説教の要旨

2018年7月29日 聖霊降臨節第11主日礼拝説教要旨
   「『放蕩息子』のたとえ」 山下毅伝道師
   ルカによる福音書 15:11~32節
 イエスはファリサイ派、律法学者の人々と対話しておられます。そのテーマは誰が神の国に入れるのか?と言うテーマです。12、13節 弟の方が父親に、「私が頂くことになっている、財産の分け前をください」と言います。普通ユダヤ人社会では考えられない遺産相続ですが、父親はそのことを許します。遠い国、異邦人の国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまいます。何もかも使い果たした時、その地方に大飢饉がおこり、彼は食べるにも困り、豚の世話をし、いなご豆を食べて、飢えをしのぎます。豚飼はユダヤ人にとっては、これ以上落ちることのない零落した状態をさしています。弟はわれに帰って、最悪の状態から目を覚ました。息子は「お父さん、わたしは天に対して、またお父さんに対しても罪を犯しました――雇人の一人にして下さい」と、最初は心の中で、もう一度は、父の前で言い表します。悔い改めは心の中で思うと共に神の前で言い表さなければなりません。父親は、年長者である威厳を投げ捨てて、走り、息子に口づけし、「一番よい着物」、「指輪」、「サンダル」を与え、子牛を一頭屠って、宴会を開きます。この弟は悔い改めた者の象徴です。
一方、兄はこのことに怒ります。「わたしは何年もお父さんに仕えています、―― 子山羊一匹すらくれなかった」と、悔い改めた弟と一緒に宴席に入ることを拒否します。兄の最大の誤りは、自分を正しいとし、自分の業によって、父との関係は保たれると思っていることです。この侮辱的兄を、父親が出て来てなだめています。――イエスは、宴会(神の国)に入る唯一の方法は、自分の弱さと罪を認めることだと教えられました。神はわたしの最悪を最善に変えて下さいます。神は私たちを贖われたのは、私たちの資質や立派さや才能ではありません。全く放蕩息子のように、ボロをまとった姿の私たちを、破れたままの姿の私たちを、受け入れてくださいます。

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