り返し送られてきたのはオリバーのサインのコピーでした。でも、オリバーは自分のサインを送ったかどうか覚えていません。私は、改革の意志を示すべきではないと言っているのではありません。私が言いたいのは、私の調査によると有能な人はその種の争いに傾倒はしないということです。少しだけやって止め、自分仕事に戻ります。

多くの二流の人物が組織への小さな反抗にかまけて、争いにまで発展させてしまいます。エネルギーをばかげたプロジェクトに費やしてしまうのです。誰かが組織を変えなければならない、と言う人もいるでしょう。その通りです。誰かがやらなくてはなりません。皆さんはどちらになりたいでしょうか。組織を変える人物か、一流の研究をする人物か。どちらの人物になりたいですか。組織と懸命に戦うときは、はっきりさせておきましょう。自分が何をしているのか。どこまでを楽しみとしてやるなのか。組織と戦うのにどこまで自分の力を無駄に使うのか。私からの忠告は、組織を変えることは他の人に任せて、一流の科学者への道を歩み続けることです。組織を改革することと、一流の科学者になることの両方ができる人はほとんどいません。

一方、いつもあきらめてばかりではいけません。ある程度の反逆に意味があるときもあります。私が見たところ、ほとんどすべての科学者は組織に対してある程度の反抗を、まったくの娯楽として行っています。つまるところ、ある分野で独創的で他の分野では独創的でないということは基本的にあり得ないのです。独創的であるとは、他と違うことです。他の分野で独創的であることなしに、独創的な科学者とはなり得ません。ですが、多くの科学者が、他の分野での自分の奇妙さが原因で、自己主張のために不必要に多大な代償を払っています。自己主張をすべて否定しているのではありません。いくつかの場合についてです。

短気は慎まなければなりません。科学者はしばしば怒るのですが、それでは事態は解決しません。楽しみは善で、怒りは悪です。怒るのは間違いです。組織には従い、協力すべきであって、常に戦っているようではいけません。

ものごとのマイナス面ではなくてプラス面を見るようにしてください。これまでにいくつか例を挙げましたし、他にもたくさんあります。私がどうやってかと言えば、与えられた状況に対しての見方を変えることで、一見欠点に見えることを長所に転換したのです。別の例を挙げましょう。私はプライドが高いほうです。間違いありません。本を書くためにサバティカルを取った人の多くが予定通りには仕上げられないと私は知っていました。そこで、自分がサバティカルに入る前には、すべての友人に自分が戻ったときには本が完成していると触れて回ったのです。そう、私は完成させると公言したのです。完成させないで戻ったら恥をかきます。私は自分のプライドを利用して自分を望む方向に仕向けたのです。私は、自分が結果を出さざるを得ないように、できると約束したものです。本当のネズミ取りに追い詰められたネズミのように、自分でも驚くほどうまく切り抜けてしまうことを何度も経験しました。どうやるか見当もつかない状態で、「了解です。火曜日に答を届けますよ」、と言ってしまうのはいいやり方だと分かりました。日曜の夜まで、どうやって火曜日までに結果を出すか本当に真剣に考え続けました。私はしばしば自分のプライドをかけてことに臨み、時には失敗することもありましたが、既に述べたように、追い詰められたネズミのごとく自分でも驚くほどしばしば結果を出しました。皆さんにもこの方法をおすすめします。状況の見方を変えることを学んでください。そうすれば成功の確率が高くなります。

自分に正直でない、というのはとてもよくあることです。ものごとをねじ曲げて、自分を欺き、違った風に見えるようにしてしまうことが多いのです。なぜこれこれをしなかったのか、との自問にはいくらでも言い訳があります。科学の歴史を見ると、最近では通常10人が研究をほぼ完成させていて、最初に完成させた人だけが認められます。ほかの9人の人は「私も同じことを考えていたのですが、それはやらずに・・・」と言います。言い訳はいくらでもできます。なぜあなたは最初ではなかったのですか。なぜうまくいかなかったのですか。言い訳はやめましょう。自分を欺こうとしても無駄です。ほかの人には好きなだけ理由付けを言ってかまいません。でも、自分自信には正直であるよう心がけてください。

第一級の科学者に本当になりたいのなら、自分自身、自分の欠点、自分の強み、私のブライドの高さのような自分の短所、を知る必要があります。どうやって短所を強みに転換しますか。ある方向に向かうことがまさに必要なときに、そのための十分な人手が得られない状況をどう転換しますか。繰り返しになりますが、歴史をさかのぼると、成功した科学者には見方を変え、その結果、短所が強みになった例が見られます。

まとめるとこうです。なぜこれほど多くの人々が優れた頭脳を持ちつつも成功しないかというと、重要な問題に取り組まず、問題にのめり込まず、困難な問題をやさしいが重要な問題に転換しようとせず、そういったことをしない言い訳を自分自身にし続けているからです。そういった人たちは、運が物事を決めると言い続けます。皆さんには、いかに簡単かを説明しました。その上、どうやって改革するかも説明しました。ですから、それらを実践して偉大な科学者になってください。

(講演本体、終了)

議論 - 質疑応答
[未翻訳]
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